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ソライロバス

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「こりゃ珍しい、お客さんか?」
 そう声をかけたのは一番前にいる運転手のおじさんだった。ユメコはてくてくと運転手のおじさんのそばまで行く。
 きっちりと紺の制服を着こなし、頭に紺の帽子をかぶって、白い手袋をはめてハンドルを握る運転手のおじさんは、なんとなく四十歳前後に見えた。あくまでユメコの主観だけれど。
「まぁ……乗ろうと思ってたわけじゃないけどね」
「乗った人間は大概同じことを言うね。嬢ちゃん、このバスは先払いだよ。ここに二百円。まぁでも、いま降りるんだったら大目にみるさ」
 運転手のおじさんは左手でお金を入れる場所を指しながら言った。
 ユメコは走ってるバスから降りられるのか、と考える。でも降りられるというのなら止まってくれはするのだろう。そう言えば、このバスはどこへ行くのだろうか。そう聞くと、運転手はかかかと笑って答えた。どうやら陽気な人らしい。
「そりゃ嬢ちゃんの行きたいところさ。このソライロバスはそう言うバスだ」
「ないときは?」
「さぁ、どうすんだろうねぇ。ま、人間なんかしらあるもんさ」
 その答えに悩んで首をめぐらすと、一番後ろのユメコから見て右側の窓際に座っている人が見えた。そう、あの目が合った男の子だ。
 陽の光に透けた茶色のやわらかそうな髪が、バスに揺られて一緒に動く。遠目からでも分かる白い肌は、きっとそこらへんにいる女の子たちよりも白いしなめらかなのだろう。何だかそんな気がした。無表情な顔をしていたが、結ばれた唇はうっすら紅く、若干伏せた睫は長く色っぽい。一見すれば女の子にも見える。
(きれい)
 咄嗟に思って、質問がつい口から出ていた。
「……あの子も乗客?」
「あぁ、客だなぁ」
 運転手は肯定してまたかかかと明るく笑った。ユメコは考える仕草を見せたあと運転手に背を向け、ゆらゆら揺れるバスの中をうしろに向かって歩く。
「嬢ちゃん、どうすんだい?」
 ユメコはゆっくりと振り返って言った。
「乗る」
 戻ってきたユメコは、いつも小銭を入れてるコートのポケットの中から百円玉ふたつを取り出して、ごうんごうんと小さいベルトコンベアになっている支払口に入れる。ちゃりん、と小気味いい音を立ててふたつの百円玉はベルトコンベアに落ちていった。
 運転手のおじさんは了解と言う言葉の代わりにアクセルを踏み、バスの速度をぐいんと上げた。

「ねぇ、キミ。名前は?」
 ユメコは、たった一人の乗客の隣にわざわざ座ると質問攻めにした。だが、対する相手はずっと無表情のまま窓の外を見続けていて、ユメコのほうをちらりとも見ない。
「あたし、ユメコ。十九歳で大学生になったばっかなの。キミも同じくらい?」
 話し続けるユメコを無視して、儚い印象を受ける美少年は、ずっと景色が変わっていく外を見続けている。
「だめだよ、嬢ちゃん。その子は人見知りで、ほとんど喋らん」
「喋らないのと喋れないのは違うでしょ。……どうしても名前教えてくれないんだったら、勝手に呼んじゃうから。あたしがユメコだからキミは"ユメオ"かな」
 ユメコ命名"ユメオ"は、無表情だった顔つきをわずかに歪め、嫌な顔をした。気に入らなかったらしい。それを分かった上で付けた……かと言えば実は本気だったりもする。
「どしたの、ユメオー?」
「…………センスわる」
 あっけらかんと問いかけたユメコに、"ユメオ"が本当にぼそりと一言呟いた。思っているよりも低めで、けれどどこか甘さを感じる声にユメコは嬉しくなってふふふと笑った。
「よく言われる。でも教えてくれないなら"ユメオ"って呼ぶよ?」
 "ユメオ"がはぁーと大きなため息をついた。どうやらユメコのお喋りから無視し続けることはできないと悟ったのだろうか。それでも視線は外に向けて、窓枠に肘を乗せて頬杖をついたまま小さく答えた。
「……ヒカル」
 たった一言、それだけを答える。ユメコはまた声が聞けたことが嬉しくて、にこにこ笑いながらさらに言葉を続ける。
「ヒカルね。名前もきれいで、うらやましいな。ヒカルはずっとこのバスに乗ってるの? ずっと外見てるけど、なにか見えるの?」
 途端、また質問攻めになったユメコが面白かったのか、運転手のおじさんがかかかと笑っていた。
「嬢ちゃん、感心したよ。その子から名前を聞いたのはあんたが初めてだ」
「ふふふ。あたし、しつこいから。ねぇ、ヒカル───」
「……こんなにうるさいなんて……」
 ヒカルがうんざりしたように呟く。
 バスは変わらず走っていて、すでにユメコの知らない景色になっていた。ヒカルの見ているものを一緒に見ようとさらにヒカルに詰め寄った。
「それってバスの中からあたしが見えたってことだよね?」
「……それが何? ずっと外見てればそれくらい見えるよ」
「目が合ったでしょ、あたしと。なんであたしを見たの?」
 諦めたのか、ヒカルは外を見続けながらもユメコの質問に答え始めた。この上なくぶっきらぼうで、感情がこもってなかったけれど。
 バスは相変わらず速い速度で走っていて、止まる気配はない。けれど、ユメコはこのバスがどこに着こうがどうでもよくなっていた。
「乗ってほしかったんじゃないの? だって"こんなにうるさいなんて"ってことは、乗ってほしかったんでしょ?」
「…………自意識過剰」
 しばらく沈黙を守ったあと、ヒカルはそう言った。姿勢は相変わらずで、ヒカルはユメコのほうを見なかった。それがなぜだか無償に淋しくて、ユメコはヒカルが羽織っているシャツをがしっと掴んで揺さぶる。その拍子に頬杖をついていた肘はがくんとずれ、反射的にヒカルはユメコを見た。
 瞳は薄い茶色に見えた。色素が全体的に薄いのだろうか。でもその瞳に宿るのは静かな怒りで、ユメコはびくりと初めて怯えた。
「ごめ……」
「……君は、だれに対しても笑顔の仮面を作るんだね」
 謝りかけたユメコに、ヒカルは静かにそう言った。それはあまりにも唐突すぎて、だれにも知られなかった心の内をあっさりと射抜かれたことに最初は気付かなかった。だから、ほうけた顔でヒカルを見ると、喉の奥からかろうじて声の塊だけが発される。
「……え」
「君が見えたよ、確かにね。多分、このバスに乗るんだろうと思った。それだけだよ」
 ヒカルは一気に言い放つと、また窓のほうを向いてしまった。ユメコは思いの外近くにあった色素の薄い瞳と、つかまれていたシャツを放すために触れた手に動揺して、言うべき言葉を失う。
 しばらくの間、沈黙が下りた。ごぉーと言う、バスの走る音がやけに大きく感じられる。ユメコはぼんやりとヒカルとは反対側の窓を見つめ、びゅんびゅんと移り変わっていく風景を眺めていた。外はまだ街の中なのか、高いビルがまばらに見える。でもユメコはそこがどこだか分からなかったし、知ろうとも思っていなかった。
(でも、何となく懐かしい感じ……?)
 それは既視感(デジャヴュ)だろうか。バスにしてはやけに早く走っているから、すぐに通り過ぎてしまう景色を断定するのは難しい。だから多分"懐かしい"と感じたのだとユメコは思う。
作品名:ソライロバス 作家名:深月