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後ろ姿の少年に5 【隠れ家】

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「うん。今行く」

 わたしはそう返事をして、あわてて本を片付け、梯子を降りようとしたが、時すでに遅かった。下から急に姉の顔が現れた。

「何をしているのかと思ったら。またマンガばかり読んで。バカになるわよ。お風呂はどうしたの。すぐ沸かさないと怒られるよ。知らないからね」と言って、顔はすぐにひっこんだ。ついこの間まで、わたしとマンガを奪い合っていたのに、中学生になってからどうも姉は母の言い方をまねるような大人びた口ぶりをする。そのくせ、テレビのチャンネルをめぐっては、これが中学生かとわたしがあきれるほどの争奪戦を繰り返すから、わたしも二の句の告げないときが度々あった。とにかく今は、母に告げ口されることだけを恐れながら、わたしは風呂の焚き付けへと急いだ。

 だが、わたしの願いとは裏腹に、その後梯子が掛け放してあることはほとんどなくなった。母と同じく、わたしがボンクラになるのを恐れた姉が、たぶん母に注進におよび、母もこの件を重大視したものと思われる。それほどにもわたしは一家のものに、放っておけば間違いなくボンクラになるものと考えられていた。

 さて、ボンクラのわたしではあるが、ボンクラはボンクラなりに知恵を働かせるものらしい。あるとき、ふとしたことから、わたしにも明るい未来が開けたのである。

 そのとき、わたしは「こい」の裏にある細い道で、近所の二,三人の子どもたちと、かくれんぼをしていた。何度目かの鬼になったとき、さすがに探すのにも疲れ、勝手に休憩を設けて、たまたま近くに咲いていたつつじの木に登って、花の蜜を吸っていた。その頃の子供は、たいしておやつもなかったから、おやつ代わりにつつじの花の蜜を吸うことが多かったのである。

 次から次へ花を取っては蜜を吸って行くうち、上へ上へと登ってしまったらしく、幹が次第にしなってきて、わたしは必死につかまった格好のまま、徐々に仰向けに倒れていった。ああ、このまま、木が折れて自分は地面にたたきつけられるのだ。わたしは思わず目をつむった。すると、尻のところに何か固いものが当たる。なんだろうと思って目を開けると、「こい」の屋根瓦の先が、どうぞ座ってくださいといわんばかりに手を差し延べている。わたしは木につかまったまま瓦の先に尻を落ち着け、そのまま仰向けに寝転んだ。どうやら落ちそうにない。これはうまい。わたしは尻と背中を使って瓦の上を安全なところまで這い上がると、くるりと体を半転させ、四つんばいになって屋根をよじ登り、鍵のかかっていない窓から「こい」の二階へ侵入した。この経路なら誰にも知られず自由に昇り降りできる。マンガも読み放題だ。いずれにせよ、人に知られてはまずい。そう思ったわたしは、あわてて鬼に戻り、隠れた友だちを大急ぎで狩り立てて
「ごめん、今日はこれでおしまいね」と言って無理やり追い帰してしまった。その後再び二階に登って、マンガの本を心行くまで読んだことは言うまでもない。ただし、これで、わたしがマンガにたどり着くための乗り越えるべき困難が終わったわけではなかった。さらに もう一つ、困難が隠れて待っていたのである。

「こい」に自由に入る経路を確保してから数日後のことである。わたしはいつもの場所でマンガに夢中になりながらも、どこからか見られているような妙な気配を感じていた。何気なく目をわきに移して、背筋がぞくっとした。青大将が、鎌首をもたげて二メートルくらい先のところから、こちらの様子をじっと伺っているではないか。わたしはその青大将が、てっきり飛びかかってくるものと思い、顔からは血の気がうせ、口はからからに乾き、からだは小刻みに震えだした。逃げ出そうにも蛇ににらまれた蛙のように身動きができない。しかもその蛇が忘れもしない卵泥棒のあの青大将である。もちろん蛇の顔に造詣が深いわけでもないから本当に同一の蛇かというと、やや心もとないが、わたしは直感的にそう判断した。おそらくその判断に間違いはなかったものと今も確信している。

 わたしは蛇としばらく顔を見合わせていた。その時間の奇妙に長いこと。そのうちに蛇は、つと方向を転換してするすると、縄の束の中へ姿を消してしまった。わたしはますます気分が悪くなった。しかし、それでもマンガのために二階に来ることはあきらめなかった。さいわい、その後二階で、蛇に出くわすことはなかったが、それ以外の場所ではよく出会った。やはり祖母の言うとおり、わが家の守り神だったのかもしれない。

 ところで、なぜわたしはそれほどまでして「こい」へマンガを読みに行ったのだろうか。マンガがわたしにとっての唯一の娯楽だったからだろうか。もちろん、それもある。だが、最大の理由は、「大人」から離れて一人になる時間がほしかったのである。一人静かに「大人」とは別の世界に生きたかったのだと思う。大人はどうやら、マンガばかり読んでいるとばかになると本気で考えているらしかった。ところがわたしは、そのマンガの世界の中で、友情を知り、不正を憤り、正義を貫き、冒険に乗り出し、ユーモアを覚え、漢字の読み方を学び、科学の発展に目を見張り、東京ことばを習い、ストーリーのおもしろさを味わった。運のいいことに、この時代のマンガはシンプル(これを単純と言っては間違いだ)だったかもしれないが、何より作者の誠実さにあふれていた。 わたしは物置の二階でワラの座布団に腰をかけ、破れた布団によりかかり、青大将のいる恐怖と闘いながら、実に豊かな時間を過ごしたものだと思う。わたしが村の古いしきたりや呼び名に反発を感じたのも、少年誌に反映していた、時代の科学的精神の影響だったろうし、自分の言葉遣いを自ら直そうとしたのも、マンガの吹きだしに出てくる東京ことばの品の良さとひびきの良さ(わたしには本当にそう思えたのだ)だったろう。

「こい」はわたしにとって、ひそかにわたしを育ててくれた、かけがえのない第二の学校だったような気がする。