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刻の流狼第四部 カリスアル編【完】

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episode.39


 神と精霊と人。その他、数多の姿形の異なる命の礎は、たった一人の女性から始まった。
 人を愛し、命を愛し、そして唯一つの神を愛し、愛される事を許された女性だ。
 真実、後にカリスアルと呼ばれる事となる世界に、永久の愛をもたらしたその女性の名は、アタラント。
 聡明にして清廉故に後の世の神を創造した彼女は、清らかな、されど力の無いただの人間だった。
 そして無垢な彼女の愛が、深く偽りの存在しない物であるが故に、彼女に愛されたカリスアルは盲目となった。
 アタラント。彼女の愛が失われた時、世界も愛を失った。


 * * * *


 ソルティーとハーパーがサルーを出てから、漸く一日が経とうとしていた。
 乾ききった土を踏み締めながら、自分達以外には誰も通らない道を、一度も立ち止まらずに歩く。
 空には蒼陽が滲んだ光で空と大地を淡く照らし、時折雲がそれを隠した。
 二人は、今は小高い丘の頂上をひとまずの目標に定めて歩き続け、あと少しという所にまで来ていた。
 殆ど丸一日ソルティーはハーパーと会話らしい会話もせず、ただ前だけを見ていた。
 ハーパーが話し掛ければ、相槌程度は返されている。全てを拒絶しているのではなく、会話が成立する事で余計な話が出ないようにしているのだろう。ただし感情を感じさせる抑揚は消え去り、立ち止まって聞く素振りも見せなかった。
 人で在る意味をサルーに捨ててきた。――まるでそう言わんばかりの彼の姿を、ハーパーは重い気持ちで見つめ、背中にはシスルで旅を始めたばかりの頃の姿が重なって見えれば、心には悲しみばかりが浮かんできた。
 この旅を始めた時と同じ様に、たった二人だけの道行き。
 しかし過去に見つめ続けた背中と、現在の背中が同じではないと感じるのは、辿り行く先に待つ目的が変化したからだろう。
 得る物の何もない復讐心から始まった事が、今では護る為の旅になった。

『私の行く先にどれだけの血が流れようが、目の前にどれだけの屍が積み上がろうが、シルヴァステルを倒せるなら、喜んで血を流し屍の山を築こう。世界が滅びるというなら、それで構わない。私は狂っているか、ハーパー? だが私を狂わせたのはこの世界だっ!!』

――ああ、そうであった。かの刻、主は確かにそうであった。
 呪怨に囚われ、理性を持たない獣だった時から、ハーパーはずっとソルティーを見続けていた。二人して傷を負いながらも、漸く彼が理性を僅かに取り戻した時には、彼は自らを殺す役目を与えてきた。

『狂ったまま死ぬのなら、せめてお前に殺されたい。お前の手で、私を闇へと還して欲しい』

 決して断ち切れない闇との繋がりに怯える姿を前にして、どうして嫌だと言えようか。
 誰も経験した事のない、出来る筈のない永劫の苦しみが待ち受ける彼の、たった一つの願いを叶えずに、どうして臣下と言えようか。
 納得したくはない思いを焼き払っても、彼の静かな慟哭を受け入れるしかなかった。そしてその後に死すべき己の道をハーパーは胸に抱き続けていた。
 道は二つに一つしか無いと思っていた。

『俺、ソルティーの事好きだし、仕事抜きで役に立ちたい』

 口惜しい、いや、悔しい事に、ハーパーの思い描いていた道は、一つの出会いが大きな作用を引き起こし、真っ直ぐに伸びていた道が急勾配の変化を作り出した。
 平坦ではない道を進む事は、迷いもあれば躊躇いもある。先の見えなくなった旅路に、思わず引き返したくなる時もあったのも事実だ。
 けれどそんな道上でこそ、心から今を楽しんでいるソルティーの声をハーパーは聞く事が叶った。もう望む事さえ出来ないと思っていた、彼の笑顔を見られた。どれだけ残酷な結末が待ち受けていようと、今を変えられれば道の先にある何かが、全て同じではない事を知った。
 思い描く事の意味を変えさえすれば、得られる意義も変わるのだと。

 だが、ハーパーにそれを教え、ソルティーに様々な意義を与えた者は既に居ない。

 ハーパーは自分らしくはないと思いながらも、半日は度々後ろを振り返っていた。
 あの二人が簡単に引き下がるとは思えず、引き下がって欲しくもなかった。良しも悪しくも、ソルティーや自分を大きく変えてしまった二人に対する評価は、この程度で終わらない物だった。
 しかしどれだけ待てども、後ろから騒がしい程の大声が聞こえてくる事はなく、いつしかハーパーも振り返るのを止めた。
 そしてハーパーの視界に丘の頂上が見え始め、丁度蒼陽を隠していた雲が流れた時、彼は珍しく驚嘆する声を吐き出した。
「あ…主……」
 空からの明かりに照らし出された丘の上を、ハーパーは立ち止まって凝視した。
 驚きを隠せないハーパーに、ソルティーも立ち止まって少し上へと顔を向け、其処に立つ二つの影の存在を知る。
 もっともソルティーの目には、それがどんな形をしているかは映っていなかった。
 灰色で構成されていた彼の視界は、最早暗がりの中で滲んだ黒い塊が蠢く位にしか機能していない。ただそうでありながらも、脳裏にはぼんやりと現実の光景がハッキリとした影になって浮かび、その影が誰の物かは直ぐに判った。
「あの馬鹿……」
 ソルティーは立ち止まったまま動けず、表情は強張っていた。
「如何なさるか」
「………」
 直ぐに落ち着きを取り戻したハーパーが、迷いを抱えたソルティーの背後に立つ。
 二つの影も動く様子はなく、自分達が来るのをじっと待っているらしい。
 引き返す事は出来ず、ソルティーは一度だけ小さく息を吐き出してから顔の強張りを捨て去り、視線を道へと戻して歩き出した。
 徐々に近付き輪郭をはっきりさせていく二人の姿が、また雲によって消される。
 脳裏に刻まれる影よりも、暗闇の視界にさえ意識を向ければ見ずに済む。初めて今の状態に感謝しながら、前だけを見据えたまま迷う事のない足取りで二人の脇をすり抜けた。
 まるで何も其処には存在しなかった様に、視線を彷徨わせる事もせずに。

「うわ、完全無視……」
 始めから予想していた様な、それでいて声の響きには全くめげた様子のない、須庚の口調に反応を示したのは、後ろで一人狼狽えるハーパーだけだった。
「お主達……帰らぬで良いのか」
 待ち受けていた二人の所でハーパーは一端立ち止まろうとするが、それを見越してか須庚が歩き出し、恒河沙もそれに従った。
 顔だけは見ようによっては困惑の表情に見えなくもないハーパーの顔へと向け、進む先は無論ソルティーの背中だ。
「まあね。今帰ったら、きっと幕巌のおやじに怒られると思うし」
「然りとて傭兵が雇用されずに動くは」
「何で? 休暇に何しようと、そんなの僕の勝手でしょ?」
 さっさと先を行くソルティーの後を追いながら、須臾が笑いながらハーパーの腕を叩く。
 彼らしい普段通りの仕草であったが、その中に僅かな緊張感をハーパーは感じずにはいられない。
 須庚の声はハーパーだけに向けられたものではなく、ソルティーにも聞こえるように響き、笑みを浮かべる眼差しは真剣だった。
「それにさあ、帰って仕事するよりかは、ソルティーと居る方が楽しいし。な、恒河沙」
「う、うん……」