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Chillyditty Of February―記憶―

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【後編】



 雨はほんの小雨だったらしく、少し立ちすくんでいる間にやんでしまった。
 ……が。
 どこかへ行こうという気力すらもうなく、ぼんやり空を見上げ続けていると、途端にがくりと膝から力が抜けた。操り人形が糸を切られたかのように崩れ落ち、石畳に膝を強く打ち付ける。痛みは走ったが、自分じゃない別の誰かのことのように感じた。
 しかし、それは紛れも無く自分自身に起こったことで――
 その証に崩折れた勢いで胸ポケットから紙が飛び出し、ひらりと落ちていった。

 雪のように舞って落ちたのは、今年の初めにマスターと2人で撮った写真。

 恥ずかしいからと写真を撮るのを嫌がったマスターが俺と撮った、最初で最後の1枚だった。
 手にしたその時から、出かける時には肌身離さず持っていて――どうやら茫然自失でふらりと家を出た時にも無意識にしまいこんでいたらしい。

 写真の中の2人は笑っていた。
 その2ヵ月後に永遠の別れが待っているなど、想像すらせずに。

 ……いや。彼は、心のどこかで感じていたのかもしれない。感じていたから、あれほど嫌がっていた写真なんて撮ったのかもしれない。
 もっとも、いくら考えたところで本当の答えなど解らないのだから、考えるだけ無駄ではあるのだが。


「……本当に……俺は、1人なんですね……」


 へたり込み、写真へうつろに語りかける。
 ――思うように歌えず落ち込んでいる時には、側で励ましてくれたマスター。
 ――気分転換にと、春に近くの丘まで連れて行ってくれたりもした、マスター。
 でも、その手は側に無い。

 ――『今回は手伝ってやるから、頑張るんだぞ』――

 いつもそういって、徹夜になっても気が済むまで練習させてくれた人の声は、もう聴くことができない。思い出の中の声ですら少しずつかき消されていってしまう。
 あの……オルゴールの音に。


「……いや……です……――マスター……」


 視界がにじみ。目に映る、唯一残された大切な人の姿が揺らぐ。
 失ってしまった事実は今でも思い出していたくない。

 でも、忘れたいわけではないのだ。

 あの人のことを何もかもはっきりと覚えていたい。間近にいるように、手の感触も声の響きも、全て色あせずに心に留めていたい。そして、それは人間には無理でも、機械の自分なら可能なはずだった。
 ……それなのに音が心を塗り替えていってしまう。
 歌う為に作られたことを忘れるなとでもいうように音色だけがリフレインして、鮮やかに留めていたい記憶の色をはがしていく。
 こうしている今でさえ、あの優しく、どこか嘘っぽい音楽は止まらない……。


「いや、なんですっ。マスター、マスター消えないで……!」


 頭を振っても。耳をふさいでも意味が無い。音は頭の中をめぐり続ける。
 ――あの人は――どんな音で俺を呼んでくれていたんだったか。
 声のテンポは覚えている。でも、些細な音の響き――その記憶が白く煙ったようにぼんやりするばかりだった。
 うなだれる眼下で微笑み続けるマスターに、ぽたりと大粒の涙が落ちる。


「置いていかないで、俺を1人にしないでくださいマスターーーー!!」


 冷たい墓の前でも言えなかった言葉が口をついて出た瞬間、堰を切ったように一切があふれ出た。涙も叫びも……悲しみも絶望も、全てが。
 それが人通りもある街の中であることなどは、どうでも良かった。
 いくら慟哭しても足りはしない。泣き叫んでも、さらけ出した本意であの音をいくら塗り変えたところで大切な人は永遠に戻らないのだから。
 そして――いつしか何もなかったように忘れてしまうのだろう。
 大好きだった、あの呼ぶ声も。あの人の存在までも、きっと。

 人間ではないから。
 決められたプログラムに、どうあっても逆らえない人工物だから――

 ……と。
 遠くからゆっくり近づいてきていた足音が、側までやってきた。



「……ここにいたのか、『KAITO』」



 頭上から降ってきたのは、製品ナンバーを呼ぶのと同等の淡々とした声。
 知らない声だと知りつつも、涙でぐしゃぐしゃになった顔を持ち上げて声の主を見上げてみる。
 そこにいたのは、やはり見知らぬ青年だった。年はマスターよりも数歳若いくらいだろうか。グリーンのコートに手をいれ、黒髪で黒のマフラーを巻いた彼は目が合うとにっと口の端を上げた。

「大丈夫。初対面だよ。オレの方は君を知っていたけれどね」
「………………」
「家に行ったら、君がいなくて探したよ。すぐ見つかってよかった」
「……なんの、用ですか」

 慟哭で酷使した声はかすれがちになってしまっていたが、ちゃんと聞き取れたようで、一度首が縦に振られた。


「回りくどいのは嫌いだから単刀直入に言うよ。『KAITO』、うちに来ないか?」
「――……え?」


 青年は笑顔で続ける。

「君のマスターの後輩なんだ、オレは。まぁ彼とは少し分野が違っていたけど」
「こう……はい」
「生前彼と約束をしてたんだよ。『何かあればカイトを助けてやってくれ』とね」

 コートから手を抜いて、こちらへ差し出してくる。


「だから一緒に来るといい、『KAITO』。君の悪いようにはしないさ」

「……でも……」

「信用できない?」


 その言葉にうなずいて返す。すると、屈託のない笑顔でうなずきが返された。

「素直が一番、ってね。構わないよ。君のマスターは……一生、彼だけでもいい」
「え?」
「言っただろ。オレは分野が少し違うって。音楽はまったくの無知なんだ」
「それじゃ……どうして、来いなんて」
「簡単だよ。来てくれなきゃ助けられないからさ。オレの専門は機械だからね」
「機械……」

 反復すると、彼が再度手を差し出した。


「早い内に君の記憶のバックアップをとっておこう。忘れてしまわないようにね」

「…………!」


 驚いて目を見開いた自分に、なおも話が続けられる。

「ボーカロイドは、人間の細やかな心を歌い上げるためにとあまりに人に近く作られすぎてるんだ。だから精神的ショックで記憶も飛ぶし、人格も変わったりする。しかも人間と違ってそれは完全な上書きや消去になるからね……下手すれば、人間よりもろいよ君達は」

 出された手のひらと、飄々と語る青年の顔とを見比べる。
 ……語られたことが事実か否かを確認する方法はなかった。作られた自分自身、そんな話は知らない。
 それでも。
 もし、本当だというなら――


「……マスター……を、忘れないで……いられます……か?」

「ああ。何度忘れたって復元してあげるよ。君を助ける、それが彼との約束だ」


 返された即答。マスターとは違う笑顔がそこにある。……大切な人を忘れてしまわないための、かすかな可能性が。
 左手で、マスターとの写真を握り締めた。
 そしてもう片方の右手を――恐る恐る出された手に乗せる。

 青年はその手を握って大きくうなずいた。



「よし、おいで。君の中のマスターまで失わせやしない。……絶対に」



 うなずき返した彼に促されるまま立ち上がる。
 マスターとは全く違う、迷いの無い力強い手を――俺も、弱く握り返した。