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吉野ステラ
吉野ステラ
novelistID. 16030
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たとえばいつか哀しい空が 1-5

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2







数ヶ月ぶりに訪れた大総統官邸は、ひと気があまりなく広々としていた。けれど寒さは感じず、暖かい空気に包まれている。エドワードはほっと安堵のため息を漏らした。
「あたたかいな、ここは」
「ああ、快適に保とうとしてくれる部下がいるからな」
彼は、異例にも官邸で使用人を雇っていなかった。そもそも官邸に帰るのも毎日深夜なのだから、必要ないとも言える。その代わり、大総統付きの副官が常に彼の周りに気を配っていた。
「ホークアイ少佐の仕込みはばっちりだな」
エドワードは面白がるように歯を見せて笑った。
リザ・ホークアイ少佐がロイの副官から離れて久しいのは周知の事実だ。若き大総統が優秀な副官に見捨てられたという噂がまことしやかに流れていたが、真実は異なる。彼女を知っている者なら誰でもわかるだろう。彼女がロイの隣という場所を自らすすんで離れるなんてことは、あり得ないということを。
つまり、彼女は彼女自身が一生ついていくと決めた上官から、非情にも解任されたのである。
そして今、大総統の副官には彼女の友人でもあるレベッカが就いていた。あっけらかんとした性格で、リザの後を引き継ぎてきぱきと動く好人物。玉の輿狙いだと自ら公言してはばからないが、どうやら未だ独り者である大総統に関しては守備範囲から外れるようだった。ときにホークアイ少佐よりも厳しいお目付け役となっている。
「少佐…元気かな」
数ヶ月前、エドワードが旅立つ折に、めずらしく駅まで見送りに来てくれたリザの顔を思い浮かべる。かつてよりも女性らしく柔らかくなった顔に微かな笑みを浮かべて、手を振って見送ってくれていた。
「ああ、相変わらず有能で手早く公務をこなしているという噂だよ」
エドワードは背中ごしにロイを見遣った。白々しく述べる彼はどうやら私的にも元副官とは会ってないらしい。まあ休みをとるのが3ヶ月ぶりというから無理もないのかもしれないが。
思惑を表に出さないこの喰えない男。リザを副官から解任したのもこの国の未来を見据えたうえでの行動なのだとわかってはいても、自分がリザと同じ立場だったら堪らない、とエドワードは思う。自分が傍から離れても顔色ひとつ変えない男を、必ず憎らしく思うだろう。
己にとって、絶対的な存在だからこそ。
「あんたは狡い」
脱いだ上着をソファに無造作に放ったロイの背中に、戒めるように言葉を投げかけた。
「わかっているさ」
そんなことは言われ慣れていると言うかのごとく、背中で彼が答える。
いいや、わかっちゃいない。彼女がどれだけあんたのことを考えているか。どれだけあんたの野望とともに生きたいと思っているか。
俺は同じ道は行かないけれど、あんたの傍にいることを否定されたら俺だってあんたを恨むだろう。
「わかってない」
自然に強い口調になった。
振り向いたロイが片眉を上げる。
「少佐には、私の副官ではなく自分の足で立ってもらう。彼女にはその力があるんだからな。現に、その後間もなく少佐に昇進している」
そう、知っている。それでもなお、俺たちはこの男の傍にいることを欲するのに。
この男は飄々と気づかないふりをして、前へ進めと強いるのだ。
「わかってるさ…あんたはこの国を少佐たちに任せたいんだ」
自分の意志を継ぐものを、残したいんだ。
自分がいなくなってもこの国を新しい道へ歩ませるために。
「あんたは狡い」
ほら、彼女はもうその道しか歩めない。あんたがそうやって縛り付けるから、受け継ぐしかない。本当はあんたが変える未来とともに生きたかったはずなのに。
あんたは残酷だ。
「泣いているのか、エドワード」
「この俺が、泣くかよ」
苛立って、答えた。
頼むから彼女に、俺に、後を遺すなんて考えないでくれ。
胸が軋む。
ああ、俺はあんたを失くしたくない。失くしたくないんだ。どうしても近くまで来ている未来を迎え入れたくない。あんたがいなくなるなんてとても耐えられない。
「エドワード」
大きな手に肩を掴まれる。エドワードは金色の瞳を曇らせたまま、彼の双眸を見返した。10年前とは違い、今は同じ高さで交わるその視線。
どれだけ月日が流れても、背が伸びて歳を重ねて思いを共有しても。
いつまでたってもこの縮まらない距離は何だ。
「ロイ」
この男の名前を口にするようになって何年経った?
俺だけを見て俺だけを呼んでいて欲しいと願った若かりし頃はいつだった?
まだ足りない。
まだ全然足りないんだよ。
生身の手を彼の頬に伸ばした。吸い込まれそうな漆黒の瞳が細められる。その瞳に映った己の表情は、ああ確かに泣きそうな顔をしている。
抱きしめて欲しい。
そう思ったときにはもう、その男の腕の中に捉えられていた。
ぐらり、と眩暈のような感覚が襲う。
長い旅の間、この腕をどれだけ欲したか知れない。
「ああ、エドワード…。やっと帰ってきた」
エドワードの想いに呼応するかのように、ロイは金色の髪の毛に顔を埋めてそう囁いた。
お互いの間に漂う空気が、次第に熱に変わっていくのがわかる。
ああ
「もっと…強く抱いて、ロイ…」
この心が恐怖で凍えてしまう前に。力任せに平伏せさせてくれ。
応えるように男の両腕に力がこもった。胸が締め付けられて、吐息が漏れる。長い髪の毛が絡めとられて、紐で結んでいた髪の毛が、はらりと解かれた。
そこから指が這って、羽織っていた赤いコートが肩から滑り落とされる。
そして後ろ首に、冷たい唇が降りてきた。びくんと小さくエドワードの身体が跳ねる。
「…ード……」
消えそうに微かな声が耳朶を刺激する。甘い。半ば条件反射のようにエドワードは目を閉じた。
「ロイ……」
いかないで



その手で、身体で声で唇で。俺を滅茶苦茶に犯してくれ。
どうか
追いかけてくる怖い悪夢すら、見る暇がないくらいに。