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灰色の心臓

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 車の中から覗く空は灰色に曇り、雨が何時降ってきても可笑しくない模様。
 俺は運転席から空を見上げ、無言のまま、雨なんて降らなければいいのにと心の中で呟いた。
 空の下に海が、視界に収まり切れないほどの大きさで広がっている。
 高く荒れ狂う、半狂乱している波が、何故か悠然としているように感じた。

 灰色の空から、狂乱する海へ、最後に助手席に座る彼女に視線を移す。
 寒そうに体育座りをし、毛布に包まり、ただ一点、灰色の海に魅入られている。
 寒いのだろうかと思考する。走行距離十五万を走り抜けた臨終間近のカローラから、車を振動させるほどの暖房が生暖かい風を出している。
 それでも彼女の透きとおった肌は蒼白であり、心配にもなるが、冬の海を見たいと言い出したのは彼女自身である。
 喉まで出掛かる、帰ろうかという言葉を呑み込み、寒いねという有触れた言葉さへ心に仕舞う。
 余計な言葉は彼女の思考を邪魔するものであり、彼女が狂乱する海から、灰色の空へと、そして俺を見てくるまでの時間を待つことにした。
 付き合い始めて五年目、普段から多くを語らない彼女に対して、自分勝手な言動は何度も彼女を戸惑わせてきた。
 
 俺は高校を卒業して直ぐに繊維工場に就職し、それから四年が経った頃、彼女が仕入れを管理する事務員として入社してきた。
 最初は随分と無口で不機嫌な顔をする女性だと思ったが、仕事を一緒にするにあたり、無口なのは彼女の個性であり、不機嫌な顔をしていると、そう一瞬でも思った自分が、彼女に対して失礼な思い込みであった事に気付く。
 彼女に告白したのが、俺の年収が三百万から四百万になり仕事にも余裕が出て、男として少しだけ自信を持ち始めた二六歳の時だった。
 戸惑いながらも彼女は、一つ返事で頷いた。あれから五年、俺と彼女は三十一歳になった。
 付き合い始めても彼女は無口であり続け、またしても失礼ながら、この子の心臓は灰色なのではないかと、疑った時期がある。
 灰色の心臓。そう丁度この灰色の空模様のように。彼女の瞳から流れる涙、流れる血さへ灰色なのではないかと。

 勿論そんな事は無い。彼女は人間であり、瞳からは無透明の涙を流すだろうし、流す血は深紅の赤だろう。
 しかし、俺は彼女の泣いた姿と流れる血を実際に見たときが無い。無いに越したことはないだろうが。
 
作品名:灰色の心臓 作家名:桜井悠希