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恵美の失恋

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『恵美の失恋』

恵美は精一杯化粧した。何といっても、今日はデートである。それもこの人と思っていた彼とデートである。一流大学を出たわけでもない。一流の会社にいるわけでもない。金もたくさん持っているわけでもないが、優しい男だった。今まではあまりにも高望みをし過ぎて、恋が実らなかったが、今度こそと思っている。

デートの場所は海の見えるホテルにある喫茶店である。眼下には青い海が広がっている。
本当は夜にデートをしたかったが、彼があまり気乗りしない雰囲気だったので、昼にすることにしたのである。
 
彼はいつもと違っていた。いつもだったら、絶対言わないようなことを言いはじめた。あれこれと恵美の欠点をあげたのである。恵美は内心カチンときたけれども、愛情表現の一部だと思って
「そうね、これから気をつける」と笑みで応えた。
男は意外な顔をして恵美を見つめた。
「君の化粧、濃いね」と呟くように言った。
さすがの恵美も、今度ばかりは表情に出た。直ぐに相手の顔を見た。自分の表情に反応して顔を曇らせているのに気づき、まずいと思って微笑んでみようとするものの、うまく作れなかった。無理に笑おうとすると、目が怖いと言われたことを思い出し止めた。仕方なしに窓の外を見た。
高層ビルから見る海は青い。
「さっきから言い難いようなことを、わりとはっきりいうのね」とふてくされたように恵美は言った。
「そうかい、でも、本当に言いにくいことはまだ言っていないんだ」
思わず彼の方を見た。彼もまた海を見ていた。実に穏やかな顔をしている。いい男ではないけど、優しい感じがした。この人と一緒になりたいと思っている自分にあらためて気づいた。今まで、彼女が愛した男たちはみんな恵美の体を直ぐに求めた。それに飽きると潮が引くように消えた。しかし、彼は一度も求めたことはない。内心、物足りなさが感じたこともあったが。
「何かしら?」と尋ねる恵美の鼓動はいやがおうにも高鳴った。
「君と別れたいんだ」
「どうして!」という言葉が喉まで出掛かったが呑んだ。
「理由は言いにくいから言わない」
「言って!」と恵美は思わず声を張り上げた。
静かな店内にいる数人のカップルが振り向いた。
彼女の中にはいろんなシーンがある。映画のように出会いと別れが。そして何よりもはらはらするような美しいものでなければならなかった。彼との場合、結末はハッピーエンドしか思い描いていなかった。
「どうしてなの?」と言う恵美の目から涙が零れていた。
「うん、言い難いことなんだけど・・・」
「もういいの、言い難いことでも何でも言って」
「じゃいうけど、君のような体型は僕の好みじゃないんだよ。特に胸の大きいのは嫌いだ」というと男は席を立った。
今までの男たちはみんな恵美の豊満な胸を目当てに寄ってきた。唯一、それが彼女の自慢だった。今日だって、胸の形が露になるような服を着てきたのである。その胸が嫌いだというのだから。恵美は可笑しかった。けれど、涙もは止まらない。
「そんなの理由じゃないよね」と言った。
彼は答えなかった。
「本当の理由? そんなこと、いまさら聞いてどうする? 別れたい、ただそれだけのことさ」
今まで数多く失恋したけれど、容姿を悪く言われ、それを理由にされたことは一度もない。それを思うと悔しくてたまらなかった。
男は去ろうとしていた。
恵美はテーブルの上にある伝票を男に渡した。
「男ならちゃんと払ってよ!」と叫んだ。
「そういったところも嫌いだ」と言って伝票を受け取った。





作品名:恵美の失恋 作家名:楡井英夫