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りんみや 陸風の美愛 天上の花園には

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その人は,いくつになっても夢見るような眼差しをしている。まるで,遠いどこかが見渡せるように,焦点をぼかしている。穏やかで,春の陽だまりのようにやさしい微笑みを口元に浮かべ,庭に目を遣っている。そして,私のほうに振り向いて微笑む。私の名を呼んで,私に笑いかける。けれど,それは生身のその人ではない。私が生まれる前に引っ越ししてしまったからだ。

「美愛」

 そう呼びかける,その人はとても優しい顔をしている。ごめんね,で始まる,その人の言葉は幼い頃から何度も聞いた。最初はわからなくて,ただ,その人が自分の名前を呼んでくれることが嬉しかった。少し大きくなって,私に少しずつ言葉の意味が理解できるようになった頃,私の前にりっちゃんが現れた。絶対に傍にいてほしい,と,その人が頼んだ人だ。離してはならない。その人が唯一,私に贈ってくれたものだった。
「りっちゃんの心が美愛で一杯になったら,りっちゃんはおまえのものだ。他の誰かで一杯になるまでは,けっして、りっちゃんを離してはいけないよ。もし,りっちゃんが他の誰かで一杯になったら,その誰かにりっちゃんを渡してあげるんだよ。」
 それが,その人の言葉だった。唯一,言葉ではない贈り物を私は離さないと決めた。いつか,その人の引っ越し先に私が行く。そこで,その人に 「よくできました」 と,褒めてもらうつもりだった。その人は,そこで待っていると言ったからだ。私を待っているから,と。


 そこはきっと春とか秋とかの季節で,たくさんの花が咲いているだろう。降りしきるように花びらが舞い,その中に,その人は立っているはずだ。あの夢見るような瞳で私に笑いかけてくれるだろう。私たちはよく似ている。その人の遺伝子をすっかりと引き継いだ私。姿形はそっくりコピーだと言われるほどに似ている。性格はもう一方の遺伝子が強くて,てんで逆だと言われている。すっかり変わった私に気付いてくれるだろうか。いや,気付くだろう。そして,生身のその人から言葉を貰うつもりだった。本当に名前を呼んで貰おう。あなたが出来なかったこと。私に望んだこと。どれもちゃんとクリアーしたと報告しよう。今はまだ,引っ越さない。私は私と,その人を大切に守ってくれた人たちを今度は逆に守るために。
「ごめんね,美愛」
 何度見ても,飽きない。いつのまにか記憶してしまった言葉の数々。あなたは,それをどんな気持ちで残してくれたのだろう。私の姿すら見ることができなかったのに。
「おまえは自分でなんでも掴み取ることができる。なんでも,やりたいことはやればいい。後悔なんてしないようにね。おまえは,それが許されるから」
 ええ,もちろんよ。と返した。残念なのは,それに返事がないことだ。まるでテレビみたいに一方通行な会話。その人は実際にはいないから,仕方がない。どう? クリアーしてきたわよ,と精一杯胸を張って宣言したら,その人は笑うだろうか。



 私は天上の花園で,その人を見ることはできなかった。待っていてくれたのは別の人。でも,その人は私が隠れた事に胸を痛めているのだと教えて貰った。天の岩戸のように籠もっているのだとも言われた。
「少しでいいわ。姿だけ見せて欲しいの。」
「・・・では,姿だけです。一言も口を開いてはいけませんよ,お嬢様。」
 真夜中に月の明かりだけが煌々と差す世界。真っ暗な水面を見下ろしている人影があった。それは想像していた姿よりも,ずっと小さかった。小さな子供が池を見ていた。そこに映る月を瞳に写している。少し離れた場所に私は降ろされた。小さな子供の横顔に,あっと声をあげてしまった。
「誰?」
 誰何の声も高い声だったが,それは紛れもなくその人だった。口元を人差し指で抑えられ,ここにいるように目で命じられた。
「申し訳ございません。私くしでございます。」
「・・・ひとりにしておいて・・・誰とも逢いたくない・・・・」
 私を招いてくれた人は,しずしずと進み,その人の前で跪いた。
「申し訳ございません。」
 もう一度,そう謝罪する声と同時に子供は抱きついていた。頬を真珠のような涙が伝う。我慢するように嗚咽を殺し,縋り付いたその人。今まで微笑む顔しか知らなかった。穏やかで静かなその人と,その人の言葉が私の知っているすべてだった。私のために泣いてくれるその人。待っていると嘘をついたその人。でも,涙は本物だ。
「お休みになられませんと・・・」
「・・・いいから・・・ほっておいて・・・もう行って・・・」

 自分で離れて池の端を歩き始めた。小さな姿が,さらに小さくなっていく。待てなかった理由は聞かされた。私は生身のその人と言葉を交わすことはできなかったけど,それでも私は満足した。微笑んだ顔と泣いた顔。どちらも私のためのものを見せて貰ったから。あなたが私のためにしてくれたことは少ないけど,それで十分だ。忘れないでいてくれる。

「ゆきが幸せでいられるようにお願いします。」


 あなたは私が覗いたことは知らない。


「承知いたしました。」

「ゆきの・・・こちらの名前は,なんというのですか?」

 招いてくれた人は,静かに微笑み,深い雪でございますよ,と教えてくれた。私が思い描いた天上の花園ではない場所に,その人は住んでいた。深くて新雪のような真っ白な心なのだと,招いた人は微笑んだ。私の知らないことは,まだ,たくさんあったのだ。穏やかで夢見がちな瞳の,その人は,春のような気配を漂わせていたのに。こちらでは冬の透き通るほど美しい雪に喩えられる。

 どちらもが,その人で,たぶん,どちらも持っている。それが知り得ただけでもよかったと私は思う。