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ハニィレモン・フレーバー

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2.flavor 神無崎透についての考察



これは彼が透にクレイジーことディジーというあだ名をつけられる前。
狂気が落下する前の話になる。




 閉じた瞼に唇が押し付けられる。
 唇は鼻、頬、顎、鎖骨へと順々に触れていく。
 触れるだけの愛撫は、その後の行為を意図していなかった。
 そのことが、謎で仕方なかった。
 どうしてそんな打算なしで人に触れることができるのか。
 まったく見返りを求めないように。
 意味が分からない。理解ができない。
 それなのにもっと触れて欲しい。
 意味などなくていいから、嘘偽りでもいいから。
もっと触れて、もっと。


「もっと」
伸ばした手は空を切り、何も掴むことができなかった。
更に手を伸ばすと罠にでもかかったように地面が消滅する。僅かな浮遊感のあと、身体は重力に従い―床に激突した。
「あだ」
顔面から落ちたカイナは目を覚まし、寝ぼけ眼で辺りを見渡した。目を覚ました場所はカイナが住居として使う一つの部屋だった。
「ゆめ?」
ひとりごとが静かな部屋に落ちたが返答はない。
カイナは頬が歪むほど口端を吊り上げて嗤う。
「ざまあねえな」
くつくつとソファに凭れかかって嗤い続ける。深く凭れると横に置いていた書類が床に落ちた。カイナは拾い上げて書類に再度目を通す。書類には写真がクリップされていた。その写真の人物はさきほどまで夢の中にいた人物だった。
「神無崎透」
カイナは調べて知った青年の名を口にする。
透によって二回ほどコテンパンにされたカイナは、その素性について調べ上げた。コテンパンにされるだけなら、そんな面倒なことをせずに月が出ない夜にでも刺しに行くだけで済ませただろう。しかし酒と雨で弱ったところを看病されてそれから。
手に持った捜査資料を額に押し当てて、カイナは目を閉じる。
かさついた唇が触れる様。冷えた手が肌の上を滑るあの感触。
うーんと唸り、彼は絨毯の上で横になる。
「愛撫ってあんなに気持ちよかったかなぁ」
行きずりや客じゃない相手だったから逆に燃えたとか? あまり考えることが得意ではないカイナは早々に諦めてペリエを呷る。
傍に置いていた携帯が鳴ったので手に取る。なじみの情報屋だった。
「どう、付け足しでなんか分かった」
名も挨拶もいらない。付き合いはそう短くない。向こうの相手は珍しく低く唸って息を吐いている。
「正直こうもそそられない案件は珍しいな。見た通りの一般人だな。神無崎透、二二歳。一浪したあと大学に通うために都心の方に出てきたみたいだな。現在二回生。以前は地方都市に住んでいた。N県の山岳地帯近くに住んでいたらしい。祖父母の元で育っている」
「…両親は?」
「父親の姿は見当たらない。母親は元から病弱だった上、事故に巻き込まれた負傷したのが駄目押しになって療養生活が続いている。それ以後親との接点はない。神無崎自身これといった非行や前科は見当たらない。ガキの頃に一度山道で行方不明になったらしいが、それ以外は変わったとこなんぞない。面白くない」
「ふぅん」
「こんな一般人の調査依頼なんて珍しいじゃないか。で、なんか規格より多めの額が振り込まれているが、一体なんのつもりだ」
「一般人の方が情報扱い難しいだろ。他言すんなよ。誰に対してもだ」
 カイナはわざわざ釘を刺しながら重々に言いつける。
「へぇ、飽きやすいお前にしては珍しいな」
「そんなんじゃねえ。金額分くらい利口になってくれよ。じゃあな」
話していた携帯をクッションの上に放り投げて、黒のソファに座る。
改めてカイナは見慣れた自室を眺めた。ほとんど寝るためだけに使っている部屋に生活の匂いはしない。カウンター越しに見えるキッチンは使った試しがない。衣服を直す習慣はあるのでそれらが散らかることはないが、掃除をすることはないので埃はたまっているかもしれないなと考える。
ここには広いベッドもソファもある。ついでにいえば壁全てを埋めるようなテレビもある。特に見ることもないのに、何故かある。あまり買い物は考えて行わない。必要なものはすぐ取り寄せる。そうゆう仕事をしている。
「なのに、だ」
どうして虚しいと感じているのだろう。
瞼にあの狭苦しい1Kの部屋が浮かぶ。あんな兎箱みたいな部屋は久々に見た。朝、幾分か頭がはっきりしてから起き上がると、枕元に寄り掛かるようにして喧嘩相手が眠っていた。少し長い黒髪がベッドに散らばり、長い睫毛が呼吸に合わせて揺れていた。カーテン越しに日差しが差し込み、部屋を薄ぼんやりと照らし出す。
 ベッドから目と鼻の先にある台所は散らかっていた。どうやら洗い物を溜めこんでいるらしく、折り重なった食器がそろそろ崩壊しようとしている。どうやら読書家らしく四方ある壁のうち半分は書籍が詰まった本棚で埋め尽くされていた。はっきり言って、地震が起きて倒れてきたら即死の量だ。レトロで小さく、絶対デジタル対応できなさそうなテレビ、畳まれた洗濯物。部屋に横断された洗濯ヒモ。テーブルに置かれた半分以上減ったペットボトルの水。生活感が混雑している景色をカイナは思い出す。そして常に香る花のような香り。きっとあれは花自身の香りではない。

「香水、もしくは体臭」
カイナの経験上、あんな花のような香りを漂わせているのは。
「女」
忌々しさを隠さず、カイナは呟く。同性愛者のカイナにとって女というものはさほど必要なものではない。
カイナは傍にあったクッションを胸に抱えて丸まる。
カイナにも本能的にわかることがある。
アレはきっとその相手を溺愛している。そうゆう性格の人間だということが前の触れ合いで十分に分かった。カイナが今まで情事に決して選ばなかった種類の人間。
「なあ」
一人きりの部屋に独り言が木霊する。
「愛するってどんな感じ」
脳裏に浮かんだ無表情の男はこちらを振り返りもしなかった。
カイナは膨らみを帯びた己の唇に触れる。相手の唇は啄むように頬に、額に、瞼に触れたが決して唇には触れなかった。
「なあ、どうして触れた」
明確に引かれた境界線。ひっくり返すことなど考えられない現状と立場。
強く目を閉じて額に腕を置く。
「こんな惨めな気持ちにさせといて、一体なんの目的があったんだよ」
触れるだけの愛撫が意味する慰めを理解できず、カイナはいつまでも悶々とした袋小路に迷い込んでいた。

作品名:ハニィレモン・フレーバー 作家名:ヨル