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ここまでの大学生活を振り返って(笑)

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※この小説はフィクションであり、この主人公のモデルは誰というわけでもありません。
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 もう九月であるがまだまだ暑い。全く太陽ってやつはどうしてこう地球を照らしているのだろうか、もっと休めばよいではないかと思ったりもするが、あんまり休まれると今度は氷河期突入というレベルでは済まされないのでやめておくことにしようと思う。

 さて、書くことは特にないのだけれど、何かを書かねばならないらしい。というのも、何かを書かなければならない、ということになってしまったからである。なぜか同じようなことを二回言ってしまった。まぁ、これは強調表現の一環であると言い訳をしておくとしよう。うーん、注釈というか、言い訳というか、そればかり書いているのは気のせいだろうか(こういうことを言うときは大体気のせいではない)。
 そういえば、書かねばならぬ理由というものを書くのをすっかり忘れてしまっていた(こう書くと本題に戻りやすい)。単純に言えば、締め切りが迫っているからである。「締め切り?何の?」という疑問を読者の多くは持たれると思うのでお答えしておこう。大学の文芸サークルの、である。

 なぜか大学一年初期の私はサークルなるものに所属せねばならぬ、そうせねば友達ができず、大学生活も高校生活のように灰色、いや、それどころか何色でもない生活を送ることになると思っていたのだ。
 まぁ、サークルに入ったところで友達が出来るとは限らず、サークルに入らなくても友達が出来る奴にはできるのである。そんなことも理解していない愚かな私であった。
 現にサークルに所属した今でもずっと友達なるものはできていない。最近では友達という代物が実在するのか疑ってかかる始末である。皆はこんな風にダメ人間のデフレスパイラルに突入しないように、と無駄に忠告しておくことにする(本当に無駄である)。

 そんなこんなで、私はサークル探しを開始した。とりあえず、運動系のサークルは見ることすらせず、選択肢から除外。理由は単純明快。運動が苦手なのである。小学生の時からずーっとだ。休み時間は図書室に直行。グラウンドなど体育のとき以外は出なかった。このころからひきこもり的な自分の人格は形成されていたといえよう。
 本題に戻ろう。次に、運動系ではないサークルをサークルガイドなる小冊子から探すことにした。やけに活動が熱心そうなサークルを除外した。面倒くさいからである。基本的に家にいることが好きな私である。実家から二時間かけて大学に通っている身としては、土日ぐらいは家にいたい。というわけで、土日も活動するようなサークルは除外した。すると、残ったサークルは少ない。その中で、食指が動いたのが文芸サークルだったのである。
 
 さて、文芸サークルに所属するに至るまでを無駄に長々と記入してみたのだがいかがだろうか。ぶっちゃけて言えば、ただの字数稼ぎである。小説はこの字数稼ぎによって成り立っている。字数稼ぎをしなければ、何十ページもの長さになることはそうそうない。書きたいことをずばりそのまま書けばいい。書きたいことがない?まぁそのような人の場合は字数稼ぎそのものが書きたいことというか……ただ書くという行為がしたいだけであろう(私もこの部類に属する)。
 だが、伝えたいことをそのまま書くのでは面白くならない。面白くならないから字数を増やして色々と本来言いたいこととあまり関係のないような面白い要素をいくつも付け加えて、結果、小説となりうるのである(あくまで面白いと言うのは個人的な感覚であり、作者がこれは傑作だと思っても他の人は駄作だと感じることがほとんどである)。
 このように字数稼ぎこそ小説の本質であるかのように語ってきたが、これはすべて即興の思い付きで書いたものであり、本当は小説についてここまでごちゃごちゃ考えているわけではない。こんなことばかり考えていては面倒くさい。

 はてさて、何の話をしていたのだったか。締め切りが迫っているから何かを書かねばならない、そしてその理由を説明していたのだった。つまりここからが本題になるのだが…うーむ、書くことが思いつかない。せっかくだし(何がせっかくなのかさっぱりだが)、ここまでの大学生活を振り返って何かを書くことにしよう。そして締め切りに間に合わせよう(←これが重要)。

 まず、大学が始まる前の高校生活を軽く振り返るとしよう。高校生活は(も?)一人だった。教室では常に一人で飯を食べ(うちの高校には学食という存在がなかったので皆教室で弁当を食べていた)、休み時間は本を読むか、夜に備えて眠って過ごした。
 受験生時代は、誰かと一緒に勉強するということもなく、家にさっさと帰っていた。勉強らしい勉強をせず、のんびりと読書とインターネット(主にコメントが流れる某動画投稿サイト)に浸っていた。
 夏休み中も遊んで過ごし、休み明けにこれはまずいと思い勉強を始めるも手遅れ、センターでも上手くいかず、第一志望の大学を諦め、今の大学に切り替えたのである。そうしたところ、ほぼ勉強する必要がなくなり、二月はほぼ遊んで過ごした。
 二次試験は普通に終了。そして、合格発表の日。今はネットでも結果が出るのでわざわざ見に行く必要はない、と思っていたら、母が勝手に休みを取り、大学まで結果を見に行くことになった。行くのは面倒くさいと思っていたが、母は一度決めたことは絶対やるという人なので、私は早々に諦めた。こちらのほうが結果的にロスが少なくて済むのである。
 結果を見に行くと、まぁ、自分の番号は掲示板にあった。私には何の感慨もなく、あぁ番号あった、ぐらいの思いだったのだが、母は涙していた。なぜ泣いているのかさっぱりであった。あまりに感極まっていたので若干引いてしまったのは内緒だ。周りが感情的に高ぶっていると冷めてしまう、あの現象の影響であろうか。そういえば、あの現象に名前はあるのだろうか、今度調べてみることにしよう(今調べなければ、調べることは永遠にないというのに)。

 さて、そんな感じで大学に合格した私だが、長い春休みをほぼ家にこもって過ごした。本屋とコンビニに行くぐらいだった。正月にもらったお年玉(高校三年生でまだお年玉を貰っているのか、なんて言う人もいるだろうが、貰えるものは貰っておかねば損である)や、合格祝い(なぜ祝われるのかぴんと来ない)を使い、本やらマイクやらキャプチャーボードやらを購入した。
 「おいおい変なものが混じっているぞ。マイクはまだ使用用途が想像できるが、キャプチャーボードとはなんぞや」、と読者諸氏は思っていることであろう。「読者諸氏」、この言葉一度使ってみたかったのだ。どうでもいいことを間に挟んでしまったな。失敬。
 キャプチャーボードについて説明するのは、少し面倒だが、まぁこれも文字数稼ぎのためである、仕方あるまい。
 単純に言えば、キャプチャーボードというのは、TVゲームの映像をPC上に映せるようにするものである。これがあればTVがなくともTVゲームができる。テレビならあるからそんなものなどいらない、と大抵の人は言う。