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祖父の遺産

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祖父の遺産


「おい春子、起きろ。おい起きろ!」
古いセドリックの車の中で一夜を過ごした辰男は、助手席で横たわる春子の肩を揺すった。

 四月の薄暗い朝はもう動き始めていた。いくつか消えた街頭が並ぶ通りを、スーツ姿の若者が小走りに駆けていく。倒したシートの車の中からは、五分咲の桜の花が見える。
 春子はまだ 頭の中が混乱していた。沈んだシートの姿勢のためかと思ったがそうではない。時間がたつにつれ昨日のことを思い出して来たが、それにつれてまた怒りがこみ上げてきた。


 春子の祖父は浜名湖の近くの村の名士だった。
 中世からの本百姓の家柄で、戦後の農地解放で減らしたとはいえまだ三町歩の田畑と、百町歩の山持ちであった。山の三分の一は平地の里山で、その里山を春子の父が相続した。なぜ四人兄弟の末っ子の父が、その里山を相続したのか知らされたのは、ずっと後になってからだった。
 その父は、春子が生まれてすぐに亡くなり、母は春子を連れて故郷山梨の甲斐駒ヶ岳の麓の村に帰って春子を育てた。母一人娘一人の家庭であったが、母は気丈夫に春子を育てあげた。
 その母のところへある日、亡き父の長兄から一通の封書が来た。それが、すべての始まりだったのだ。


 辰男は近くのコンビニから缶コーヒーを買ってきた。
 春子は、それを口にしながら、昨日の出来事を思い出していた。
 ・・・たしか、証書をもって、帝都銀行へ行ったよな。
 窓口で、ずいぶん待たされたっけ。それから男の人が出てきてなにやら言われて、狐につままれたようだったな!
「当行では、現在この業務は行っておりません。」
「えっ?」
 押し問答をしたけれど、結局、訳もわからず銀行の外に出たんだったっけ・・・。

 辰男が、話しかけてきた。
「森本弁護士へは、連絡とれたかな?事務所へ確認してみようよ。」
 まだ、八時前だというのに、辰男は春子に早く電話をせよと迫った。

 ・・・そうだ、銀行を出てから森本弁護士のところへ寄ったっけ。でも出張中で 明日は事務所に出てくると言ってたな。立ち寄ったファミレスで、遅くまで過ごしながら
「どうなっているのだ!」
という、辰男の言葉に
「私の方が聴きたいよ!」
と、当たり散らしたっけ・・・。

 日が昇り始め、ようやく二人は、節約のために車中ですごした郊外の公園の駐車場から出た。そして昨夜立ち寄った街道沿いのファミレスに入った。

「どうなってるんだ!」
 辰男は また 昨夜と同じ言葉を春子に投げかけた。
「だから、私に言わないで!」
 春子もまた、昨夜と同じ言葉を返していた。
 モーニングを取りながら、しばらく沈黙が続いた。
 やがて、店内で身支度を調えた二人は、銀座の森本弁護士の事務所へと向かった。
 昨日応対した事務員は、昼過ぎには事務所に来るだろうというと云う事だったので、時間はゆとりがある。しかし、辰男の運転は乱暴だった。
「もっと静かに運転してよ。」
 春子もいらだっていた。
 十一時きっかりに 辰男の携帯が鳴った。
「あっ、岡田さんだ。どうしよう。」
 助手席で携帯を取った春子が言った。昨日の結果を 知らせる約束をしていたのだ。
「後から 電話するからと言っておいてくれ。」
 春子は辰男の言葉に従って電話に応対した。そして新宿を過ぎた所で、弁護士事務所へ電話を入れた。
「先生は何時頃事務所へ出られますか?」
「ああ、藤原さんですね。今日は横浜地裁へ直行で、そのあとは、事務所へは戻らないとのことです。来週の月曜日には、朝から居りますが・・・。 おいでになったことは伝えてあります。」
「辰男さん、どうしよう。」
 春子はようやく冷静になってきた。というより心細くなっていた。森本弁護士とは、今まであまり話をしたことがなかったから、実のところ相談しても大丈夫だろうかという懸念があった。
 だからその足で二人は、中央道を西に返した。

 夕方、春子と辰男は、八ヶ岳山麓の岡田のところに着いた。
 辰男と同郷で五年先輩の岡田は、不動産会社を経営しバブルの波に乗って大きく稼いだ。しかし、新宿にあるビルの買収に関わって、組の者とトラブルになり、不動産業界から手を引いた。バブルが崩壊した直後に、貯めていた金で、「仙道」を看板にしている宗教法人の総代職を買い取り、今はその道場に住んでいる。信者はいないに等しいが毎年信者三〇〇人と届け、体裁だけは整えている。
 八ヶ岳の麓の別荘団地に隣接した、広い白樺林の中に道場はあった。道場と言ってもいわば別荘だ。住居は東京にあるが、組と関わった時に籍を抜いた妻と二人の子供が住んでおり道場には年に三〜四日ほどしか来ない。むしろ岡田が港区芝のマンションへ行くことの方が多い。
 辰男は、形ばかりに掛けてある玄関の木鐸を叩いた。岡田は辰男等が来たことは先刻承知で
「お〜い、こっちへ どうぞ!」
と、向いの建物から声を掛けてきた。囲炉裏をあつらえた古風な作りの平屋の建物だ。
「これでも信者用の、いわば宿舎だよ。」
と、含み笑いをした。二人には勝手知ったところだが、今日はかなり緊張していた。
「なにかあったな?」
 岡田が 口火を切った。
「換金できなかった・・・。」
 辰男がつぶやいたあとしばらく沈黙が続いた。
 辰男は岡田から二千八百万円借りており、返済の期限は四月の十日だ。あと九日である。
 辰男は、春子と結婚するため前妻に慰謝料と子供の養育費を払い籍を抜いた。その金は全額岡田が出し、その後もたびたびお金を借りていた。そして少しずつ借り増した合計が二千八百万円になっていた。そこまで用立てるには、岡田が納得する理由があった。


 ある日、春子の亡き父の長兄から母のところへ手紙が来た。
『国の整備局の人がそちらへ行くので、失礼のないように』
と言う内容だった。
『久しぶりの手紙なのに、素っ気ないのね。』
と、母がつぶやいたことが、不吉な予感をさせた。その後まもなくして整備局の幹部の人が来た。
春子は、来たことまでは知っていた。その幹部とも会った。しかし甲府へ就職し一人暮らしを始めた春子には、その後のことは知らされてないかった。母はなにも話さなかったのだ。

 春子は辰男と知り合い交際を始めていた。当時妻とは別居をしていた辰男は春子の勤め先の取引先の人で、たびたび会社に来た。人なつっこい辰男は春子とすぐに気があった。
 休みに家へ帰っても母は春子に何も話さなかった。
 しかし、一人では役所と対応できなくなった母は、家へも来るようになっていた辰男に話をした。
『将来いい思いができるから少し手助けをしてくれないか? 春子と籍を入れてはくれないか?』
 辰男ははじめ聞き流した。それに春子もそれほど積極的ではなかった。
 しかし母は『一緒に名古屋へ行って欲しい』と切り出た。
「祖父が残してくれた父の山に道路が通ることになって、その売買契約に役所まで行かなければならないので、車で連れて行って欲しい。」
ということだった。
 乗り物に弱い母は、気心知れた辰男を頼りにしたのだった。
 それでも契約内容は『億にはなるみたい』と言うだけで、細かな話は一切しなかった。
作品名:祖父の遺産 作家名:史郎