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千切れた嘘

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綾瀬七海は友達の見当たらない授業で必ず俺の隣に座る。誰かしら一人でもいればこっちに見向きもしないくせに、一人だと知るや否や、俺が必死にレポートを仕上げていようが、机に突っ伏して寝ていようがお構いなしに寄ってきて、自分の相手をさせる。全くもってマイペースというかウサギ体質というか、はた迷惑な奴だった。
 今日の講義には友達がいたらしい。三限の西洋哲学の授業。通路を挟んで一つ斜め前、女子の塊の中に七海はいた。
うちの学部は正直真面目な外見をした奴らが多いと思う。講義中の私語もほとんどなく、教師の単調な話の合間を縫って、携帯の着信を告げるバイブが遠慮がちに響くくらいだ。そんな教室で、その女子たちは明らかに異質だった。明るい茶髪や金髪を大きく巻き、煌びやかに着飾り、睫毛は瞬きのたびに音がしそうなほど重たげに目を縁取っている。いわゆるギャルが四人、そして七海。七海は不自然なほど黒くストレートな髪をただ下ろしているだけで化粧も薄い。異質の中で七海はさらに浮いていた。
「あー、また七海やるだけやって振ったの? 相変わらず軽ーい」
「だって付き合うとかめんどいし。求められたから応えただけなのに、その後で告られるとか思わないじゃん」
「でたでた、罪な女ぁ」
「ふふ、なんとでも言いなさい」
 小さいさざめきのような会話が終始漏れている。周りの優等生とは違い、こいつらの雑談はいつものことだ。会話の内容も、いつも大して変わり映えしない。
 七海は黒板と教師を冷めた目で見比べながら話に相槌を打ち、時折口元を緩ませながら言葉を挟む。両手は膝の上で携帯を包み、ジャラジャラと大量についたストラップを掻き分け、埋もれた一つを撫でている。それは七海の癖だった。光を反射して目が痛くなるような他のストラップとは全く違う、今にも千切れそうな色褪せたぼろぼろのミサンガ。
閉め切られた教室の中、授業など上の空に感じながら、俺はぼんやりと七海の指先を眺める。


 七海にミサンガについて尋ねたことがある。その日も七海は授業中「セフレの束縛がうざい」とギャルたちに零していた。軽やかに笑いながら膝の上でミサンガを撫でる指。他のストラップの小さな丸い金具部分に片端を結ばれたミサンガは、よく店先で売られているのと同じようにだらりと伸びていた。
 講義が終わると、七海は帰るという友達と別れ、いつものように俺の方を向いた。近付いてくるのに合わせて好奇心で訊いてみる。
「なぁ、そのミサンガ、お守りか何かなのか?」
 本当に深い意味はなかった。
 一目散に帰ろうと出口へ押しかける学生たちのざわめきと同じくらい重みのない投げかけ。この何気ない問いに、七海は他愛無く答えを返すとばかり思っていたのに、そこには一瞬の空白ができて、そのことに俺は驚いた。その驚きを顔にのせたまま、七海を見返してしまうと、彼女は黒目がちな瞳を怯んだように見開き、携帯の表面を迷うようになぞったところだった。それは俺の知る七海らしくない仕草で、俺は訊いたことよりも、その晒された無防備さを目にしてしまったことに罪悪感を覚えた。
 目を反らし、慌てて重ねる言葉を探していると七海がふっと息を吐き出した。
「あは、びっくりしちゃったよ。一樹、よく見てるねぇ」
 そう言って笑う七海はもういつもと変わらず、俺はさっきの罪悪感を拭い切れないままに胸を撫で下ろした。
 ミサンガ。まだ俺が小学生だった頃に流行った記憶がある。鮮やかな刺繍糸で編んだ紐。特に女子たちがこぞって作っていた。プロサッカー選手がよく足首につけていたから、サッカークラブのモテる奴らにプレゼントしていた。
 記憶を辿りながら、ミサンガに関する多くはない知識を七海に話す。
 ふんふん言いながら聞いていた七海は小首を傾げて俺を見た。
「あれ? 一樹、ジンクスの方は知らないの?」
「ジンクス?」
「そう。手首とか足首に結んで、紐が自然に切れたら願い事が叶う」
 だから、ミサンガはプロミスリングとも呼ばれるんだよ。七海が手で輪っかを作りながら言う。
「へぇ、知らなかった」
 そう答えて、俺はわざとまじまじと七海を見つめた。
「……意外だな。お前そういうの信じるタイプだったのか」
「どういう意味よ? 乙女でかわいいでしょう?」
 七海は薄く笑った。羽織ったジャケットのポケットに携帯を突っ込み、外に出したストラップを手のひらで全て握り込んで、温度を感じさせない瞳をこちらに向けていた。
ミサンガは、見えない。
「で?」
「で、って?」
「そこまで聞いたら気になるだろ。お前の願い事って?」
「……ああ」
 七海はゆっくりと頷いた。
実はね、と特別な秘密を打ち明けるようにそっと俺に頭を寄せた。七海の真っ直ぐな髪がさらりと肩から流れた。ガラス玉のような感情の読めない瞳に捕らわれて、そして距離がいつもより近いというただそれだけのことで俺は簡単に動けなくなる。
挑戦的にも見える笑みを浮かべたまま、七海の顔はすっと俺の視界を外れ、耳元で囁いた。
「……たった一人を愛せますように」
 胸がざわり、と粟立った。それは不快感に近かった。
 俺は何かを言おうとして口を開き、そして閉じた。頭に授業中の七海が浮かんだ。友達とのおしゃべりに応じる七海。緩く弧を描く口元。携帯を包む手のひら。机の下で蠢く指先。ところどころ解れ、汚れたミサンガ。
 じゃあなんで。なんであんな生き方をしているんだよお前は。
 今度こそ声を発するために再び口を開いた、その時だった。
 ぷっと小さく、七海は噴き出す。
「なーんちゃって!」
 ぽかんと口を開けた俺を横目に見て、そのままきゃらきゃらと軽快に笑う。
「あー可笑しい。なんて顔してるの、もう」
 ほんとに一樹ってば面白い。
 そう言って七海は乗り出していた体を元に戻す。けれど俺の胸を這いずる言いようのないざわつきは消えなかった。声になりかけた言葉が、喉の奥で音もなく崩れていく。七海のポケットからはみ出した豪奢な光が目の端でキラキラと揺れ、思考の邪魔をした。
 結局願い事の内容は聞けなかった。


 四限には授業を入れてなかったため、俺は図書館で明日提出のレポートを完成させ、次の授業に備える。五限には七海がいるのだ。隣に来て話し相手をさせられる。レポートの内職をする時間はきっとない。
 けれど予想に反して、七海は来ないまま五限が始まった。珍しい、そう思った。七海はほとんど欠席をしない。基本的にかなり真面目な部類だった。男にはだらしがないくせに。
 授業が始まって十分、十五分、二十分。
 そして二十五分が経とうとした時。きぃ、と後ろのドアの開く音がして、七海が顔を覗かせた。教室をきょろきょろ見回し、目が合う。
「一樹。いた、一樹!」
 言うが早いかこちらに駆け寄り、俺のノートやら教科書やら、机に広げていたものを全部ひったくったかと思うと教室から出て行った。突然のことに呆気にとられてそれを見送ることしかできなかった。近くに座った奴らが驚いたように俺と後ろのドアを見比べている。やっとのことで驚きを呑み込むと、
「は?」
作品名:千切れた嘘 作家名:夕祈