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記憶の日記

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 そのノートは唐突に私の前に現れた。
 現れたといっても、単に寝室にある押入れの掃除をしようと、奥にあった赤い丸の描かれた箱を取り出したら、その隙間から見つかっただけだが。
 保存環境が劣悪だったせいか表面は黄ばみ、埃のせいで手触りも最悪の状態。読み返された様子も見られない。表紙には私の名前と『日記帳』とだけある。1ページ目の日付を見ると、なんと四十年前に書いた日記。四十年前といえば私が二十歳の頃だ。
 休日だし腰を据えて読もうと思い、茶を淹れる。その間にあることを思いついた。それは、日記帳の最後、つまり新しい日付から過去へ遡って読もう、というものだった。なんてことはない、楽しい疑似時間旅行の気分とでも言おうか。
 ぱらりとノートをめくってみると、長期間書き続けたわけではなく、期間にして一ヶ月強の長さと分かった。最初に決めたとおり最新の日記から読み始めることにした。

『彼女とは別れた。彼女の病気が悪化したのだ。弾力のあったはずの肌は硬く、白くなっていき、匂いもそこら中ひどい。彼女の様子が「あなたにこんな姿は見られたくない。私と別れて」と言っているかのように感じられた。病床の彼女に無理をさせまいとそのとおりにした僕は薄情者だろうか。これからは新たな日々を生きなければならない。』

 日記の最後を飾るにしては随分な文章だと思った。文面だけ読むと自分がとんでもない人でなしのように思える。
いや待て。そもそも二十歳のときの私に恋人などいただろうか?
「いやいや……四十年前だぞ?」
 自分の事とはいえそれだけの時間が経っていれば記憶も曖昧になるだろう、と一人納得する。
茶を淹れなおしつつぱらぱらと読み進めていくと、全てのページの隅に赤い丸がペンで描かれていることに気がついた。何かの目印だろうか?
「……まぁ、読んでいけばわかるかもしれないな」
 熱い番茶を啜りながらつぶやき、半分ほどに差し掛かった日記のページをめくっていく。

『彼女はどんどんやせ細っていく。僕にできることはないのだろうか』
『彼女は病気。そう、病気にかかっているのだ』
『彼女を連れだして散歩に出かけた。もっと日の光に当たったほうがいいと思ったのだ』

「うん……?」
 私はその文章に違和感を覚えた。奇妙な文法というか、何かが抜け落ちているような気がしたのだ。違和の正体はすぐに分かった。
 この日記には過去の私と『彼女』とやらの対話が無く、常に私の行動しか書かれていない。恋人との甘い生活記録とはとても思えず、人形を可愛がる自分しか見えてこない。
 まるで、『彼女がいるフリをしている』かのような――
「ッッ!!??」
 想起した言葉が呼び水になったのか、頭に激痛が走った。私は思わず頭を押さえてその場にうずくまる。痛みは徐々に、割れそうな激痛から早く失神してしまいたくなる激痛へと増幅していった。そして、固く閉じた視界の先にイメージが浮かび上がった。

          ●

 像がはっきりしてくると、そこは六畳程度の部屋であることと、目の前に人影が立っていることが分かった。が、細部に違和感がある。部屋にあるものはかなり古く、テレビは白黒の映像を見せ、壁に架かる日めくりカレンダーには『一九七〇年』とあった。体は動かないが、私自身がこの部屋に立っているという実感だけがある。
 目の前に立つ人影は女性。長くきれいな黒髪に赤くて丸い髪飾り、利発そうな眼鏡に童顔、白磁の肌、すらりと長い脚。この人が、四十年前に私が恋した女性なのだと、頭ではなく心で理解できた。
 彼女の顔には怯えの表情と『またか』といった表情が半々の割合で混じっていた。私が何かを言ったらしく、彼女も何かを答える。音声がまったく無い。私はさらに彼女に詰め寄り、必死に何かを訴える。それでも相手は応じず怯えの表情を更に強くするだけ。
 と、急に私の右手が上がり、振り下ろされる。目標は彼女の顔。一瞬だけきらめく銀の線が見え、次の瞬間、私の手は何かに濡れていた。
 その光景を視界に入れ、脳で処理し理解した途端に部屋は真っ暗になった。

          ●

 覚醒。
 目の前に広がるのは古い雰囲気の六畳間ではなく、現代の色が濃い私の家の天井だ。どうやらあまりの痛みに昏倒していたらしい。息をついて、のそりと起き上がる。見回すと、ノートや服、手まで濡れていた。お茶をこぼしたのか……。
 机の上にできたぬるい水たまりに手をつくと、先ほどの映像のことを思い出した。
「あれは……現実に……?」
 起こったのだと、記憶が告げていた。
 だが、それならば日記はどうなる? あの日記は、内容はおかしいとはいえ彼女との生活を書いたもののはず。先ほどの映像は夢か妄想で、何かの間違いだったのではないか。
潔白を確かめるべく、ノートのページを繰った。もっとも古い、始まりのページを開く。

『ずっと追い求めていた彼女が、ついに僕のもとへやってきた。彼女の好きだった赤い色を贈ったので喜んでくれたのだろう。その際怪我をしたらしく、包帯を巻いてあげた』

「……」
 私が欲した答えはそこには無かった。この『赤』が示すところは、先の映像から察するに彼女の血液か。
 彼女の好きな赤い色、映像の中で彼女がしていた髪飾り、ノートの隅の赤い丸。思い返せば目印はそこかしこに落ちていた。
 立ちあがって居間を抜け、寝室へ歩いた。日記を見つけるきっかけとなった箱の表面には、大きな赤い丸。何秒か躊躇い、ようやく開く。
「ここにいたんだな……ずっと」
 彼女はそこにいた。硬く白い肌をした、骨となって。
 今なら分かる。日記に書かれた期間中、ずっと私が命のない彼女を愛でていたのだ。恐らくは、彼女を手にかけたことで精神を壊し、都合のいいように記憶の書き換えを行ったのだろう。最新の日記を書いた後、完全に骨だけとなったことで自分をだますのに限界が訪れたこと、そして彼女との明確な別れを認識したことで記憶の置換が再び行われた。以来、彼女は居なかったことになった。箱の中には一緒に、黒く固まったナイフと左のレンズだけ割れた眼鏡、そして『女学生、行方不明』との新聞記事が入っていた。
「私は彼女を……殺した」
 非常に今さらな罪の意識や良心の呵責も、脳が作り出した都合のいい嘘でしかないと理解したとき、私は考えるのをやめた。
「行こう……ドライブだ」
 車の鍵と彼女の入った箱だけを持って外へ出た。白いセダンのドアを開け、箱は助手席に。私は運転席でエンジンをかけてすぐに発進した。
 これはデートだ。貴女は嫌がるだろうけど、私の最期のわがままと思ってほしい。

          ●

後日、海に沈んだ白のセダンが引き揚げられた。車内には箱を抱くような格好をした死後半年の男性、箱の中からはかなり古い白骨死体が発見されたという。
作品名:記憶の日記 作家名:ナウビレッジ