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映画レビュー

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ポール・トーマス・アンダーソン『マグノリア』


 映画は切断を連続させることで成立している。映画はストーリーのすべてを写すことは不可能であるし、それは不必要でもある。幾つもの切断されたシーンを連続させていくことで映画は進展していく。だが、それは単なる映像上の問題だけではない。映画の内容においても切断を連続させることはよく行われる。徐々に真相が明らかになって行ったり、人と人とが出会ったり、恋に落ちたり、それまで離れていたもの同士がつながっていく、そのようにして映画は内容的にも進行していくのだ。さらにこの映画の場合は、一見無関係とも思える複数人の社会的な意味でのつながりが徐々に明らかにされていく。
 テレビプロデューサーが息子の存在を明かしたり、その妻が夫をはじめは愛していなかったが今は愛していると告白したり、クイズの天才少年が回答を拒否したり、そのクイズ番組の司会者が娘に対する性的虐待を行ったことが明らかになったり、その娘が警官との出会いで更生して行ったり、この映画では様々な登場人物が社会的につながっていく。と同時に内容的にもその人間の真実に近づいていき、その真実が明らかになったところで切断が架橋され、新たな展開が始まる。映画の映像的な技法としての切断の架橋だけではなく、真実を知らなかった鑑賞者が真実を知るという切断の架橋、登場人物の間にあった溝が埋まるという切断の架橋、そのような切断の連続化によって、新しく異質な発展が実現するのである。
 そのような切断の連続化として注目すべきなのが、テレビやラジオで同じ番組を違った登場人物たちが同時に試聴するシーンであったり、違ったシーンでありながら同じ音楽が流れていたりという工夫であろう。そこにおいて、同質なものはその同質性の中にうずもれず、異質なものと連結されていき、その異質なものとの連結において新たなる異質な発展をもたらすのである。プロデューサーは息子と和解し、天才少年は親との関係を更新し、クイズ司会者の娘は傷から立ち直る機会を得る。この映画は、切断を連続させるという愛に満ちている。映画における愛とはこの連続化から人間たちを新たに出発させるところにあるのではないだろうか。

作品名:映画レビュー 作家名:Beamte