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この手にぬくもりを

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 日射しが強く、いつもに増して暑い日だった。
 第七方面軍司令官板垣征四郎大将は、司令部の一室で、ラジオを聴いていた。
 雑音が多く、内容はよく聴き取れない。が、それが何を意味するのかは理解できた。正確に言えば、今日、何が流れるのかを、あらかじめ彼は知っていた。
 外に置かれたラジオを聴いている司令部の将校達が、次々と崩れ落ちるように膝をついて、肩を震わせているのが、窓から見える。
 部屋の隅に控えていた副官も、泣いていた。

 その夜、板垣は司令部の将校達を集め、ポツダム宣言受諾の詔勅に従う、「承詔必謹」という軍の方針を説明した。彼らは皆一様に、泣きはらした目に悲痛の思いを湛えていた。
 板垣の説明が終わると、参謀長の綾部が後を継ぎ、将校達に各自、どのように身を処すかを尋ねた。
 しばしの沈黙の後、一人が口を開いた。
「閣下、ここで死にましょう」
「我々も皆、お供いたします」
 隣にいた参謀も、そう言って板垣を見た。残りの者達も、無言で頷く。
「馬鹿を言うな!」
 綾部が、声を荒げた。板垣はその傍らで、黙って部下達を見つめている。
「このまま降伏して、閣下が敵国の捕虜になることなど、見るに耐えません!」
「我々とて、日本が敗れて、このままおめおめと生きているわけには……」
 一人が発したその考えは、瞬く間に全員に伝染した。
 司令部内は、異様な雰囲気だった。綾部は、そんなことをされては困る、と歯噛みしていたが、一方で、その気持ちが分からない訳でもなかった。
 第七方面軍は、板垣司令官着任以来、本格的な戦闘は行っていない。日々敵の侵攻に備えているところへ、突然武器を捨てて降伏しろ、というのである。簡単に納得できるものではなかった。想像することすら禁じられてきた、敗北という現実に打ちのめされた頭に、自然と浮かんでくるのが「自決」であるのも、無理はない。
 はやる将校達を前に、板垣は黙ったままだった。綾部は、内心ヒヤヒヤしながら、板垣の動向を見守る。
 終戦処理を第一優先にし、死に急ぐことなく任務を完遂する、との決意は聞いていたが、板垣の頭の中に「自決」という選択肢があるのは間違いなく、綾部はそれを恐れていた。責任をとる、という形としてはなるほど潔いかもしれないが、この一大事に軍司令官に死なれては、後の対処に困る。ましてや、ここで軍の統率者である将校が皆で死ぬなど、それこそ第七軍麾下の兵はどうなるというのだ。
「お願いします、閣下!」
 板垣が何も言わないので、将校が悲痛な叫びを上げる。発せられる声は皆涙声で、すすり泣く声まで聞こえる。板垣に付いて昨日今日と、南方総司令軍会議や第七軍麾下軍司令官会議などにも参加していた綾部は、大の大人がはばかりなく人前で泣く、この光景は何度目だろう、と思った。
 業を煮やした綾部が何か言おうとすると、ようやく板垣が口を開いた。
「悪いが、俺は死ねない」
「閣下……!」
 将校の一人が、顔面蒼白になって言葉を詰まらせる。張りつめた空気の中、沈黙が流れた。
 大命を全うする為、自決などしている場合ではない。むしろこれからの方が多忙なのだ。もちろん、ここにいる将校達も、頭では充分に分かっているに違いない。それを他の部分でも納得するのが、難しい。
 しかし板垣には、死ぬという考えを一切打破する拠り所があった。
(……約束がある)
 そしてきっと、自分やここにいる将校以上に、大勢の兵達は約束を持ってここにいるのだろう。それをすべて束ね、責任を担っているのが、軍司令官たる自分なのだ。
 将校達は悲痛な面持ちで司令官を仰いでいる。
 板垣は言葉を探すように、ゆっくりと言った。
「俺は死ねない。が、そうでない者もいるだろう。それでも俺は、諸君も死ねない身であると自覚してくれる事を希望する」
 巧いな、と綾部は感心した。むやみに「死んではならん」と一喝したところで、よけい思い詰めて死のうとする者が出るかもしれない。実際、いきり立っていた将校達も、随分落ち着いたようだ。
 結局将校一同、この後の難局に当たることを板垣軍司令官の元に誓うこととなった。
 この一大事を機に、普段は鷹揚と構え、ほとんど部下任せの軍司令官だった板垣が、俄然、率先して仕事を行うようになる。
 それまで、軍司令官の立場上「生きて帰ってはならない」と考えていたのが、「死んではならない」に切り替わった。
 本当に死にたければ、それは可能だ。自分がいなければとか、自分が死んだらどうなるだろうとか、心配するほど自分は重要な人物ではない。今までも、板垣が何もしなくても軍務は回っていた。
 後のことなど考えずに、皆で生きることを選んだ底には、やはり、喜久子のことがあったのだろう。
 しかし、生きて無事でいることが、果たして良い未来に繋がるのだろうか。敗戦から時が過ぎるほどに、そんな疑問が板垣の頭をもたげていくのだった。
作品名:この手にぬくもりを 作家名:くりはら