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Crataegus cuneata,

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 彼の呼ぶ音はもはや、ワタクシ以外の誰にも届いていなかったのです。あるいは、彼自身にしか。
 彼は悲しげに、ごめんなさい、と鳴きました。
 そうして、彼はまた暗くて深い、静かで冷たい海の中で、彼女を探し続けるのでした。
 意地の悪い雲に隠されなければ、私は彼をずっと追い続けていたでしょう。

                  ○
 
 次に彼を見たのは、とある戦場でした。
 彼は立派な志願兵でした。新兵の勲章を誇り高く胸に掲げて目を輝かせる青年を、誰もが優しく見守っておりました。誰が見てもまだあどけなさを残す顔を、きりりと引き締める彼は、とても好い男だったからです。
 彼は自分の国を守るために命を賭けるのは惜しくないと笑い、仲間と肩を組み、勝利を信じておりました。
 とある、雲が途切れ途切れにワタクシの光を邪魔する晩のことでした。
 それは奇襲でしょうか、たいまつの火を掲げて一斉に軍隊が前へ前へと進んでいくさまが勇ましくワタクシには見えました。彼がその中で勇敢に先頭を切って駆けていく姿も、ワタクシには何故かはっきりと見えておりました。
 荒れた野と山に火を放ち、眠っていた敵を叩き起こし、次々と勝利を収めて行く。彼らは何も恐れずただ正義のために前進しておりました。
 ワタクシには正義のなんたるかは分かりませんが、かれらが一心不乱に前へと剣を構える姿をみて、正義とはそういうものだと思ったものです。
 彼もその中の一人でした。
 信じる道を突き進み、勇ましく、また力強く一人また一人と敵を打ち倒し、彼はあらん限りの力で戦場を生き延びようとしていました。
 
 ――それが、人の時間ではどれくらいの間のことだったのか、ワタクシには分かりません。
 ホンの少しの間、雲がワタクシの目を覆ったあと、地上を見ると、彼が焦げた大地に突っ伏しておりました。
 彼の目の前には、一人の少女が剣を握りしめて震えていました。光に照らされて青白く光る少女の手元から、その小さな体には似合わない、鈍く鋭い銀色が深く、彼を貫いていたのです。
 少女の黒目がちの大きな目が瞬いて、そしてぼろりとしずくが落ちるか落ちないかのうちに、少女はわあっと駆けだしていってしまいました。後に残された彼は、少女が去った方向へと必死で手を伸ばして、ごめん、と呟いたっきり、事切れてしまったのを私は見届けました。
 彼がどうして一回り以上も小さな彼女に殺されたのか。彼の傍に落ちていた銀色は、つい先ほどまで、確かに彼の右手に握られていたのにも関わらず。
 彼を貫いたそれと同じように、赤い血に彩られていたそれは、少女に向けて振られた様子が一つもなかったのでした。
 ただ、ごめん、と呟いた彼が、少女を傷つけずに死んだ彼が、彼であったことだけは、間違いようのない事実だったことだけを、ワタクシは知っているのみでした。

                  ○

「彼は一度として報われませんでした。何度生を繰り返しても、ワタクシが見てきた彼は、とても好い男だというのに、たった一人の人を愛し続けた所為で報われることがありませんでした。それでも、彼は、彼女だけを愛し続けたのです。たった一つの恋を、彼は貫き通して生きておりました。驚くべき、悲しき滑稽な、お話です。」

 月はそこまで語ると、ワタクシが知っているお話はここまでです、と言った。
 そしてそのまま、雲の影に隠れて、僕からは完全に見えなくなってしまった。淡い光だけが雲の端から零れて、追いやられていた星たちがほっと息をついたように瞬き始める。 とうの昔に吸い終わっていた煙草(チェリー)を灰皿に押し付けて、僕は大きく息を吸い込んで、吐き出した。
 コーヒーメーカーの電源を切って、冷めたコーヒーを手に取る。口に含むと、チェリーの苦みと相まって飲めたものではなかった。マグの中身をシンクにぶちまけたくても、ここから動くのは酷く億劫で、僕は結局サイドテーブルの元の場所にことん、とそれを置くだけだった。
 雲の隙間からちらりちらりと此方を窺う月をみて、僕は口端から笑みをこぼす。

「何度繰り返しても、貴方と一緒になれない男、か。」

 面白い話だったよ、と言う。明りの途切れた窓際から広がる仄暗い静寂に目を向けて、僕はううん、と伸びをした。そのままベッドに仰向けに倒れ込んで、天井を見上げる。

 ――月が話した男の事を、考える。

 彼は、これから先も、結局は報われることはないのだろうな、と思う。そしてこれから先も、月はそれを見ていくのだろう。
 次に月がこの話をするのは、一体どれだけの未来のことだろうか。それは、また、滑稽な話として、付け足されていくはずだ、と僕は思った。
 月が語ったそれは、悲しくも美しくもなく、驚くこともない。ただただ、笑い話として。
 そう。
 僕以外の人間には、何の意味もないおとぎ話として語られていく種類の、話だ。

 ぴぴぴぴぴぴぴ。

 仄暗い僕の思考を断ち切るように、初期設定のままの発信音が鳴った。月の明かりとは違う、人工的な明りが部屋に生まれ落ちる。
 僕を呼び続ける無機物の塊を手にとって、画面に表示された名前を見る。そして、一呼吸を置いて、僕は通話ボタンを押した。
 こうして、滑稽な話は上塗りされていく。

「あ、亀ちゃん?」
「…鶴岡さん、今何時だと思ってるの。」
「あー、うん、ごめん朝の四時。そわそわして起きちゃったから。」
「…別にいいけど、ね。どうしたの」

 落ち着かない、ふわふわとした声に息がつまりそうになる。鶴岡さんは僕の声になんて碌に耳も傾けずに、ねえねえと言った。

「どうしよう、俺、ドキドキして寝れないんだ」
「知ってるよ」
「……どうしよう?」
「いいから、寝なよ。」
「だから寝れないって!」
「横になって目を瞑って寝なさい。言っとくけど、今日が本番なんだから、飲むなよ?」
「…飲まないよ!」

 一拍声をひるませた鶴岡さんに、あーあと溜息をつくと、ぼそぼそとした謝罪の声がかすかに聞こえた。いいよ、と僕は返す。
 どうせ、お気に入りの山楂酒を寝る前に飲んでいるのだ。鶴岡さんはそういう人だ。一生の大事件を目の前にしても、この人はいつまでも変わらない。
 もちろん、それは、僕も。

「いいから、ほら。寝なって。どうせ数時間後には叩き起こされるんだから」
「……うん」
「……」
「……ねえ亀ちゃん。」
「……なに。」
「スピーチ、引き受けてくれてありがとう」
「…、どういたしまして。」
「俺、亀ちゃんと友達で、本当に良かった。ありがとう。最高。大好き。」
「……そーいうのは、今日、嫁さんにな」
「うん」
「……おやすみ、鶴岡さん。」
「おやすみ、亀ちゃん。ごめんね、ありがとう」
 
 ぷつり、と切れた電波と、鶴岡さんの声の余韻が部屋に充満する。ぎゅう、と身体を丸めて、僕はそれから目を、耳をそらす。柔らかな春の風が窓から吹き込んで、机上のメモを数枚さらった音がした。
 ご都合主義者のつじつま合わせのように、結局僕もまた、同じ話を紡ぐらしい。


「ごめん」


 何度やっても、この恋は実らないのだ。














End

But,
continue.
作品名:Crataegus cuneata, 作家名:御門