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やけどの跡

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『やけどの跡』

大学時代の学友の話である。小さい頃、顔にやけどを負い、右半分にその跡が残っていた。本人はさほど苦にはしていないが、初めて見る人はびっくりして一瞬言葉を失う。しかし、彼はそれをハンディと感じさせないほど、明るかった。

大学三年のコンパのときである。酔いがだいぶ回った頃、突然、軽口を叩くのが好きなX教授が「その顔のやけどはどうした?」と聞いた。
いくら彼が明るいとはいえ、X教授のあまりにぶしつけな質問に静まり返った。どう返答するのか、みんな、固唾を飲んで見守る中、彼は「小さい頃、やんちゃでね。家の中を走り回っていたら、転んで囲炉裏の中に顔を突っ込んでしまった」と笑いながらおどけた。笑いの渦が起こった。安堵した者もいただろう。本当に笑っている者もいただろう。だが、彼は冷静に笑いの渦を眺めていた。
後日、彼は淡々と語った。
「あんなのしょっちゅうあるよ。怒ろうが、泣こうが、現実は変わらない。このやけどと生涯付きあうしかない。それが生きるということだということに気づいたのはもう随分、昔のことだ。あの場で怒ったら、せっかくの飲み会が嫌な雰囲気になっただろ? だから、俺はピエロの役を引き受けた。やけどがある、滑稽なピエロの役をね」
 
夏祭りの日だった。夜店を二人で見ていたら、前にいた小さな子供が彼を指差し、「怖いお面をつけている!」と叫んだ。その時の彼の顔を生涯忘れることができない。笑おうとしていながら、今にも泣き出しそうな顔をいていた。
後で彼は独り言ように「これが俺の現実だ」と呟いた。

彼と酒を飲みながらあれこれと語ったことが何度かあった。あるとき、恋の話になった。彼はいつになく饒舌だった。
「君は恋したことがあるか?」と聞いた。
予想外の質問に驚いて言葉を失い、彼を見た。
「俺はあるぞ」と言った。
彼の話はこうだった。
――高校時代、同じサークルに属する女子に心を寄せた。神父の娘である彼女は、朝晩祈りを欠さない敬虔なクリスチャンであり、貧しい人のためにボランティア活動もする心優しきがあった。そのうえ美しい。周りの男たちは彼女を女神のように讃えた。
三年間、ずっと恋心を抱いた。分不相応と考え、何度も諦めようとしたが、できなかった。彼女に恋人がいたなら、それも叶わぬ恋と諦められたが、彼女にはそれらしき存在はいなかった。恋心をどうにも抑えられなかった彼は、卒業の前の日、彼女に告白した。
放課後の校庭で、恋心を打ち明けたとき、彼女は黙った。
「顔がみにくいから嫌いか?」と彼はそっと聞いた。
彼女は答えなかった。
「一ヶ月後、好きか嫌いか教えてくれ。嫌いだったら、もう二度と会うことはない」と彼は少し顔をそむけ言った。恥ずかしくて直視できなかったのである。
ふと見上げると、白いものが落ちてくるのに気づいた。雪の降っていることに、そのとき初めて気づいたのである。彼女にも雪が落ちて、その目が少し潤んでいる。
「泣いている?」
「違うの、雪が目に入ったの」と微笑んだ。
「一ヶ月後、僕は旅立つ。そのとき、答えくれ」と頼んだ。
 
長い冬も終わり、旅立ちの日が来た。初春の穏やかな朝だったが、ときおり雪がちらついている。
列車が発車する間際になって、彼女は駅に着た。が、会話する時間もない。彼女はそっと手紙を差し出し、「これを読んで」と言った。
 何も言えず、ただ彼女の顔を見ていた。女神のように微笑んでいる。――

過ぎ去った日のことを語ると、彼はしばらく黙った。
「もう、それだけで十分だった。彼女の気持ちが痛いほど分かった」と付け加えた。
「手紙は何と書かれていた?」という質問が喉まで出かったが止めた。
「意外か? 今の話は?」
「意外だけど、いい話だ」
「お前は正直だな」と言うと微笑んだ。
それから彼はこう付け加えた。
「手紙はずっと読まなかった。いや正確いえば、どんなふうに書かれていても、結局は、やけどがあるせいで、好きになれないという結論ではないかと思って読めなかった。でも、本当のところ、どんなふうに思っているかを知りたかった。このもやもやした気持ちの壁は乗り込えないといけないと思ったとき、読んだ。そのとき、はっと目が覚めるような感動を覚えた。『あなたが神様を愛するなら、私もあなたを愛します』と書かれていたんだ。その言葉に泣いたよ。そのとき、いつだったか、彼女に毒づいて言ったことを思いだしたよ。『神様がいるなら、こんな醜い顔にした理由を問いたい』と言ったら、彼女は実に悲しい顔をした。言った後で、なんの関係もない人を傷つけてしまったと悔やんだ。今でも実に苦い思い出だ。手紙にやけどのことを触れていなかった。安易な慰めはかえって傷つけると考えてくれたと思っているよ」

作品名:やけどの跡 作家名:楡井英夫