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縫い目

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縫い目

 彼女はその傷痕を「縫い目」と呼ぶ。
 白い肌に走る痛々しいまでのそれに唇を這わせるのが夜毎私に与えられた儀式のようなもので、彼女がくすぐったいと笑みを零す唯一の時間。
「これがあるから、生きていられるのよ」
 私が与えた傷。彼女がいとおしむ「縫い目」。かつて剣を交えた敵将をこの腕に抱いているのは何とも奇妙だ。

 彼女との逢瀬は常に戦場だった。
 隣国同士、常に国境線を境に諍いが絶えなかった。両王は形ばかりの平和条約を結び「領土侵犯をしない」「国境線を守る」という約定を交わしているのだが、人間の猜疑心は簡単には解けず、平和もまた口約束だけでは訪れない。現に軍備は解かれる気配もなく、一方の兵士や傭兵がちょっかいを出しては喧嘩のような一線を交えている。
 呑気な辺境警備だと言われればそれまでだが国境の守りは一番重要だ。そこに指揮官として配置されたのが彼女と私だった。
 彼女は戦場に在っても美しかった。黒く艶のある鎧に身を包み、ゆるく波打つ髪を揺らす姿はこちらの砦からも判る程に。
 ひとたび対峙すれば、常に誇り高く、強く、真っ直ぐな視線を私に投げつけてくる。
 細身の剣を私の胸元に突きつけ、
「今日こそ廃業させてあげるわ」
「傷痍軍人になれば、少しは楽になりますかね」
 軽口を叩きながら得物を構える。私がいなくなっても代わりの指揮官が派遣されるだけで、何も変わらないということは判ってはいるものの。
「その代わり、敵将同士とは言え貴方に会えなくなる」
「一度くらいなら見舞いに行くから安心なさいな」
 ぴしゃりと返される。
国同士の膠着状態を真似るでもなく彼女と私の腕は正しく互角であり、一度も決着がつくことがなかった。それを知ってか、我々の一戦となると周りが敵味方の区別なく争いの手を休め、あろうことか賭けさえ始まる始末。
 彼女と戦うのは純粋に楽しかった。自国にはもう私と戦えるような剣士はいなかったから。
 強い人間と戦うのは楽しい。強い人間と剣を交えられるのなら、国や戦争などというものは私の前では何の価値もないものだ。
 人を殺めることは好きではない。単に強さを求めたいだけ。私は、強いというだけでここに立っている人間だった。軍人である自覚など殆どないに等しい。最低限考えていたことは自国の兵を守ること。一人でも死なせないようにすること。代々騎士の家に生まれてそんなことではいけないと小言を漏らす父親や兄を黙らせるのには剣技ひとつで十分だった。
 そんな落ちこぼれの私が身にまとっているのは、強さで手に入れた騎士の証である銀の甲冑。これだっていつ脱いでも構わない代物だと思っている。私には剣だけがあればいい。他に欲しいものと言えば……。
 ゆっくりと頭を上げ、視線を合わせる。
 彼女の剣は家紋である百合の意匠。シンプルな剣を得物とする私には、その細工の美しさが羨ましく思えた程だ。
「いつ見ても惚れ惚れしますね」
「無駄口を叩く暇があって?」
 厳しい声と共に繰り出される突きを避けて振り返ると、目の前に、彼女の、背中が。私は、無意識に、剣を、振り下ろし。
 急に、視界が赤く染まりスローモーションになる。
 まさか、そんな。
 彼女が私に負けるなんて。
 膝をつき真っ赤に染まる背中を無防備にさらけ出して倒れた彼女の頬に触れると、
「……やっと本気を出したわね」
「いつでも本気でしたよ」
「でも、わたしが負ければ剣を手放すという噂を聞いていたのでしょう?」
 それを言われて答えに詰まる。
 年頃の貴族の娘でもある彼女は執拗に親から結婚を迫られており、「剣士として負けたら、剣を捨てて結婚する」と約束しているという話は噂ではなくどうやら事実のようで。
 私は「遊び相手」を失いたくなくて、いつの間にか無意識に手加減をしていたのかも知れなかった。それを、彼女は見抜いていたのだ。
 マントを外し、汚れていないところを背中の傷にあてがう。彼女は一瞬顔をしかめたが、すぐにいつもの表情に戻る。こんなときですら、敵国の将であろうとするのは溜め息が出る程立派だ。
「あら、介抱してくださるの?」
「これでも、騎士ですから」 
 身体が無意識に反応したものの、咄嗟に力を加減したのでそんなに深手は負わせていない筈。手応えでそう判っていても。
 私の剣が、彼女を傷つけた。
 今まで何度も剣を交えているので軽い二、三の刀傷の応酬はあったが、ここまでのものは初めてで、私の方が動揺しているようだ。
「……すみません」
「どうして謝るの? 貴方が勝って、貴方に賭けていた連中は喜んでいるようよ?」
 周りの喧騒を皮肉って笑う姿さえ花がほころぶように美しいと思ってしまうあたり、私は重傷かも知れない。

 捕虜として自軍に迎え入れ、彼女を城へ連れていくことになった。
 ……陛下に、私が勝ったという証拠さえ見せれば彼女をどうこうなさることはないだろう。この国でも彼女の美貌と腕は有名だし、下手なことをして隣国の怒りを買うような愚行もしない筈。
 いざとなれば私がこの銀の鎧を脱げばいいだけだ。
 出発は明朝となり、その夜は砦の中でも一番上等な私のベッドで休ませることになった。私は見張りも兼ねてソファで休むと伝えているが、それでも注がれる好奇の視線。彼女は非常に気に障るようだが、私は一向に気にならない。寝る前の手当を終えた衛生兵が下がり、二人きりになるとあからさまに視線がとげとげしいものになる。
「そんなに警戒しなくても。私が怪我人に無理強いをするような非人道的な人間に見えますか?」
「優しい優しい騎士様ですものねぇ?」
 背中に負担がかからないよういくつもクッションを重ねた上にもたれ、湯気の立つ紅茶のカップを両手で持った彼女はふと鋭い視線を和らげた。
「……これで、糸が切れたわ」
 ぽつりと漏らしたのを私は聞き逃さなかった。
「糸?」
 ティーポットを置いて顔を上げる。
「貴方と一、二を争う負け知らずの剣将であるということも、家に張り詰める重圧も」
「私と比べられることは、そんなに負担でしたか?」
「……ええ」
 後者はともかく、前者は少々意外だった。楽しんでいたのは私だけで、彼女にはただただプレッシャーなだけだったなんて。
「そんなことは露知らず、私は貴方のお相手をするのが楽しみで仕方ありませんでした。申し訳ない」
 彼女の髪が「違う」とふるふる揺れる。単純な私はそれだけで安堵する。彼女も同じ気持ちでいてくれたことに。
「……敵味方なんて関係なく、ただ剣技を競うだけなら良かった、のに」
「全くです」
本当に、それだけならこんなことにはならなかったのかも知れない。
「わたしは貴方に負けてしまったし、家に帰ってもただでは済まないでしょう。……これはわたしのしがらみを断ち切った後の『縫い目』よ」
 胸元から覗く痛ましいまでの真っ白い包帯に目を落とし、清々したと言わんばかりに微笑む彼女が初めて年相応の娘に見えた。
 私は紅茶を奪い取ってサイドテーブルに置き、ベッドに手をついて彼女を逃がさないよう檻を作った。
「……!」
「では、私でも、いいですか」
作品名:縫い目 作家名:紅染響