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小さな鍵と記憶の言葉

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 そろそろ戻ろう。いつまでもこんなことをしていると、風邪をひいてしまう。
 バスが来るまでまだ15分はあるけれど、私は頭を振って、自分に言い聞かせた。
 ほら、こんなに風も冷たくなって――
 名残惜しく立ち上がって、妙な感覚に囚われる。

 ――風が、吹いて?

 辺りを見渡した。噴水の水は出ていない。それに、草花ひとつ揺れていない。
 私は今、風の音を聞いたはずだ。強い風に目を開いたはずだ。なのに。

「……寒くない」

 本当に風は吹いていた?さっきのあれは、本当に風の音だった?
 まるで、鐘の音のような。
 しんと静まり返った公園で、揺れるものは何もない。じっと神経を澄ましても、やはり風は感じられない。
 それなのに、風もないのに水面は今も揺れている。私の顔が歪んで消える。

 ぽたり。拭い忘れていた涙が、頬を伝ってその上に落ちた。
 雫が落ちて波紋が広がる。冷たい水の中に消える。その下で、何かが光る。私は頬を拭くのも忘れて、その光るものを見下ろした。
 何かが動いてる。風が揺らしたのでも、涙が揺らしたのでもなくて、水の内側で何かが動いている。
 きらりと輝くもの。それが段々広がって、形を作って、こちらに湧き上がってくる。


 光。ひかり。
 揺れる、揺れるもの。

 そして、それが突然、水の中から突き出してきた。
 光。光るもの。


 その中から現れたのは。
 紛れもなく人間の掌だった。


「手……っ!?」

 ぱっと見では人の手に見えた。マネキンかもしれないけれど、とにかく精巧に『手』を再現したもの。白くて骨ばった、細めの指。
 言葉を失う。驚いて後ずさる暇もなく、その手が私の腕を掴んだ。

 すらりと細く、綺麗な手。今度こそ私は、短い悲鳴をあげる。しかしそれが空気を振るわせる前に、私は水の中に引き込まれてしまった。

 体ごと。
 荷物だけベンチに置き去りのままで。