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ぼくたちに傘はない

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 彼女に最初の嘘をついた。俺が向かっていた場所は、ちっとも素敵じゃなかったからだ。
 校舎の階段を上り、上って、ひたすら上った。息を切らした彼女の吐息が聞こえるけれど、掴んだ手は離さなかった。
「屋上に、いくの?」
 三階の上り階段にある立ち入り禁止と書かれた仕切りを飛び越えながら、彼女が苦しそうな息使いで訊いた。俺は答えずそのまま、最後の一段を上り終える。
「ここは……?」
「……屋上の、前」
 部活も入っていないし、運動が得意ではない俺にとって一階からこの四階、屋上まで一気に駆け上がるなんて無茶なことで、恥ずかしいことにとても息があがっていた。心臓がありえないスピードで動いているのを感じる。六月のじめじめした暑さの汗を拭うときに彼女の方をみたけど、彼女も青白く細い腕で額の汗を拭っていた。
「素敵じゃ、ない……」
 彼女が途切れ途切れに言った。彼女も相当無茶をしたようで、まるで死ぬかとおもったとでも言うような顔つきだった。
「まあ――、まあまあ、座るといいよ」
 本当は俺が座りたいだけなんだけど、という言葉が喉元まで出てきたけれど、息と一緒に言葉を吐く余裕がなくて飲み込んだ。
 ここは俺が一年の時に顔見知りの三年の先輩に教えてもらった、絶好のサボり場所だ。教師達に見つかることは決してないし、あまり人にも知られていない。ひとりになるにはもってこいの、俺にとっては素敵な場所だ。ただ、今日は雨で薄暗く壁や床も埃っぽくて汚らしい。その辺にいくらでも蜘蛛の巣が張っていそうな、背後から幽霊でもでてきそうな、そんな怪しい雰囲気も場所でもあったから、あまり女子にはお勧めできないと思う。晴れた日には、よくこの屋上へ続くドアを開けて青空の下で寝転がりたいと思うけれど、鍵がかかっていて到底叶わぬ願いだ。屋上の鍵の貸出はしていない。
 俺は屋上のドアに背中を預けて、あぐらをかいた。はあ、とため息をひとつつく。彼女は階段近くの床に女の子らしく正座を少し崩した座り方をした。俺は頭をかく。汗で湿っぽかった。――さて、これからどうしよう。
 困って彼女の表情を伺ったが、彼女も困ったように俺を見ていた。それはそうだ、俺が勝手に連れだしてきたのだから。本当に本当にただの衝動でここまできたから、自分が何を感じて自分が彼女に対してどんな感情を抱き、彼女に何をしてやるなどとは一切考えていない。だからとりあえず、この奇妙な沈黙を破ろうと話を進めてみることにした。
「あ、あの……ええっと、――ごめんなさい……」
 そう思ったのに、やっぱり謝ってしまった。彼女はまっすぐにこちらに目を向け、俺に訊く。
「なんで、ここに連れてきたんですか」
「そりゃあ、だって、泣くから」
「泣いたら連れてくるんですか、誰でも」
 疑心に満ちた表情だと俺は悟った。とげのある物言いだ。やはり疑っているのか、話を聞くにはまずそこからか。
「それに、殴られてるし」
「殴られて、泣けばいいんですか」
「殴られて、五倍返しにしてから泣く奴は俺の前ではそんなにいないし」
 そこで彼女は吹き出した。片手で口元を押さえながら、小さく笑う。俺は心がときめく音をきいた。彼女の笑顔は思いのほか、すごく愛らしくて、儚かったからだ。
「もう泣かなくていいのか?」
 俺は彼女の笑顔がとても嬉しく感じた。
「泣く気も失せましたよ」
「顔は大丈夫か?痛くないか?」
「痛くないです。もっと痛くしてやりましたから」
 彼女の表情が会話を重ねるごとに明るくなっていく。それがなんだかとても嬉しくて、俺まで笑顔になっている気がした。だけど俺は、手をつかんだ理由とも言えるこのことが気になっていた。
「――なんで、殴られたんだ?」
 少し勇気のいる質問。彼女の表情は案の定曇った。
「……少し、口論になって」
 彼女がそのピンク色の唇から少しずつ話しだした。
「いや、元を辿れば、私がこんな性格で、周りを見ないというか、コミュニケーション能力が零に等しいのでよく陰口を言われるんです。まあ、そっから、なんやかんやがあって、彼女たちの気に食わないことがあったから、殴られたんだと思います」
 多分、と彼女は最後に付け足した。
「いつものことなのか?」
「殴られるなんていう直接的なことはあんまりないです。今日は、ほんと、うっかり口論になって、うっかり豚とか言っちゃったから」
 ちょっと本音が出てしまって。無表情で彼女は言う。
 それは俗に言ういじめというものを彼女は受けているのではないかと俺は考察する。しかし、彼女は一切受けているつもりはないようだ。そういう一筋縄ではいかないところが、また向こう側を逆撫でてしまっているんだろう。
「ああ、あるよな、そういうの言いたいとき。俺も前に、“焼いたら美味しそうだよなお前”とか言って女子泣かせたことがある」
 これは本当に実話だ。中学の時、告白をしてきた女子に対して言った言葉だ。目の前で泣かれて死ぬほど困ったけれど、今思うと死ぬほど酷い言葉だったと思う。反省している。
 彼女は俺の言葉に対して「最低、軽蔑するわ」と言わなくてもわかるような苦々しい表情をした。意外と表情豊かなことを発見した。
「とにかく、私は平気です」
 そう言った彼女は真っ直ぐこちらを見なかった。そう言って立ちあがろうとする彼女を俺は引き留めたい衝動に駆られる。
「うそだ」
 頭で考えるより先に、口が喋った。彼女はバッと顔をあげて俺の目をみる。
「うそだという根拠は?」
「無いけど」
 彼女は若干イラついた様な表情をみせる。
「無いなら、」
「無いけど。うそでしょ」
 俺は彼女の言葉を遮って言う。しつこいことは承知、彼女は俺がおかしな奴にみえるだろう。そんな気がした。
「なんで、」
 彼女の声が突然震える。張り詰めた糸がほどける様な、そこにあったガラスの壁が砕けるような、そんな音だ。
「なんでそんなことを言うの」 涙をいっぱいに溜めた瞳で、眉間にしわを寄せて俺に言葉を突き刺した。俺はその矛を受け止める器量も度胸もないのに、言葉を続けた。
「お前、辛くないわけ、ないだろ」
 零れた。きれいなきれいな、女神様の住む泉のしずくみたいだった。汚い床が浄化されていくような色をする彼女の涙と一緒に、嗚咽が漏れる。俺は先程繋いでいた手で、彼女の頭を撫でる。やわらかい髪の感触。この小さな小さなヒトを、守りたいと思った。とても無責任に、思った。

 彼女はしばらく泣いていた。両手で顔をおおって、零れる涙ひとつひとつを拭う。頬を赤く染めて、つり下がった眉毛。初めてみたとき、ここにきて話したとき、一瞬も見えなかった彼女の表情だった。
「先輩、先輩はなんで、わかるんですか」
 彼女の涙が止まるころ、彼女は自分から会話を進めた。
「さあ、なんか、ね。こう、男のカンだよね」
「なんですかそれ」
 彼女の顔はくしゃりとした笑顔に変わった。俺は心臓が止まるかと思って、息を呑んだ。それから思わず口に出す。
「笑うと可愛いよね」
「はあ?」
 彼女の眉間にまたしわが寄る。頬がより赤く染まった。俺はすこし嬉しくて、自分でも面白いくらいに笑顔だったと思う。
「お前、名前なんていうの?」
作品名:ぼくたちに傘はない 作家名:らた