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後ろ姿の少年に4

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 結局、蛇や猫が現れたとはいえ、ささやかながら波乱や冒険もあったためか、卵拾いはそれなりにおもしろかった。それに、鶏が鳴いてすぐに飛んでいけば、まず卵は無事であった。

 反対に卵売りはいやでいやでたまらなかった。たとえ片道に四十五分かかるとしても、いつもの食品ストアへ三回買い物に行って来いといわれた方がまだましだった。だが腰の神経痛がひどくて、わずかな距離を移動するにも大変な祖母が週に一度来る卵買いを、どんなに心待ちにしているかと思うと、そんなことに駄々をこねるのは祖母にすまない気がした。わたしはどうしたらいいだろうかと、いつもぐずぐずしながら、
「まなぶ、行って来てくれねえか」という祖母のすがるようなことばに押し出されて、仕方なく村はずれのその家へ、とぼとぼと歩いて行くのである。そんなときのわたしはおそらく、うつむき加減で肩を落とし、顔もやや青ざめていたものと思う。

 では、なぜそれほどに、わたしは、卵売りを嫌ったのか。

 ここでも急いで付け加えるが、わたしは卵売りそのものを嫌ったわけではない。卵を売るだけなら、卵を男に渡して重さを測ってもらい、重さに合わせてお金をもらうだけのことで、十五分もあれば十分だった。それに、卵の重さを量るときの、あのアルファベットのCのような平べったい金属の重りを、大きいものから順々に秤の腕木にかけてつりあいを取る男の手際のよさに、息を凝らして見とれていることもあった。

 問題は男が秤を測っているその間にあった。その間に、軒を貸している婆さんが縁側でキセルをふかしながら男と世間話をするのである。もちろん、それだけのことなら別に気にすることもないのだが、この婆さん、立っているわたしに必ずと言っていいほど話しかけてくる。しかもうちのばあちゃんとは信者仲間で、昔は世話にもなった間柄だから、たいてい、ばあちゃんのことや家の様子を機会あるごとにきいてくる。まったくどいつもこいつも、どうして大人はわが家の事情をきかなければ気がすまないのか。どうして放っておいてはくれないのか。本当に、いいかげんにしてほしい。

「ばあちゃんはどうだい、元気かね。近頃、顔を見かけねえけど、どうしてる。ちゃんとお経は上げてるかい。おめえのばあちゃんは気性がはげしくてな、二、三日お経を上げて、効き目がねえとなるとすぐに拝むのをやめちまう。あれじゃあ、だめだ。だって、三日でお経が効くわけがねえもの。今度おれが行って、いっしょに上げてやるって言っといてくんな。」などと言う。実は、この婆さんのために、わが家はえらく苦労させられたのである。祖母に、あんたの運勢が悪いのは、信心をしないからだとか何とか言って、ある宗派へ無理やり入信させ、それからというもの、わが家には説教師が次々と現れ、説教をして行くことになった。この説教がまた、いつ終わるとも知れぬほど長いから、聴くだけで祖母はへとへとになる。そこへ待ってましたとばかりに、やれ、どこどこの教会に、お布施をすればきっと神経痛に効くからぜひお参りなさいだの、これこれの人物にお布施をすれば後生が安楽だからぜひご紹介しましょうだの、しつこく迫ってくる。とうとう祖母も根負けして、ついうなずいてしまう。うなずいてしまえば、お布施をしなければならなくなる。お布施をすれば、当然、わが家の生活費を切り詰めなければならない。わが家にとっては死活問題だ。祖母も納得して返事をしているわけではないから、説教師が来たら誰かそばについてやって、何とか祖母のお布施を阻止しなければならない。そんなことに時間を取られて農作業は当然はかどらなくなった。それで、結局どうなったかといえば、祖母の神経痛がさらに悪化しただけだ。

 祖母はこらえきれずに、その宗派を脱退した。ところが、あいにくなことに卵を売りに行くその場所がこの婆さんの家の前なのである。祖母はあからさまに、その婆さんの悪口を言ったことはないが、内心苦々しく思っていたことだろう。しかもこの婆さんは、祖母が脱退したことを忘れていて、時々一緒にお経を上げようなどといってやって来るから腹立たしいことおびただしい。自分の責任というものに、まったく気がついていない。

 婆さんはこうも言った。

「おめえも感心だな。卵売ったり、買い物したりして、よく手伝うじゃないか。うちの正雄なんか何もしやしねえ」

 正雄というのは婆さんの孫で、わたしと同級だった。わたしが買い物をして帰るのを婆さんに言ったのも正雄に違いない。

「ところで、調子がよくねえって聞いたけど、母ちゃんの具合はどうだね。こないだリヤカーを引いて通るとこを見かけたけど、それほどとも思えなかったが」

 これは、母がからだの不調を理由に班長を引き受けたがらないのを、暗に非難していることばなのだ。わたしは聞こえないふりをした。

 婆さんが話しているとき、わたしはたいてい秤を見ていて聞こえないふりをするか、黙って下を向いて話が終わるのをひたすら待つ。そうして男から代金をもらうと、もうこんなところに二度と来るものかと思いながら、一歩一歩に怒りを踏みしめ踏みしめ、急ぎ足で帰って来るのだ。

 それにしても、大人はどうして余計なことばかり言うのだろう。どうしてわたしをそっとしておいてくれないのか。だいたい、わたしに声をかけてくる大人の話でわたしの役に立ったためしはない。同情を装いながら最後には攻撃をしかけて来る。わたしは何度足をすくわれ、崖から谷底へ突き落とされる恐怖を味わったことだろう。道で村人がわたしに声をかける。そのたびに、わたしの背中は凍りつき、足はすくむのだ。大人たちはいったい、わたしに何を望んでいるのか。わたしをからかって楽しんでいるのか。
 なるほど、彼らにも言い分はあるだろう。たしかに母も祖母も、一度思い込んだら考えを変えようとしない頑なな人間かもしれない。だから彼らが不満を持つのも当然なのだ。だが、その不満をなぜ年端も行かぬ人間にまで話そうとするのか。年端の行かぬ人間はそのことをどう判断したらいいか分からず、ただ悲しむだけであるのに。

 わたしはその理由をこんな風に想像してみる。おそらく彼らも、わが家に対する不満をどこにぶつけていいか、よく分からないのだ。ただし、大人である母や祖母にぶつければ激しい反発の感情を引き起こすことだけは分かっている。今後付き合いをやめる覚悟でもしない限り、大人に面と向かってものを言うのは避けたいのである。その分、はけ口はわたしになる。わたしなら反論もせず、声をかければ、走って逃げるか、下を向いて黙々と通り過ぎる。それが彼らにはおもしろいのだ。彼らはそんなわたしを目で追いながら、無意識のうちに心の中で、『へへ、言ってやったぜ、ざまあみろ』と叫んで、溜飲を下げているのではないだろうか。だから、そんなわたしがめずらしく、
「おじさん、そんなこと聞いてどうするの」と反発すれば、彼らは怒りのやり場を失って、大人以上に激しくわたしを憎むのだ。まるで飼い犬に手を咬まれたかのように。だがわたしに誰かの手を咬もうなどという気があったろうか。
作品名:後ろ姿の少年に4 作家名:折口学