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霊聴者

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アルフレッド・ヘヴンズリィは俺の友人だ。

 というと彼自身はとてもいやがるだろうし、俺もいまだに変な感じがしているのだが、他に表現しようがない。
 アルフレッドみたいなやんごとない人物と友人づきあいをすることに至った経緯にはある事件が関わっていて、その事件は少し変わっていた。
 変わっていた、というのは控えめにいいすぎているかもしれない。不思議な、いや、これもちがう。怪奇な、というのがおそらくは正しいが、正直あれがなんだったのか、俺にはまだよくわかっていない。
 だがその事件以来、アルフレッドと俺は、両者がロンドンにいるあいだ、ときたま行き来するようになった。



 夏の休暇で学校から開放されたばかりの俺は、アルフレッドのタウンハウスに向かっていた。
 格別な用がなくても様子を見に行くことはあるが、今日はちゃんと用件がある。彼が興味を持ちそうな話だ。いつもみたいに邪険にされることはないだろう。
 たぶん。

 目当ての屋敷の場所は何度も訪れて憶えている。俺は一度もつっかえることなく、行き先を辻馬車に告げた。
 十七世紀に建てられたらしい、ゆるい曲線を描く門の前に立つ。門扉にはライオンのかたちをした真鍮のノッカーがついている。ノッカーは案外普通だな、なんて思って眺めているうちに、ぎりぎりと金具のきしむ派手な音がして扉が開いた。
 俺はノッカーを眺めていただけでノックはしていない。
 この屋敷では変なことが起きるし、主人も使用人もみんなどこか変だから、この程度では驚かない。
「ようこそ、ミスタ・ノースワーズ」
 モーガンのお辞儀は今日も完璧だった。
 俺はこの執事の完璧じゃないところを見たことがない。いつ会ってもモーガンは教本に載せたいような優雅さで客を出迎える。客が俺であってもだ。
 浮かべた微笑まであまりにも完璧だから、そのとんでもなくきれいな顔立ちまで嘘っぽく見えてくる……のは、若干の偏見が入っているかもしれない。
「主人はピアノ室におられます」
 俺の外套と帽子を受け取りながらモーガンは言ったが、アルフレッドがどこにいるのかは、門が開いた瞬間からわかりきっていた。家中にピアノが鳴り渡っていたからだ。低音を強調した堂々たる響きは、彼にしては珍しい、気がする、と、思う、たぶん。
 俺と音楽の関係は、子供のころ親にあてがわれた音楽教師が三人連続で逃げ出したくらいに険悪である。だからこの分野において俺の感覚はさっぱりあてにならないが、アルフレッドが普段好んで弾くものは、もっと複雑で、曲がはじまったのか終わったのかも不明なものが多い、ような気がする。今聞こえている曲は、重量感のある低音が規則正しく小節を刻み、速い旋律が散弾みたいに駆け回っていて、多少はわかりやすい。気がする。わからないけど。
 とにかくアルフレッドの所在は知れた。この屋敷でピアノ室と呼ばれているのは、一階の一番奥にあるガラス張りのティールームだ。モーガンに礼を言って、まっすぐ正面へ向かう。
 玄関ホールにつながる薄暗い廊下から、無表情なメイドがちらりとこちらを見て、会釈だけをよこした。



 玄関ホールの螺旋階段の脇を抜けると、古風な階段が機嫌悪げにきしんだ。この家はどこもかしこもよくきしむ。
 この家の唯一の主人はアルフレッドだ。俺より年下だが、彼はすでに爵位と所領を継いでいる。もちろん、地位に伴う膨大な義務もだ。それがどういう気分なのか、俺には想像がつかない。俺の両親は健在で、兄と姉がふたりずついる末っ子で、「紳士にふさわしい職業」でもって将来の食い扶持を稼ぐための勉強で手一杯で、つまりはまだ子供だ。なにより我が家はアルフレッドの家のような長い歴史を持ってはいない。
 つまり俺には、アルフレッドのことがさっぱりわからないということだ。彼のことがわからない、というのは、育った環境の違いだけじゃないのだけど。

 ピアノ室の扉は開け放たれていた。
 半円形のテラスとつながった部屋の中には、ガラスを通して午後の光があふれていた。真夏の日差しは徐々に陰りはじめていたが、ガラス越しだとひときわ明るく感じる。
 すでにピアノの音はやんでいた。蓋が開いたグランドピアノが、つやつやした表面に太陽を反射して、部屋の中央で存在を主張していた。

 光の中に、アルフレッドはいた。

 ピアノの傍ら、半分崩れかけた籐の安楽椅子に、腰かけるというより寝ころぶような姿勢で、あおむけにガラス張りの天井を見上げていた。
 いや、見上げてはいなかった。アルフレッドは目を閉じていた。両の腕は頭上に持ちあげられ、光を避けるかのように額の上に手を交差してかざしている。鮮やかな赤い髪が日に透けていた。

 居眠りでもしているように見えるが、たぶん違う。
 彼は聴いているのだ。常人には聞こえない《なにか》を。

 その《なにか》が、音であるのか、声であるのか、それとも全然違うものであるのか、俺は知らない。ただアルフレッドが《聴く》と言うから、そういうものなのだろうと思うだけだ。
「貴様の訪問を我輩は知っていたぞ、ロジャー・ノースワーズ」
 姿勢を変えずにアルフレッドが言った。
「《古い隣人たち》が貴様の噂を我輩に教えてくれたのでな」

 これだ。
 彼はその、音なのか声なのかよくわからない《なにか》を発している連中、夜の暗がりの住人たちを、《古い隣人たち》と呼ぶ。
 そいつらが幽霊なのか妖精なのか、それとも全然違うものであるのか、俺は知らない。知らないどころか、アルフレッドに出会う前は、そういったものの存在について考えたこともなかった。今ですら、彼以外の人間が同じようなことを言い出したら、専門の医者にかかるように薦めるだろう。当たり前だ。科学の進歩めざましいこの時代にそんなものが跳梁跋扈しているだなんて、普通は考えない。
 だけど、いくつかのできごとを経て、意識を変えざるをえなくなった。いつのまにか俺は、アルフレッドが語る限りにおいて、《そういうもの》が存在しているのだろうという考えに落ち着いてしまった。現代人としては不本意だがしかたない。人間は何にだって慣れるものだ。

 ほうっておくとまともな対応はされそうになかったので、俺はアルフレッドに声をかけた。
「ご機嫌よう伯爵。邪魔するつもりはなかったんだが」
「貴様は存在の時点ですでに邪魔だ、だから気にするな男爵令息」
 軽く反動をつけてアルフレッドは安楽椅子の上に身を起こした。ついでに結構失礼なことを言われた気がするが、この程度の言われようには、いまさら何も感じなくなってしまった。
 肩越しにこちらへ顔を向けた彼の表情は、どこかぼんやりとしてつかみどころがない。まだ、半分くらいは《あちら側》の世界にいるのかもしれない。尊大きわまりない言動とうらはらに、こうしていると年齢相応の少年に見えた。
 だが、緑灰色の目が俺をみとめると、すぐに焦点が合い、ふっと笑みがかすめた。
「……相変わらず、貴様は実に工業的な音色を引き連れているな」
 工業的という表現に少しむっとした。そして、自分がいらだったことに安堵した。大丈夫だ、俺はまだ《こちら側》の住人だ。
「工場生まれだからな」
作品名:霊聴者 作家名:いいぐら