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千分の一ミリ

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「どんな風に触れたって?」
もうこの話は終わり。そう思っていた僕は少し驚いていつもより少しだけ眼を見開いたに違いない。呰見が僕を見て、嬉しそうな顔をした。

理工学部物理学科の研究室の一室で、僕と呰見はのんびりと過ごしていた。
正しくはのんびりしていたのは呰見だけで、僕はと云えば統計力学のレポート云々の為資料を前にやや難しい顔をしていた。捗っていなかったわけではない。度々ちょっかいを出して来る呰見によって集中力を奪われたのだ。どうにも手が付かなくなったので、僕は世間話をする要領で目の前にいる呰見と良く似た湖底人の話をした。もちろん、本人にお前と顔がそっくりだった、などとは言いやしない。呰見は僕がまるでイカレた事を言っても平然として「ああ、そう」などと言う男だ。興味のない話だったのか呰見は腰かけている古ぼけた事務椅子の背をぎしぎし鳴らし始める。何が楽しいのかいつまでもぎしぎしとやっている。僕自身もこの場に対する興を削がれ再び資料に眼を落した。それから数分か、あるいは十数分。再び集中力を取り戻していた僕は一瞬何の事を言われたのか理解できず反応が遅れた。どんな風に触れたって?確かにそう言った呰見の眼は真剣ともふざけているともつかないものだった。
話が戻された焦りと驚きで、呰見の問いかけに一瞬躊躇したが、ありのまま答えた。
「指先を僕の指の腹に当てて、そっと・・・なぞったんだ」
何を思ったか、知ってか知らずか、呰見は今聞いたままに僕の指に触れてみせた。
こちらの呰見はどこか楽しそうにニヤニヤとしている。
振り払いそうになったがなんとか堪え、出来るだけ平静を装う。
「へえ。侑宇って綺麗な指してるんだな。知らなかった、へえ」
真似事の範疇を越えスルリと指を絡められ、耐えきれずに手を引っ込める。
出来るだけ気分を害さないように、だ。
こちらの呰見は僕を「侑宇(ゆう)」と呼ぶ。底にいた呰見は「呉(くれ)」と苗字で呼んでいた。
黙ってやり過ごすには少々バツが悪く、考えなしに口を開いた。
「呰見だって綺麗じゃん」
目も合わせずに云った後、しくじったなと思う。
「・・・そういう反応されるとなぁ」
大きく息を吐きながら捨てるように云った。
「大体、こんな話を真面目に聞くなんて呰見はやっぱり変な奴だよね」
振り返らずにその場を後にする。
一度、呼ばれた気がしたが僕は曖昧にに片手を持ち上げてまたもやいなした。

呰見。
僕は何故君を下の名前で呼ばなかったのかな。

呰見英知(あざみえいち)。
僕の唯一友人と呼べる人間。心許せる友の名。エイチ。そうか、呼びにくかったんだな。

ところで、僕の反応に君は何を思ったんだ?“そういう反応”とはどういう反応だ。
一体僕はどんな顔をしていたと云うのだ。
呰見英知。僕が唯一求める友人。これが恋なのかただの敬愛なのか、僕には分からない。
とりあえず、前者でない事を願っていてくれ。
君からの失望も軽蔑も、僕は受取るつもりはない。それは恐らく例えようのない絶望に違いないのだから。



作品名:千分の一ミリ 作家名:映児