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生者に贈るレクイエム

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 おかしな方向に曲がった首。
 きっと一瞬でミンチ状になってしまったのだろう。ばらばらに砕け散った肉片をかき集めただけの身体は赤黒くゆがんでいる。
 かろうじて人型をとっているそれが、両手と思しき肉塊を前に伸ばした。ずるりと気味の悪い擬音を立てるような動作でホームの上へと上がってくる。
 のたくたと緩慢な動作でしかないが、少年は切実な危機感を覚えた。
 ――金縛りだ!
 周囲のざわめきが、消えた。
 不自然な無音の中、何も知らない人々の足の間をすり抜けて這うようにこちらへにじり寄ってくる黒い影。
 逃げようとしても、感覚を失った身体はピクリとも動かない。
 ――殺される!
 途方もない絶望が彼の全てを覆い尽くした。
 と、その時だ――。
 自分と黒い人影の間を遮るように、誰かの影が割り込んできた。
 自分を庇うように立っていたのは、全く知らない少年の背だった。
 自分よりほんの少しだけ身長が低い彼はどこかの私立高の学生なのだろうか。見るからに高級そうな深緑のブレザーを着こんでいる。かなり丁寧に手入れされているようで、制服には埃一つついていないし、ズボンの折り目もぴしりと美しい。
 ゆるやかにウェーブした黒髪を薄紅のリボンでくくって一つにまとめている。カラスの濡れ羽色とは彼のような髪を言うのだろうか。クラスの女子がうらやましがるくらいくっきりと光の輪を頂いていた。
 しゃんとした背中は毅然としていて、それだけで助かったと感じたぐらいだ。
やがて、彼はゆっくりとこちらを振り返った。
「あ」
 呼吸が、止まった。
 少し色素の薄い瞳に意志の強そうなまなざし。
 薄い身体に中性的な横顔が浮き彫りになるが、しかし、その凛とした表情は強く頼りなさとは無縁である。
 少年は嘆息した。
 ――なんて綺麗な人なのだろう。
 そんな場違いなことを思う。
 男性にしては綺麗すぎる白い肌は透き通る白磁のよう。それは緩やかなベース型の輪郭を描き、頬の血色がよく映えた。
 アーモンド型のこぼれ落ちそうなほど大きな瞳、桜色の薄い唇はどこか幼くも感じられる。
 悪霊に追い詰められた危機感を忘れてしまうくらい、清廉と非の付けどころのないような美貌の人だ。
 これだけでも十分に目立つわけだが、さらに彼の存在感を際立たせているのが右目を覆う眼帯だった。
「顔色がすごく悪いです。大丈夫ですか?」
 酷く心配そうな声で、瘴気に当てられていたことに気付いた。
 身体に力が入らない。
 そのまま真後ろにぶっ倒れそうになったが、その美少年が慌てて支えてくれた。
 女の子ではないとはいえ、この美貌である。
 すぐ目の前、相手の顔を若干見下ろす形になった少年の心臓は悲鳴をあげた。
 ――距離近ッ!
 しかしすぐに違和感を覚えることとなる。
「あ、れ?」
 その原因に気づいた瞬間、ギョッと目を見開いてしまった。
 布製のやや緩い眼帯の隙間から、隠し切れていない目の周りの皮膚がただれてケロイド状になっているのが見えた。<
 それだけじゃない。
 ――この人の、目……っ!
 自分の霊能力は底まで高くはない。とはいえ、直接触れたものであればそれなりに高い精度で霊視ができる。
 少年には分かったのだ。彼の眼帯の下に在るべき眼球が「ない」ということが。
 義眼のはめられていない眼窩が、ぽっかりとこちらに向けられている。
 常人と異なる姿形。
 気が付くと自分が後ずさっていた。
「ああ、ごめんなさい。逆に驚かせてしまいましたね」
 礼儀正しく誠実そうな声に、苦笑している様がくっきりと表れていた。
 その時になってようやく自分の表情に気付かされる。化け物を見たような反応を返してしまったとても恥しい気持ちになった。
 ――謝らなければ!
「あ、あの、すみません……っ、別に俺――」
 謝らなければならないと思ったがうまく言葉が出てこない。すると、彼は笑って言った。
「いえ、気にしないでください。もう慣れてしまいましたから」
 彼はにこにこと笑いながら言った。
 しかし、傷つくことに慣れることはできないと思う。初対面の人間に拒絶されても気にしなくていいなどというセリフを――それもこんな屈託のない笑顔で――口に出させてしまったことに対し、ひどい罪悪感を覚えた。
「自分の顔には見慣れてますけど、義眼を入れていない状態だと、自分でもちょっと怖いと感じちゃうんです。朝顔を洗おうとして鏡を見ちゃった時とか」
 彼は「いやぁ、困っちゃいますねー」と頭をかいて見せた。無理やり笑っているのとは違う、ごく自然な笑顔である。が、笑って話すべき内容ではない。
 胸が詰まって何も言えなくなった。
「本当なら義眼を入れるべきなんでしょうが、ここに不純物を挟んじゃうと僅かとはいえ視界の妨げになりますから。それにこれは……僕にとっては大切な意味を持った傷痕なので」
 最後の一言は、独りごとに似ている。
 彼は愛おしいものを触れるような手つきで瞳を隠す眼帯に触れた。
「そう。見えない眼で見るからこそ、僕ははっきりと見ることができる。――例えば、今僕の右足を掴んでいるこの人を正しく霊視することが」
 その言葉にギョッと目を見開く。
 ――そうだ! この人に気を取られて完全に忘れていたけれど、ここにはあいつがいたんだった!
 足元を這いずるようにしてこちらへにじり寄っていたあの男。そいつが今自分の前に立つ少年の足首をしっかりととらえていた。
 骸骨のように丸くて深い闇の色をした瞳がただ恐ろしく、うっかり直視してしまった両の瞳から涙があふれ出してくる。
 一人でも多くの人間を不幸に陥れたいのだろう。空いている手が自分の方へも向かってきたが、緩慢な動作であったのと、それから金縛りが完全に解けていたのもあって、易々とかわすことができた。
 そいつは新たな獲物を捕らえそこなったことにひどく名残惜しそうな様子を見せたが、すでに一人は確保しているからだろう、素直に手をひっこめた。
 ――助かった。
 心配して駆け付けてくれた彼には申し訳なかったが、ほっと安堵した。
 そして同時にそんな身勝手な自分に吐き気を覚えた。
「……何をぼけっとしているんです?」
 悪霊に掴まった彼が低く声をあげた。
 柔らかな声に含まれた隠しようのない棘に、責められているようで震えてしまう。
 しかし――。
「さっさと出てきてください。使えない人ですね。ったく、これだからバ神埼は」
 ――バカ、ンザキ?
 どうやらそれは誰かの名前であったらしい。
 打てば響くとはこのことか、背後から響く応えの声があった。
「ハッ。お人よしのア焔<ほむら>だからな。このまま次の特急列車がやってくるのを待つつもりなんだろう。そう思っただけだ」
 振り返った少年は言葉を失った。
 先ほどの少年も十分に美形だったが、後に立っていた青年は絶世の美丈夫――いやもはや人間というものの範疇を逸脱していた。
 鮮烈すぎていっそ目の毒になるような美しさ。それも美しい人形のようにただそこにあるわけではなく、鋭利な刃物で切り付けてくるような激しさを内包している。
作品名:生者に贈るレクイエム 作家名:響なみ