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礎 みちる
礎 みちる
novelistID. 30149
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桃とおっちゃん

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おっちゃんはその朝も、いつものようにリヤカーを引いて馴染みの家々を周り、廃品を集める為に早起きをした。目覚まし時計などなくても、長年の習慣で毎朝、鶏のように4時きっかりに目が覚める。ゆうべ寝たときのまま、煮しめたような色のランニングシャツに汚れのこびりついた作業ズボン、仕事のために用意するものといえば、洗いすぎて薄くなってしまったタオルを腰にくくりつけるくらいだった。地下足袋をはいて、唯一の朝食としているびん牛乳をぐっと一気にあおってから、リヤカーを引く。今日はいい出物があればいいが、とおっちゃんは深い皺に刻まれた、赤茶色く日焼けした顔を引き締め、仕事に出かける。
最近は不景気のせいで、どこを廻ってもたいしたものがない。大好きな二級酒でさえ、いや、焼酎でさえ、一升は買えないから、割高でも小瓶やカップ酒で我慢している。今日はいつもと違う場所を廻ってみるか・・でも、地回りに見つかるとうるさいから、朝早い一番にやっちまうとするか・・・。
そう思っておっちゃんは普段はめったにいかない元ボタ山があったほうの地域めざして砂利道を登っていく。
まだ盛夏には早い季節だが、やせたおっちゃんの体全部から汗が噴き出す頃、おっちゃんはタバコを一服つけて、バラックの長屋が立ち並ぶ十字路でしばしリヤカーを止めて考える。「さ~て、どこからやっつけるか・・・」長年の激しい労働をしてきた節くれだってごつごつした手でタバコをもみ消したそのとき、ガチャーン!とガラスの割れる音と共に悲鳴と怒号が聞こえてきた。
ほぼ同時に向かいの立てつけの悪いガラスの引き戸を荒々しく開かれ、鬼のような形相の年増女が「二度とうちに帰ってくんな!馬鹿!!出ていけ!!」と幼い女の子を蹴りだしている。
尻を蹴られた女の子は泣きながら、顔から前夜の雨で出来たぬかるみに突っ込み、泥だらけの顔でそれでも女のくしゃくしゃのスカートのすそをつかみ、とりすがっている。「あっちに行けって言ってんだろう!!」と女は言い、邪険に小さな手を振り払うと、おっちゃんに気付き、泣き笑いのような表情をして「やっかいもんだよ、こんなのがいちゃね。どこの馬の骨だかわかんないやつの子供なんだ!」と吐き捨てるように言って女の子を見やる。
おっちゃんは、人のことには一切関わらないようにしているから、あごをひいて真面目な顔でうなづき、「で、あんたんとこ、前に、ずいぶん酒瓶出してたろ?今日はないんかね?」とだけ言う。
「ああ、酒か!酒ね!酒なんて二度と言ってもらいたくないね、とっととあっちへいっちまいな、二人とも!ビンも、屑ものもなんにもうちはもうないよ!」
女はまた立てつけの悪い戸をガタピシと動かして、がしゃん、と閉めてしまった。
おっちゃんはため息をひとつ、つき、リヤカーを引こうと振り返ると、いつのまにか蹴りだされた女の子がリヤカーのそばにおり、振り返ったおっちゃんに泥だらけの顔でにっこりと笑いかける。
「なんだよ、嬢ちゃん。おいらはな、これからお仕事だ。もう帰りな。」
女の子はじっとおっちゃんを見つめたまま、いやいやをする。
「かあちゃんが心配するぞ。さあ、そこどきな。」
「かあちゃんじゃ、ない。」
「そうか。んでもな、おっちゃんといてもな、お仕事の邪魔になるんだ。さあ、けえれ。」
またいやいや、と首を振る。
「しゃあねえなあ。そんな なりじゃどうしようもあんめい。んじゃ、ちょっとだけ、おっちゃんとこに来て、飯でも食うか?」
女の子は太陽が急に照らし始めたせいか、ぱっと明るくなった顔をまたもにっこりとさせ、おっちゃんの手を握った。
「それじゃ、リヤカーひけねえだろう。しゃあない、後ろに乗んな。」
素早く女の子はリヤカーに乗り込み、おっちゃんは女の子を乗せて、また来た道を引き返す。自分で拾って修理したバリカンで刈ったごましお頭の中に玉の汗を浮かばせ、「なあ、嬢ちゃんよぉ、名前はなんてんだ?歳はいくつだ?」
女の子は何も言わない。
「ま・・見たとこ十か・・十一か・・だろうなあ。そうだろ?違うか?」
彼女はリヤカーに揺られていることを楽しんでいた。
「何にも言わねえんじゃ、なんにもわかんねえだろうが・・。まあ、ふたりともおっかねえおばはんに怒られちまったなあ。」
そういうと女の子は、はじめて笑い声をたてた。
それは、まるできらめく小川が水しぶきをたてた瞬間のように、はかなげでいながら、なにかおっちゃんの心の奥底まで洗い、秘めた忘れてしまいたい過去までが清い水と共に流され、洗いざらしてくれるように感じる、きらきらした笑い声だった。
なにか心楽しくなったおっちゃんはもっと女の子を笑わせようといつになくおどけて見せる。「えっさ、ほいさ、嬢ちゃんはかるい、えっさ、ほいさ、おっちゃんの駕籠やだ、ほいさっさ・・・」
女の子は惜しげもなくきらきらと出来立ての清浄な小粒の雪の結晶のような笑い声をたて、鼻水をぬぐってはスカートで拭いた。
自分の立てたバラックに着いたおっちゃんはリヤカーから壊れ物のようにそっと女の子を降ろす。
「なあ、嬢ちゃん。あんまり汚いからおっちゃんが洗ってやるからな。もうあったかいから、水で我慢するんだぞ。うちにゃ風呂なんて気の利いたもんはねえんだから。」そう言って、おっちゃんは手桶とたらいを用意すると女の子をたらいにしゃがませ、井戸水を汲んできては女の子の頭から水をかけた。
騒ぐと覚悟していたが、意外にも女の子は神妙にしており、水をかけられるまま、じっと自分の手を見ている。
「ああ、これで少しはましになったろ。嬢ちゃんの服はこんな色だったのか。桃色ってのが、泥だらけでわかんなかったぞ。よし、これできれいになった。ついでにお前の名前も決まった。桃色の服だから、桃子だ。いいな?」
桃子は、こっくりとうなづく。
こうして桃子はおっちゃんと暮らし始めた。桃子が天涯孤独の身であること、それでも、なんとかつてをたどってボタ山の上のほうの最底辺、という貧しい地域の家で手伝いがわりに置いてもらっていたこと、生まれたときに難産だったせいで知能が遅れていること、成育歴や環境の不全のせいで成長の遅れもあって体は小さいが、すでに14歳であること、毎日もらわれた家では虐待されていたことなどが、家々を廻って屑物を貰い受けて商売しているおっちゃんの耳にはいやでも入ってきていた。
桃子は覚えは遅いいものの、一度覚えたことはけして忘れず、手順も絶対に守り、手を抜くということをしなかった。
おっちゃんは根気よく、簡単な料理、家の片づけを教えてやり、あれから二年もたった今では、桃子はもう商売にとってはなくてはならない相棒とまでなっていた。にこにこ笑っているだけでよいのだ。
おっちゃんは男だから、たまには山を下りて、赤い灯のある街へふらりと出かけ、夜をそこで過ごして朝かえってくる。
桃子が赤いほっぺたをしてこんこんと眠っているときは安心し、そのまま自分も桃子の隣でもう一眠りするが、
桃子がぷうっっと頬をふくらませて、きちんとたたんだせんべい布団の横で上目づかいにガラリと戸をあけたおっちゃんをにらみつけていたときは、あわてるおっちゃんであった。
作品名:桃とおっちゃん 作家名:礎 みちる