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ツカノアラシ@万恒河沙
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novelistID. 1469
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A.アップルパイ氏の災難

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Aはアップルパイのaだった。
とんとん、何の音。これはね、扉を叩くノックの音。
二十六人目の招待客の華やかなる登場。
数日前、知人のA・アップルパイ氏から、ご自慢の手作りアップルパイを食べに家に来ないかと銀枠に飾り文字も麗しい招待状が来た。僕は一も二もなく、この御招待を受けることにした。何故なら、聞いた噂では A・アップルパイ氏ご自慢のお手製アップルパイは、口では言い表せない位、この世のものとは思えないほど美味しいと言う話なのである。
一口食べれば、夢気分。口にしたら最後、誰でも病みつきになってしまうこと請け合いとの事である。何かに中毒したかのように、食べずにはいられなくなってしまうらしい。あれこそが悪魔の手によるアップルパイ哉。また別の噂によると、A・アップルパイ氏は悪魔に魂を売って悪魔から作り方を伝授して貰ったらしいとまことしやかに言われている。それくらい、美味しいアップルパイらしい。
招待された当日、僕は朝から少し用事があったため約束の時間を少し遅れてA・アップルパイ氏の家を訪れたのだった。すでにA・アップルパイ氏の家には二十五人の客が到着して笑いさざめいていた。僕としてはほんの少し遅れたつもりだったが、どうやら僕は他のお客より随分と遅れてしまったみたいである。それとも、他のお客が僕よりも相当早くA・アップルパイ氏の家を訪れたのだろうか。真相は未だに解らないし、知るすべもない。
とにかく、僕は二十六人目の招待客だったらしい。その上、夜会服をしっかり着こんだ二十五人のお客は遅れてきたヒトを待ってくれるほどお優しくはなかったらしい。
それがなぜ解ったと言えば、二十五人の招待客はすでに大きな皿にソースが滴るA・アップルパイ氏特製のアップルパイをみんなで仲良く切り分けていたからである。群集の間から垣間見える、部屋の中心の白いテーブルには、大人一人くらい余裕での乗っかりそうな空の赤い液体で濡れた白い皿が置かれていた。
黙々と口に入れられるアップルパイ。
次々と皿から消えて行くアップルパイ。
赤い液体を滴らせながら咀嚼されるアップルパイ。
二十五人のお客の背後で憮然とする僕のことなんぞ全く眼中なしで、みんな揃って無我夢中でアップルパイをがつがつと目の色を変えて食べていた。それは、鬼気迫るような不気味で奇妙な光景。
b氏は齧って、c氏が切って、d氏が分けて、e氏が食べて、f氏は腕ずく、g氏が手に入れ、h氏は飲んで、i氏が調べて、k氏が残して、l氏は憧れて、m 氏が泣いて、n氏は頷いて、o氏が空けて、p氏は頷いて、q氏が四つに分けて、r氏は追いかけて、s氏が盗んで、t氏は取って、u氏がひっくり返して、v 氏は良く見て、w氏は欲しがって、x氏・y氏・z氏・&氏が揃って一切れ手に入れたがっていた。
僕はどうして良いか解らずに、戸口で立ち尽くしているとほんの少しだけ顔見知りのb氏が口の周りに、アップルパイ氏特製のアップルパイ用の血のように真っ赤なソースを口から滴らせてこう言った。ぬらぬらとソースで光る赤く染まった唇。血走った眼。
「残念ながら、君の分はないよ」
b氏は不気味な声で笑いながら全く悪びれずに言いたいことだけ言うと、すぐに僕に背を向けてアップルパイとの格闘に向かってしまった。あまりに素っ気ない態度。どうやら、アップルパイは二十五人の招待客で綺麗に分けてしまったらしい。僕はアップルパイを七転八倒した後に漸く諦めた。ない袖は振れない。ないものはないのである。落胆のあまり僕は群集に紛れて探すこともできないA・アップルパイ氏に訪問の挨拶もせずに、その上、お別れのさよならも言わずに家に帰ったのだった。ああ、哀れ。ああ、惨め。

二十六人目の招待客のおまぬけな退場。
翌日、A・アップルパイ氏が謎の失踪を遂げたことをヒトづてに聞いた。