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少女の思い出

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『少女の思い出』

 写真家野村慎太郎のところに一人の少女が訪ねてきた。野村はライオンみたいな強面の顔をしているが、少女は臆することなく面した。
今時の子どもは良く分からないと思いながら、野村は少女の話を聞いてみることにした。

少女は「十八歳の思い出にヌード写真を撮りたい」と言った。
野村は思い出にという言葉が妙に気になった。十八歳など白紙に近いもので,思い出とかいった古めかしい言葉とは、無縁の存在であると思っていたからだ。それに野村は過去を振り返らぬ主義であった。本来なら、そんな年寄りじみた言い方をされたなら、"帰れ!” と怒鳴るところなのだが、その日は違っていた。
 野村の特技は対象物を素早く観察する能力である。野村は隈なく観察した。背はすらっと伸びている。長くてきれいな髪、澄んだきれいな瞳が実に印象的であるた。写真集にする価値は十分あると分かった。
「どうして僕のところに?」
「先生の写真集を見たから、こんなに綺麗に撮ってくれるならと思って。それに、いつか女優になりたいんです」
 少女が言っているのは三枝潤子の写真集のことだろうとぴんときた。
「写真集って? どの?」ととぼけた。
「三枝さん」と微笑んだ。
 三枝潤子は野村の愛人だった。親密な関係な結んだ後に撮影した写真が多かった。それゆえに想定外の表情や肢体が撮れた。日常生活の仮面の下に隠された魔性の女の持つ顔がそこにあった。そんなエピソードなど、少女は知る由もないだろうが。
「どんなところが綺麗だった?」
 答えにくいのか、少女は少し顔をそむけた。野村は勝手にあれこれと想像した。少女にどんな経験があるというのか? 背伸びをして、愛の真似事の経験はあっても、ドロドロとしたところはないはずである。愛を経験したことのない少女に、あの写真集の意味が分かるはずはない。野村はそう確信している。
 少女はゆっくりと口を開いた。
「月夜に撮ったところなんかとても綺麗でした」と少し恥ずかしそうな顔をした。
 あの写真も愛を確かめあった後のものだ。別荘の背後に広がる森で潤子を撮った。森は静まり返っていて、月の光が神々しく降り注いでいた。裸体の潤子は自分で勝手にポーズをとった。いつもならうるさく注文をつけるのであるが、そのときは黙って潤子のなすがままにした。潤子がまるで女神のように見えたからである。シャッターを無心に押し続けた。しかし、現像した写真は多くがだめであった。裸体に愛の痕跡が鮮やかに写っていたからである。その中で幾つかが、愛の痕跡が写っていないものがあった。それが写真集になったのである。
 ただ野村はもう思い出したくないことだった。なぜなら、潤子との関係は夏とともに終わったのだから。思い出したくないと思えば、かえって不思議とあれこれと思い出してしまう。いつしか自分だけの世界に入ってしまった。
野村が我に返り、少女の方を見たら、少女が自分をじっと見つめていることに気づき、年甲斐もなく顔を赤らめてしまった。そのせいかどうか分からないが、「明日また来てくれ」と言ってしまった。
「はい」と彼女は快活に返事して、オフィスを出た。
「写真を撮ってほしいなら覚悟して来なさい」ととってつけたように言った。
少女は振り返り微笑んだ。
少女が帰った後、野村はタバコに火をつけた。
テレビをつけたら、三枝潤子に新たな恋人というニュースが流れた。世間では清純な女優としてのイメージが強いが、野村にはオスを食らうメスカマキリのようにしか思えない。ニュースに接して、あらためて別れて正解だと思った。
 もう夕方だった。沈もうとする日があたりを赤く染める光景を眺めながら、またタバコに火をつけ、あれこれと考えた。
 どんなきれいごとをいっても、人間も所詮は動物。女はただのメス。男もただのオス。現代の多くの男は、忙しい仕事のせいで本性を忘れてしまっているが、女は本性を決して忘れない。どんな仕事が忙しくとも。女の性は男の想像を超えるほど生に密着している。生きるために性に貪欲でもある。それが野村の考えだった。あの清純そうに見える少女もまたその例外じゃない。今はまだサナギだが、いつか蝶に変わるだろう。三枝潤子のように食らって生きるだろう。それを思うと何とも不思議な気持ちになった。
 
思い出になる写真か。二十年後、振り返ったとき、どんな風に撮ったら、顔を赤らめただろうと想像しながら、明日の撮影を考えた。


作品名:少女の思い出 作家名:楡井英夫