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エフェドラの朝

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中学の同窓生が集まった。田舎には男の本厄42歳、女性の本厄33歳に同窓会を開く慣わしがある。その日は女の本厄で懐かしい友人が集い昔話に花が咲いた・・。
「千秋は成績が良かったから、いい大学に行ったんでしょ・・」少し酔った同じクラスの女の子が訊ねる。
「大学へは行かなかった・・高校を卒業して土方した・・。」と真顔で答える。
「冗談・ばっか・・昔と一緒だね・・。」同じクラスの女の子が笑った・・。



「にいちゃん・・何で泣いているの?」まだ幼い2人の弟の背中を流す。
「今日からにいちゃんがお前らのおとうさんだ・・いいな」

あの父の失踪の夜、私たち兄弟は何時ものように風呂に入った。
小学一年の三男の小さな背中を流すと・・。涙が込み上げてくる。
中学1年の次男が不安そうな目で私を見つめる。わたしは裸の二人の弟の濡れた頭を両手で抱き泣いた。

空しい嗚咽が風呂場に響いた・・・。

その日から16歳のわたしは母と2人の弟を扶養する男になる決心をした。
早く仕事を持って母と弟の面倒をみる・・それだけが目的になった。


学校の勉強など糞くらえ・・早く卒業して稼ぎたい、どんなに辛い仕事でもいいから沢山、金を稼ぎたい。それだけが目的になった。眼光だけがギラギラと光り、笑いを忘れ、重責に溜息をついた。自ら進学組を辞退し就職組に編入した、ただただ卒業する日だけを指より数えた。

授業中は先生の話も聞かず来る日も来る日も机にうっ伏し寝た。
いや・・寝た振りをした・・。
「お前・・やる気あんのか~」数学の中村の怒鳴り声が教室中に響く・・・
きたきたきた。
お待ちかねのゲームの始まりである・・。
「ね~よ・・ところであんた何で教員になったんだよ・・。」
「休みが多くて給料が安定しているからだろ!」
・・毒付き挑発する。
「お前には絶対に単位は出さないからな・・覚悟しろ」
中村がわらわらと肩を震わせ冷たい目が銀縁の眼鏡の奥で嗤う。
「満点獲りゃいいんだろう・・それだけだろ・・タコ」

また、寝た振りをする。集中力は極限まで高まり、耳は超高性能パラボラアンテナとなる。
ノートは意地でもとらない、仲間からも借りない。自宅ではその教科だけを必死で明け方まで勉強した。あとの教科は赤点でも気にしない。あの冷たい目の教員の鼻をへし折る事だけに集中した。
・・・・・ゲームだ・・学習はゲームさ。


ただ高学歴の者に対する挑戦だった。自分の運命を怨み、他人を妬み、何かに憤怒した。耳に安全ピンを打ち込み、体制を呪った。知性を嫌悪し、理性を蔑み、廃退に歓喜した。

「お前な・・就職はどうする気だ?」就職指導が訊ねる。
「近所の出稼ぎのオヤジに付いて行って土方になる・・。」
冷たく言い放ってやった。
「・・・・・。」就職指導員が呆れ顔で言葉を失った。

卒業の日、好きなレコードと本を捨てた・・。ビートルズもガーファンクルもディープパープルもピンクフロイドもザ・フーもツェッペリンも・・・・。

暗く寒いその日、紙袋2つを下げ逃げるように夜行列車に乗った。幾つかの駅を乗り継ぎそこに着いた。その小さな建設会社兼飯場は東京、板橋にあった。古いプレハブ作りの2階建ての建物で錆びて崩落しそうな階段を上ると、2階は概ね16人の作業員が寝るスペースがある。山谷からの手配の作業員、横浜、寿町の作業員、目は姑息に此方を値踏みする。
「にいちゃん、その女みたいな手じゃ使い物にならんな、いいとこ3日か、へっへっへっ。」片目の毛玉ジャージ男が嗤った。

わたしは片目のそいつを睨みつけた。




「え~と・・あんた・・そこの真ん中の布団を使って」
「若い新人さんだからみんな面倒みてやって・・。」初老の事務員が面倒臭そうに言うと、食事と入浴の時間を告げただけで下りて行った。湿気て汗臭い布団一組と紙袋2個これが私の全てとなった。初めて自分で洗濯をする。他人の垢で汚れたシーツと布団カバーを洗う、嫌悪が湧き上がる。洗濯機の渦をじっと見つめると不安と焦燥が鎌首を持ち上げた。トラックの帰って来た気配があり、人のざわめきを感じる。
「ばかやろ~さっさと機械下ろせっていったろ!・・」駐車場から誰かを罵倒する声がする。
長身色黒、右足を少し引きずる男が若い衆を怒鳴り付ける。若い衆は恐怖の表情でその男の指示に従った。「乳剤は倉庫の左隅だろ、ランマのコックは閉めろ・・混合ガソリンの量を見とけ・・。」
塩辛声で男は次々に指示を出した。・・・その荒くれ男は林という名だった。


「呑め・・。明日から俺の言うことをきけ・・いいな」林がわたしのコップにビールを注ぐ。
白髪の頭にはヘルメットの跡が残り、黒い爪垢の左小指の第一関節から先が無い、袖口から刺青が覗く。
ガサツで無遠慮で不潔・・・・嫌いなタイプだった。

山手(手配師からの作業員・・週給で給料の支払いがある)を蔑み、高卒のわたしを羨んだ。千葉の出で農機具の有能な販売員だった事を自慢した。未成年のわたしに酒を強要する、汗臭い腕をわたしの首にまわし、まともな部下が出来たとタバコの脂で黄色くなった歯で笑った。



あの部屋へ戻ると、全員の視線が此方を凝視する姑息で猜疑に満ちた目がある。
ひとり浴室へ向った、荒くれ共の声がする。
6畳程の風呂場は湯気立ち4人の大男が髭を剃り、石鹸の泡が身体を這う。
背中の刺青は、不動明王が怒りの瞳孔を開き、龍が天空を舞い、鯉が激流を昇り、釈迦如来が瞑想する。

「にいちゃん・・今日から・かい?」
「はい・・よろしくお願いします・・・。」自分の声が上ずっているのが分かる。

わたしは逃げ道のない、とんでもない世界に迷い込んだようだ・・・。
世間の常識も倫理も通用しない、雄という野生の本能だけが息づく深い森に舞い降りてしまった。
腕力と暴力だけが絶対権力を持ち、ここでは理性や知性など何の武器にもならない。
ただはっきり言える事は身体を強靭な筋肉の鎧で武装し相手を無言で威嚇し、自分自身を守らなければならない事は必至だった。

シーツも無い不潔で他人の汗の滲みた布団に入ると、見知らぬ他人が隣で鼾を掻き寝返りを打つ。頭の向こうで歯軋りがし、誰かの寝言が寝込みを襲う。
闇の中、何処かでコップに酒を注ぐ音がする。

ただ・・・故郷の自室の清潔な布団を思った。母を思った、二人の弟を思った。
慣れない酒に酔い先の見えない不安が襲う。薄明かりの中、自分の手を見る、父親に似た細くて長い指を疎ましく思う。力仕事などしたことのない女のような手を憎いと思う。
浅い眠りが、うらうらと波打つ・・誰かが枕元をよろけ便所へ立った・・窓から蒼い薄明かりが入り、黄色くささくれ立った畳と色醒めた布団を照らした。

早朝5時・・・いよいよ朝が来た・・どん底の朝が来た。
たまごかけご飯をかきこみ・・味噌汁を流しこむ
林の罵倒が聞こえる「ばかやろ~お前運転だろ・・。」
運転免許を取得して2ヶ月、初めての東京、道も知らない・・。
不安で失禁しそうになる・・・生まれて初めて・・トラックのイグニッションを回した。
作品名:エフェドラの朝 作家名:石田健介