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WishⅡ  ~ 高校2年生 ~

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もうひとつの“一年”



 母と合同のリサイタル。アンコール終了の幕が下りた……と同時に、目の前がブラックアウト。
 ――― 気付いた時は、病院のベッドの上だった。
 世界的ピアニストの母・藤森響子(ふじもりきょうこ)。カナダにスタジオを持つ、音楽プロデューサーの父・藤森健吾(けんご)。常に海外での演奏活動をしている二人の間に生まれた少年は、母譲りの才能を父の感性で磨き上げられ育った。リサイタル自体はまだ二度しか行っていないが、関係者の間では“天才ピアニスト”の呼び声も高く、その将来を期待されていた。
 そんな中での、突然の意識喪失。両親から告げられたリサイタルの無期休止。いや、リサイタルどころか、ピアノに触れる事すら禁止されてしまった。物心付いた頃から、おもちゃ代わりだったピアノ。今では、触れていないと落ち着かないというのに、だ。
 そして、父の、
「日本に帰ろう!」
 突然の帰国宣言。
 十五の春、少年は十年振りに日本の土を踏んだ。
 単位なら、既に『大学入試資格』まで取っているから、わざわざ高校へ通う必要などないのだが、
「日本にいる間、友人が一人もいないっていうのは、良くないと思うのよ」
 という母の言葉に従って、とりあえず高校へ通う事にした。
 ピアニストの母と音楽プロデューサーの父。そんな環境に育った少年は、外国を転々とする生活が当たり前になっていた。
 それが、少年が十五歳になった時、
「日本に帰るぞ!」
 との父の言葉に、行き成り帰国する事になったのだ。
「……日本……?」
 首を傾げる少年。
 両親のこの急な決断の原因は、自分なのだとなんとなく気付いた。両親は何も言ってくれないけれど、決断を促したのは、十四歳の春に倒れた自分自身にあるのだと……。低血圧からくる貧血で倒れたのだと思っていたが、問いただした所で両親は答えてはくれなかった。
「お祖父ちゃん達に、久し振りに会いに行きましょう」
 母が少年の頭を撫でる。
「二・三年滞在して日本を満喫したら、また、演奏旅行に出掛けよう」
 父が微笑みかけてくる。
「でも、仕事はどうするの?」
 世界的なピアニストの母とそれをプロデュースする父。そして、そんな両親の元、おもちゃ代わりにピアノに触れていた少年。母のリサイタルで世界を駆け回っていた数年間、二・三年くらいなら仕事をしなくても生活できるだけの貯えがある事は分かっているが、あれ以来何故か演奏を禁止されている自分はともかく、ピアノが自身の一部のような母がピアノを弾かずに過ごせる訳がない。
「日本の高校でね、特別教員として招いてくれるところがあるの。そこで、音楽を教えながら、ピアノを弾くわ」
「……でも……」
 だったら、自分もピアノを弾きたい……。
「今までより、ずっと傍にいられるわ」
 “傍にいなければならない”程、何かあるのかと……訊く事は出来なかった。
 ――― 少年の名前は、奏(かなで)。藤森奏。

  
 奏は、日本の高校へと通い始めた。“帰国子女”という事で、最初は人に囲まれていたのだが、元々、人との接触があまり得意ではなかった所為で、一週間を過ぎる頃にはひとりでいる事が多くなった。
 そんなある日。
「……そうね。折角ピアノもある事だし……」
 音楽教諭が奏を手招きし、
「藤森くん。お願いして、いいかな?」
 授業の一環として、ピアノ演奏を依頼された。
「……でも、僕、演奏は……」
 そう。両親に止められている。
「藤森響子さんのお子さんだから、ピアノ、弾けると思ったんだけど。……ひょっとして、弾けなかったのかしら?」
 “だったら、ごめんなさいね。”と教諭が申し訳なさそうに両手を合わせる。奏の才能に関しては、関係者以外は知らないのだ。だが、ここで奏は考えた。両親に言ったところで、きっと演奏の許可は下りない。目の前には、ピアノ。母が特別講師として他所の学校で弾いているように、自分も弾きたい。
「いえ!」
 奏が席を立つ。
「母の曲でいいですか?」
 教諭が頷き、クラスメートが首を傾げた。
 ピアニストの奏の母は、作曲活動も行っているのだ。
 奏がピアノの前に腰掛け、指を鍵盤へと動かした。
 聴いた事のあるそのメロディーに頷く声。指先から零れ落ちるその音は、普段、教諭が使っているものと同じピアノとは思えない程、透明感があった。
 朝露を思わせる儚気な序奏で始まり、よく耳にするメロディーへと移行する。小刻みな音の羅列が風にそよぐ花びらを連想させる。演奏する奏が、まるで風の精のようだ。
 五分ちょっとの曲。生徒達が耳を傾け、奏のしなやかな指の動きに目を奪われていたその時だった。丁度、曲の中間部、テーマが変わるところで、ピアノの音が止まった。
「……藤森くん?」
 背中を丸めたまま、奏がうずくまる。
 奏はそのまま病院へと搬送されたのだった。

  
「……分かりやすく言うと、“拒否反応”だよ。身体が自分自身を守ろうとして、防衛に入るんだな」
 ベッドの脇で父が微笑む。だから、ピアノは禁止なのだ……と。
「……どうして……?」
 訳が分からず訊ねる奏に、
「ピアノって、結構な重労働なのよ」
 母が諭すように、奏の手を握った。
 “ピアノ演奏は重労働”。そんな事なら知っている。でも、それと“拒否反応”とどういう繋がりがあるのか……。
「……演奏を“拒否”する程、僕の身体、悪いの?」
 ごく自然に浮かんできた疑問を両親に投げかける。が、
「さっき、音楽の先生がいらしてたのよ。それはもう、凄い謝りようで……」
 思い出したように母が話を逸らす。
「真っ青な顔して、辞表まで用意して……」
 父の言葉に奏が驚いた。
「先生は悪くないよ! だって、弾くって言ったの、僕なんだから!!」
「そんな事だろうと思って、ほら」
 父がベッド脇のゴミ箱を指し示す。中には破られた白い封筒。
「“先生が辞職なんてしたら、奏が悲しみます”って、パパったら」
 “かっこよかったのよ♪”と母が手を組む。とりあえず、教諭は辞めなくてすみそうだ。そして、
「ね、僕の身体って……」
 奏が話を戻そうとするが、
“コンコン”
 ノックの音に、言葉を中断される。
「藤森さん、医師(せんせい)がお待ちです」
 看護師の言葉に両親が揃って立ち上がった。
「ちょっと行ってくるわね」
「話しは、また後でな」
 頭を撫でる両親のその微笑みが、なんだか作り笑いのような気がして……。
“カチャ”
 看護師の後ろに付いて出て行く両親を見届け、奏がそっとベッドを下りた。
 何も言ってくれないのなら、自分の耳で確かめる!
 静かにドアを開け、三人の後をこっそり付けて行く。廊下の角に身を隠し、下りていくエレベーターの停止階を確認し、診察室の奥にある部屋へと辿り着いた。
「……ので……。……と……」
 よく聞こえなくて、耳を扉にくっ付ける。
「……安静に、静かに過ごすのが、唯一の延命治療と言えます」
 医師の声だ。
「じゃあ、ピアノは……」
「……そうですね。子供の遊び程度なら、なんら問題はないと思いますが、ピアノ演奏……となると……。現に、今回、倒れていますし……」
「しかし、あの子から、音楽を……ピアノを取り上げるなんて、そんな宣告は……」