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佐崎 三郎
佐崎 三郎
novelistID. 27916
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暗夜に行路を求めて

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姫路での三日間を終え、七月の尾道へ入った。去年の3月に訪れたのだが(実際は三度目である)、そのときは仕事の人間関係が拗れたなかで旅だったので楽しくなかった、ある芸人が少しばかり売れたからといって(キングにはなったようだが、それは妙で変な結果だった)、なのにすぐに天狗になったり、つられてマネージャーまで売れた気分で、我々スタッフを見下す余裕が表れ、いかにも愚かな人々だなと思いながら付き合って街を連なって歩いていた。くだらない。今ならはっきりと言える。「みんな、みんな、終わった」と。

姫路では仕事の合間に姫路文学館と姫路市立美術館をレンタサイクルで周ったり、千姫の銅像に声をかけたり、平成の大修理中の白鷺城の公園にいた赤トラ猫と戯れたりして、過ごした。かなり前に、やはりお笑い芸人のUちゃんと何故かふたりでカラオケに行って松山千春の『大空と大地の中で』を熱唱した記憶もよみがえってきた。

今回は毎日一人で手頃な呑屋へ入り、日本酒と少ない肴で呑み歩いた。そのあと立ち食いうどん屋で「かけうどん」あるいは「かけそば」を食べた。3日も通えばお店のおばちゃんも少しは覚えてくれるかなと期待したが、特にそんなそぶりも見えなかったのが淋しかった。自由にトッピングできる揚げ玉とゴマのすり身をたっぷり入れて、毎回汁を一滴も残さず啜った。

姫路は大きな町だった。車道も2車線の一方通行も多く、細い路地でもやはりそうなのだ。不思議な感覚である。自転車でふらふらしていると車の流れがすっきりしている。それがその利点なのかもしれないと思った。

安藤忠雄デザインの姫路文学館はオシャレなラブホテルの隣にあって、なにか張り合っている感の、その立地のアンバランスな感じが面白かった。金曜の午後だからとも言えないが、お客はワタシ一人だった。南館へまず入った。入場料は300円だが、JAF会員であれば割引になる。こういう施設はほぼ使える。しかしどこの受付の女性もそうなのだが、「300円です」と言ったあとに「JAFあります」というと、なぜか笑顔を見せない。見せてくれてもいいのではないかと思う。たかだか40円の割引なんかするなよって顔をしているように見える。今回もそうだ。公共施設の人々はもう少し客商売をすべきである。愛想笑いってことでもないが、おそらく今日数人目の貴重な客なのだから、ほほ笑むぐらいいいだろう。どこかのファーストフードではないが、スマイル0円!だと言いたい。

司馬遼太郎の記念室があった。あまり詳しくも知らないので斜め鑑賞で適当に流していたが、最も印象に残ったのは原稿の文字の小ささだった。やはり生原稿はその重みがあって鑑賞に堪えるものである。作家それぞれの個性が最も一目瞭然にわかる。数多くの文字を見てきたが、皆いい味出している。簡単に書いているように見えるが、懊悩呻吟の末、ペン先からインクが染みていくその脈動が伝わってくるのだ。司馬さんは軽快な感じもするが、色鉛筆で校正した原稿にはやはり言葉に対する闘いのあと見える。ここがポイントである。

生原稿本がいろいろ出ていると思うが、ワタシは何を隠そう(別に隠してはいないが)開高健の『夏の闇』ヴァージョンは購入している。これは読むと言うより眺めて観るという、龍安寺の石庭にも似たものであるので、めったに開かない。一年に一度の御開帳で十分である。

北館にも地元ゆかりの作家展示があったが、中でも気になったのは「岸上大作」である。彼の「ぼくのためのノート」の絶筆の原稿を読んで、その心境を考えてみた。その無力感と達成感(自殺)との入り混じった一種恍惚感(エクスタシィ)をほんの少し肯定した。ただ、その結果は決して望み通りにはいかないと確信するが。

いやらしいほどに凝りに凝ったコンクリート打ちっぱなしデザイン館を出て、お城の公園を自転車で走った。広大な敷地である。これすべて殿様の土地かと思うと、権力者も大変だなと思う。何を信じれば何百人何千人を従えて、安泰な気分に浸れるのか。公園を走って、博物館と美術館のある交差点に出た。レンガ造りの重々しい建物が美術館であった。綺麗に整備された庭には鳥も虫もいず、人工的なハウスの中のような景観だった。その中にずけずけと侵入して、閉館間際に入場した。

実は勘違いしていて、「ベルギー絵本作家展」を覗こうと思ったら、受付嬢に「明日からです」と冷たくあしらわれた。そして常設展JAF割引で入った。コローやクールべ、マネやドガ、小品であるが鑑賞には耐える。最も良かったのはマティスの「Jazz」という切り絵シリーズの数枚が揃っていたことだった。子供の頃から、マティスが好きだった。そのころは名前すら覚えていないが、亡くなった父親の画集を見まくっていると、裸婦が出てきて本能的に興奮するのだが、それがマティスだった。その後、ある事実に驚くのだが、ある日入院先で父が描いていた画集を偶然みた。するとそこにはマティスの「ダンス」に似た絵が描いてあった。線画で数人が手を繋いでいる絵である。ベッドにはそんな画集などないはずだった。ということは記憶だけで描いたのか。つまり父もマティスが好きだったのか。いまとなっては答は永遠に分からない。

節電の為、いつもよりうす暗い展示室の中で警備員のおじさんが腰を反って軽く体操をしている。またしても客はワタシひとり。もうすこしで仕事もおわるな、さて今日は軽く呑んで帰るとするか、みたいな言葉が聞えてくる。まあ仕方がない。客もいない展示室でずっと何を警備しているのかと自問自答ばかりしていたのだからね。ワタシはこの「人と絵の関係」をふと大きな疑問符で俯瞰することがある。芸術ってなんだろう、と。

ルーブルの「モナ=リザ」やアムステルダムのゴッホ美術館の「烏の飛ぶ麦畑」でも、ベルギー王立美術館ブリューゲルの「イカロスの失墜」でも、プラドのベラスケスの「ラス・メニーナス」でも、客観的に観るなんてもしかしたらあり得ないのではないかと思うのだ。実感ってものが、どう伝わり、どう頭か心で分かったかと問えば、何もないと言えてしまう自分がいたりする。レンブラントの俗名「夜警」を前に立った時、その絵の大きさやその存在に驚きはするけれど、それがワタシとどういう関係にあるかなど全く無関係にあるだけだと感じるのだ。これは当然なのだ。

つまり絵それ自体は、まさに昔の画家の有名なただの「絵」に過ぎないのである。その絵に対して、あの間もなく就業の終わる警備員にとっては何の意味もない。あるとすれば、お客であるワタシがせめて「居」れば、なにかあってはいけないと絵を守り、ことによってはワタシを暴行しかねない。そこに関係が生まれる。関係とは一対一というよりも、一対一の間に「何か」つなぐもの、つまり「対」に当たるものが必要なのかも知れない。

ワタシがマティスの絵にのめり込むのは、「父」という存在があるからなのだ。または「裸婦」というものがあるからなのだ。その間に立つというか、良く見えるための踏み台という存在がなければ、何もつたわないで終わってしまうのである。数多くの作品が終わっているのも事実である。
作品名:暗夜に行路を求めて 作家名:佐崎 三郎