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夢と現(うつつ)

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        夢と現(うつつ)

『偕(かい)老(ろう)洞穴(どうけつ)』という故事がある。『詩経』に由来し『夫婦の契りが固くて仲むつまじく死した後は同じ墓に葬られる』という意味らしい。
『かくありたい』とは願望の世界だろうか?
 定年を控え『熟年離婚』『定年離婚』などという陰に怯えるいわゆる『団塊の世代』も少なくない。
 なりふり構わず突っ走って来た団塊の世代には『ちと違うだろう』と言いたくなる。
 しかし、自身の周囲を見渡すと現実味を感じる部分が確かにある。『超高齢化』『老老介護』『年金』『自殺』などなど、有るわあるわ。
 戦後、この国の成長過程の中でその一翼を担った世代が描いた夢とは? 現実とのギャップは?
 その多くは困難に直面した時に「するしか無い」と自身を追い込んで歯を食いしばりながら乗り切ってきた。『することもできる』と別の道を探せる術を知っていたらまた違った人生の妥協点を見い出せたのに。
 
        ホスピス
 大阪府茨木市にあるホスピス『銀河荘』が開設されて三年になる。放射線技師の加藤信二は開設と同時にここへ採用された。
 平成十八年十二月、ドーハにてアジア大会が開催されていた。
 宿直室で信二はアジア大会の開会式を見ていた。ふた月に一回程度廻ってくる宿直に今夜は当っている。
真剣に見ている訳ではない。急患も無くただぼやっと見ながら今日のことを考えていた。
 末期癌の患者が今日亡くなった。山田貢 七十歳、男性。最後には笑みを浮かべて眠るように逝った。
 信二の仕事柄、患者の最期に立ち会うことは少ないが今回はちょうど移動式のX線撮影機を持って近くにいたのだ。
 山田がここへ転院してきたのは三ヶ月ほど前であった。話し好きなひとだった。放射線治療を受けに信二の元には看護婦に連れられて車椅子でよくやってきた。
 いろんなことを話してくれた。
 入院先の大学病院で紹介されてやって来たのだが、ここへ来て初めて告知された。しかも末期癌であり余命は僅かだと告げられた。うすうすは感じていたがはっきりと告知されるとまた別の感慨がある。
 胃潰瘍との診断で胃の全摘出手術を受けたのが半年前、すぐに退院できそうな気配だったが病状は改善しない。しまいには背筋に激痛が走りよく眠れなくなり食欲もほとんど無くなった。
「癌ではないのか?」と主治医に詰め寄ったが否定された。ここへ来るのは家族が見かねて医者と相談して決めたようだ。
『ここへ来て良かった』と山田はしみじみと信二に訴えた。告知されて残された余命をしっかり見詰めながら生きられる。モルヒネも使ってくれるし、本数の制限はされるが煙草も吸える。何よりもここではひとりの?ヒト?として扱ってくれる。寿司も、うな丼も食べた。嬉しい。
 こう話していた山田さんが笑みすら浮かべながら逝った。
 彼の死を考えながら自分が今ここにいる現実を信二は思い起こしている。
 昭和二十三年生まれの五十九歳、団塊の世代だ。中学を出て故郷の長崎から集団就職で大阪にやって来た。金の卵ともてはやされて就職した鉄工所の仕事はつまらなかった。定時制高校に通い卒業後独学でレントゲン技師の資格を取って市内の総合病院に転職した。看護婦をしていた妻と結婚してふたりの女児を設け平凡ではあったがまずまずの家庭を築いた。平均的な人生だと思い別に不満でもない。 
 アジア大会は選手の入場行進が始まっている。それを見ながら二十年ほど前のことを回想し始めた。
 四十歳になったころ信二の勤める総合病院にひとりの外科医がやって来た。中村時雄と名乗った。信二よりひとつ若いが出身が同じ長崎県でありすぐに意気投合した。ふたりとも酒が好きで休日の前日にはよく飲み明かした。『本当に医者か?』と思うくらい酒が入ると性格が変わってしまう。
 酒癖が悪いのではない。『そんなことまで俺にしゃべってもいいのか?』と思うことを平気でまくし立てる。悪意は読み取れないので信二も楽しく応じている。長崎の焼酎などが手に入れば気分も最高になった。
 お互い五十代にさしかかったある日、例によってふたりで飲み始めたのだがいつもの中村と様子が違う。
「先生よ。どうかしたのかい?今夜はらしくないぜ」信二が続けた。
「どんなにいやなことが有っても飲み始めるとすぐに中村節が飛び出すのにどうしたんだい?黙り込んであまり喰いもせず悶々と飲んでいる。表情も暗いぜ。先生の愚痴は聞いたこと無いが今夜は愚痴のひとつも言いたい気分じゃないのかい。俺でよかったらはけぐちになるぜ」
 時雄が重い口を開いた。「分るかい?今日ほど医者という商売がつまらなくなったことはなかった。イトの婆さん、知ってるだろう?今朝死んだよ」
「ああ、あのイトさんね。確か八十歳を少し越えているが威勢のいい婆さんだったな。俺なんかまるでその辺の悪ガキ扱いだったよ。そうかい、亡くなったのかい」
「通院時代から俺が担当して、そうだここへ勤務し始めたころからになるので十年近い付き合いだ。嫌がるのを無理やり入院させたのがそうだなかれこれ二年になるな。
 癌だよ。一年ほど前、高齢だが本人の希望もあって胃の全部と十二指腸の一部を切除した。肺にも転移が診られた。高齢が幸いしたのかそれから一年ほど生きたことになる。最後まで告知はしなかった。今朝方急変して俺が駆けつけた時には虫の息だったよ。カンフル剤を打ったりしたがすぐに心肺停止状態になった。俺は婆さんにまたがり心臓マッサージを始め、次に電気ショックを与えた。痩せ細った婆さんの体がベットの上で二度三度と跳ねたよ。それを見ていた長男が『もう止めてくれ』と叫んで俺に飛び掛った。長男と言っても今年還暦を迎えた人(じん)だ」
 時雄が飲み干したグラスに焼酎を注ぎながら「それで?」と信二が促した。
「もともと余命は無かった。好きなタバコは取り上げた。厳しい食事の制限もした。考えてみると俺は延命治療をしていただけなんだ。治る見込みも無いのに。
 癌の手術は病巣も含めて広い範囲を全て切り取るのが常識だ。例え患者が痩せ細りひどい下痢や嘔吐に苦しんでも命だけは救えるのだから仕方無い。病名すら知らされずに『必ず直るから』との医者の言葉を信じてな。
 長男が叫んで俺を制した時に身震いがした。医者って何なんだろう?ってね。
 病名も余命も知らせて痛みを和らげる治療も行い、好きなタバコや食べ物も適度に楽しませて残りの人生を意義あるものにしてあげられなかったのか?適度な距離を保ちながらそっと患者に寄り添えるような治療ができる環境は無いのか?
 少なくとも俺はイトさんに対して、してあげることはできなかった。医者という仮面を付けてさも善人ぶって患者を欺(あざむ)いている臆病者だよ」
 ここまでしゃべりグラスを干して「注いでくれ」と信二を促した。
「先生よ、そんなに自分を責めるなよ。俺は治療に関しては直接手を出せないが外野席から見ていると外科は他のどの科よりも明るいぜ。切ったはったは有るけれど、その多くは完治して退院して行く。先生もその手で多くの患者を娑婆(しゃば)へ戻して来たじゃないか。イト婆さんのようなケースも確かに有るだろうが先生が手を抜いたとは思わないぜ」
作品名:夢と現(うつつ) 作家名:笠井雄二