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かつてあなたが見上げた夜空にも 星が輝いていたならばよかった

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 細い紫煙は窓からふわりと流れた。
 風にのって高くたかく。空へ届くほどに高く。
 その白い煙になってみたいと高原は思う。
 水瀬の唇から彼に求められて体内を巡り、他の誰にも触れられない奥の奥まで侵食して彼の中へ溶ける。肺を汚してできる限り依存性を高め、いっそ自分なしではいられないくらい俺に狂って。そんな身体に、彼がなってしまえばいいと。
「……エロイ映像」
 気づけば口に出していた。
 窓枠に寄りかかって怠惰に煙草をふかしていた水瀬が、小さな呟きをききとがめて高原をねめつける。
 唇からは紫煙。艶やかな紅色に、淡いあわい白のヴェール。
「……あァ?」
「うわ、その目つきとかマジヤバイし。自覚してる?水瀬、今そうとうやらしいカオしてる。かなりクるね」
「俺は今、おまえをにらみつけてるつもりなんですけど?」
「気の強い女がつよがってるみたいで最高」
「頭おかしいんじゃないの?」
 水瀬は目をすがめて高原を一瞥し、そのまま興味を失ったように視線を外へ戻した。開けはなしたガラス窓のむこうには蒼と朱のグラデーション。グラウンドからは陸上部のリズミカルなかけ声がひびいている。ホイッスルの音と。
「誰にでもそんな顔みせてると、きっとそのうちどっかで痛いメみるよ。今日から禁煙しよう水瀬。その方が身体にもいいし、貞操も守れる」
 そしてなにより、たとえそれが煙草であろうとも。水瀬の身体を自分以外の何かが侵すなんて許せない。我慢できない。
「俺がペースメーカーになってあげるから。ちょっとずつ禁煙。ね?いい考え」
「バカなこと言ってんな。そーいう偉そうなことは、今おまえがするべきことをきっちりやってから口に出せ」
「俺のするべきことって何?」
「それを今さら俺にきくわけ?」
「……水瀬との背徳めいた禁断の恋とか?」
「勉強に決まってんだろ。つーか何?なんでわざわざ俺が、今!むりやり時間つくっておまえに付きあってやってると思ってんの?俺だってそんなヒマじゃねーんだよ。忙しんだよ。普通にせっぱつまってんだよ」
「ヒマそうにタバコ吸ってんじゃん」
「俺は仕事をしたいの!でもおまえが毎日毎日こうやってジャマするから、ちっとも進まなくてこないだ学年主任に呼び出しくらったんだぞ。全部おまえのせい。もーマジで最悪!また休みがなくなる!」
「水瀬が俺を呼び出したんだろー?毎日毎日、そんなに俺とふたりっきりになりたい?」
「呼び出したくて呼び出してんじゃねーっつってんだ。何回言ってもおまえが課題提出しねーから」
「だあって、数学むずかしーんだもんー」
「…っとに、いっつもいっつも口からでまかせばっか!テストん時は平気でトップの成績クリアするくせに、もうちょっと普段からそれくらいのやる気をみせろっつーの!」
「えー?やる気みせて優等生になったらなんかご褒美くれるわけ?」
「なんで俺がおまえにご褒美やんなきゃなんねーんだよ。勉強すんのがおまえの仕事。学生の本分。そんで、学生に勉強させんのが俺の仕事。手のかかる生徒持つとほんっと苦労するよな。この際はっきり言わせてもらうけど、俺は心底ウンザリしてんだよ」
「恋人の面倒みるのだってそれなりに楽しいっしょ?」
「誰が誰の恋人だ?このナルシストめ」
「俺、別にナルシストじゃないけど?自分のこと全然好きじゃねーもん。好きなひとはさっぱりふりむいてくんないし。がんばってんのにむくわれないし。あーかわいそうな俺。こんなに好きなのに」
「そういうのをナルシスト、つーの。自己陶酔型。見てて鳥肌立つようなタイプ」
「俺にトリハダたつ?」
「かなり」
「うーわ、超傷ついた……」
「傷つきついでにもうちょっとマトモな人間になんなさい。はい、心入れかえて勉強!今は居残り補習の時間です」
 咥え煙草でぱんぱんと手をたたき、水瀬は意地の悪い笑みを浮かべて高原を見下ろす。
 窓を背景に立つ水瀬は逆光でほんの少しかげって見え、その分細いシルエットが強調されてずいぶんエロティックな印象を受けた。ただでさえ魅力的で周りの目を惹きつける人なのに。これ以上ライバルなんて増やさないでほしい。今でさえ高原はこんなにいっぱいいっぱいだ。
 水瀬に向けられる雑多な視線を、いつの間にか高原は注意深く観察する癖がついてしまった。たとえばそれが単なる好奇心であれ、もっと深い好意であれ、牽制しておくに越したことはない。水瀬にとっては限りなく迷惑な話であろうが。
「でもさ、実際タバコって害にしかなんないっしょ。こないだネットで生活習慣病なんたらのサイト見たんだけどさ。肺ガンやら脳梗塞やら、ああ、胃潰瘍の原因にもなるんだっけ。いまさら言われるまでもないかもしんねーけどさ」
「……なんでそんなサイト見てんだよ」
「保健のレポートで」
「嘘つけ。おまえそれも提出してねーだろ。……そうだそうだ、忘れてた。そのレポート、今週中に出さないと成績つけないって伝えるように言われたんだわ。あーよかった、思い出した」
「忘れんなよ、そんな大事な話」
「出さないおまえが悪いんだろ。やれば出来るくせに、いくつ課題ためこむつもりだ」
「保健のはね、途中で飽きちゃったんだよ。一応テーマ決めるとこまではやったんだけどさ。ネット繋いで検索もしたけど、そこまでやったらめんどくさくなっちった」
「つーか、ネットで資料集めるって反則じゃね?」
「みんなやってんじゃん」
「……手軽な時代になったよなぁ」
「水瀬が高校の頃は、資料ってどーやって集めるもんだった?」
「図書館で地道に」
「めんどくさー」
「おまえには絶対向かない作業だな」
 くつくつと軽く肩で笑って、水瀬はトンっと灰皿に灰を落とした。長い指が煙草を自在に操る。高原の目はずっとその仕草にくぎづけだった。
 それから、つい今しがた自分で口にした言葉にふと意識を奪われた。
 高校時代の水瀬。
 自分にはどう足掻いても絶対手に入れられない、水瀬の過去。
「……水瀬はさ、いつからタバコ吸いはじめた?」
 思いついたまま問いかけると、水瀬は一瞬きょとんとした表情を見せ、ついでくすりとひとみだけで笑った。
「……秘密」
 呟いて、ふぅっと細く紫煙を吐き出す。
 水瀬に咥えられた煙草も、その煙草を挟むきれいな指先も、つぼめられた唇も。
 まるで毒みたいだ。
 高原の全身を甘く苦く痺れさせる、極上の麻薬。
「マジで、凶悪すぎだろ……」
 とうに高原はその毒に侵されきっている。だってこんなにもこの人に夢中だ。馬鹿みたいに。呆れるほど、みっともなく足掻いている。この人が好きで、好きで、たまらなく好きで。
 いつまでもその光景を見ていたい欲望と、誰かに見られるくらいならやめてほしいと望んでしまうパラドックス。
 だけどその矛盾は共存する。
 誰にも見せたくない水瀬を自分ひとりだけが、ずっとずっと。
「…………」
 いっそのこと、水瀬がもうひとりいてくれたらいいのに、などとつまらないことを考えた。
 双生児だとかいう単純な話ではなくて、まったく同じ、水瀬そのものがもうひとり存在してくれたらいいのに。
 そうしたら、水瀬のひとり分を自分だけが独占するのだ。自分だけが水瀬を呼び、水瀬に触れる。なんて甘美な想像だろう。