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「月傾く淡海」  第六章 葛城の宿業

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……倭文は、夢を見ていた。
 ひどく懐かしいと思った。近頃では、滅多に見ることもなくなった、幼い頃の夢だ。
『ねえさま、どこにいくのっ』
 まだ二つか三つくらいだった香々瀬が、倭文の後をとてとて追いかけてきた。香々瀬はその頃、いつも倭文の行く先について来たがった。
 香々瀬の口癖は二つだ。「どこにいくの」と「ぼくもいく」。たった一つしか違わないのに、倭文は弟の香々瀬を、鬱陶しいちびだと思っていた。何をしても適わない癖に、なんでも真似したがる。
 多分倭文は早熟で、本来の年よりも、ずっと大人びた子供だったのだろう。自分たち姉弟を微笑ましく見守る周囲の大人たちさえをも、どこか冷めた目で見ていた。
 弟は、小さくて、弱くて、馬鹿で、柔らかくて、丸い。……何かに似ている。そうだ、あれだ。生まれたばかりの兎。ぎゅっと握ったら、ぶちっと弾けて潰れてしまいそうなところがそっくりだ。
『ねえさま、ぼくもいく』
 許してもいないのに、香々瀬は倭文の衣を握った。
 倭文は辟易する。--姉が弟の面倒を見なくてはならないなんて、一体誰が決めたんだろう。こんな弱い奴、さっさといなくなればいいのに。
 今より子供だった分、倭文は素直で残酷だった。
『……ほんとうに、ついてくるの?』
 背の高い倭文は、香々瀬の顔を見下ろして言った。年子だったが、その頃から倭文の方が弟よりずっと発育が早かった。
『うん。いく』
 香々瀬は疑いなく微笑んだ。無垢な弟に懐かれる度、倭文はいつも、何だかいらいらとした気分になったものだが、その理由は大人になってからわかった。要するに、他人から頼られるのは煩わしかったのだ。
 倭文は、香々瀬を脅かしてやろうと思った。
『……ねえさまはね、葛城山へ行くのよ』
『えっ』
 案の定、香々瀬はすぐに怯えた表情になった。
『でも、ねえさま、葛城山には入っちゃいけないって、みんなが……』
『ばかね。《みんな》は入っちゃいけないけど、《わたし》はいいのよ。おまえ、ほんと
にばかね』
 倭文は居丈高に言った。
 王族の立ち入りが許されていることはなんとなくわかっていたので、そのことを言いたかったのだが、さすがに倭文もまだ幼く、うまく説明は出来なかった。
『ちがうもん。子供は行っちゃいけないって、めのとが言ってたもん』
 香々瀬はしつこく食い下がった。この頃から、妙に頑固なところのある弟だった。
『……っ』
 思わぬ反抗をされたせいで、倭文は本気で腹がたってきた。小さい頃(いや、実は今でもか)倭文は短気だったのだ。
『ねえさまはね、香々瀬を消しちゃってくださいって、一言主さまにお願いにいくのよ!』
 倭文は香々瀬に向かって怒鳴った。途端に幼い香々瀬は顔をひきつらせる。
『こんなうるさい弟なんていらない! 一言主さまは、いいことでも悪いことでも、たった一言だけお願いを聞いてくださる偉い神様よ! 香々瀬なんて、いなくなっちゃえ!!』
 掌で香々瀬の頭を叩くと、倭文は葛城山に向かって走り出した。後ろから、取り残された香々瀬の甲高い泣き声が聞こえる。
 馬鹿な奴。神様なんて、いるわけないのに。信じて、泣いちゃってる。ほんとに、どっかいっちゃえ……。
(……ああ。でも、いたんだなあ……)
 半濁した意識の中で、大人の倭文はぼんやりと考えた。どうも頭が、半覚醒状態のままらしい。夢の中で、自分が夢を見ているのだとわかる。
 あの後、葛城山に踏み入った倭文は、本物の一言主に出会ったのだ。それ以来、ずっと奇妙な関係が続いている。思えば、もう長いつきあいだ。
(それにしても……私、小さい頃、随分香々瀬を苛めてたんだわ……あの子が歪んだのって、そのせいだろうか……)
 思い出せる記憶は少ないが、それでも幼い頃はいろいろと意地悪をした気がする。仕方ないじゃないか。そもそも、子供というのは生来残酷な生き物なんだし。あの子が弱かったのまで、責任は持てないのだから……。
 言い訳めいたことを考えている内に、また夢の光景が変わった。
 今度は記憶ではない。
 まったく、見た覚えのない画像だ。
 最初に現れたのは、夥しい兵馬だった。一つの国をでも平伏できそうなほどの軍勢が、武儀を飾った若い男に率られ、威風堂々と行軍している。
 兵軍は、ある山裾に拓けた大きな里に辿り着いた。その場所は、不思議と倭文の生まれ育った葛城の里に似ていた。軍は里の田畑を蹴散らして進み、王の御館を取り囲んで止まった。
 御館を囲んだ全ての兵は、弓に矢を番え、すぐにでも攻撃できる体制をとっている。飾り立てた馬に乗った将と思しき若い男が、館に向かって大声で叫んだ。
「--穴穂の大王を弑逆した謀反人、目弱王がこの葛城に逃げ込んだことは既にわかっておる! 葛城の円(つぶら)よ、汝も大王に仕えた大臣ならば、即刻謀反人をこの泊瀬に引き渡せ!!」
 御館の方でも、警護の兵たちが、里を守ろうと臨戦体制を整えていた。しかし彼らの長は、矢を放つ命を発することもなく、自ら敵軍の前に姿を現わした。
 袴の裾に足結の鈴を結び、立派に装束を整えた里の首長--円の大臣は、馬上の将軍に向かって丁寧に拝礼した。
「このような形でお会いすることになるとは、思っておりませんでした。泊瀬の皇子」
 円の大臣は、まだ二十歳そこそこの青年に見えた。
 夥しい軍門を前にして、まったく怯む様子もない。穏やかな決意に満ちたその顔はとても静かで--倭文の知っている、誰かに似ているような気がした。
「円の大臣……」
 葛城の大臣と対峙した「泊瀬の皇子」の方が、逆に余裕を失っているようだった。彼は何かに急き立てられている。その焦燥が、醜い隈となって、彼の顔をどす黒く色取っていた。
「目弱王を引き渡すのだろうな」
「いいえ」
 若い円は決然と告げた。
「引き渡さねば、葛城も謀反に加担したものとして、うち滅ぼすぞ!」
 泊瀬の皇子は脅すように叫ぶ。彼は、何をそんなに恐がっているのだろう、と倭文は不思議に思った。
「泊瀬の皇子」
 自分より年上の皇子を諭すように、円は呼びかけた。
「古より今に至るまで、臣下が王の宮に隠るることは聞き及びますが、王が臣下の館にお隠れになったことは、聞いたことがございませぬ。……私が力を尽くして戦っても、あなた方に勝つことは出来ぬでしょう。しかし、この円を頼り、葛城の館にお入りになった目弱王を、私は死んでもお見捨て申せませぬ」
 恬淡と語る円の瞳に、迷いはない。
 彼はもう、全てを決めてしまっていたのだった。


 目を覚ましたとき、倭文は泣いていた。
 悲しかったからではない。悔しかったからだ。
 さっき視た夢。鮮明すぎる、あの画像。
 「泊瀬の皇子」「目弱王」「円大臣」……出てきた言葉で分かる。あれは、数十年前の--金剛山の麓にあった、「もう一つの葛城」が滅んだときの乱だ。
 自ら予言した通り、円大臣は泊瀬の皇子に--後の、「泊瀬の大王」の軍に勝つことは出来なかった。
 矢を打ち込まれ、焼き払われた葛城の所領は、葛城一族の至宝と謡われた韓媛と共に、あの大王に奪われた。
 結局、目弱王も円大臣も、戦いの果てに自刃して果てた。玉田葛城氏は滅んだのだ。一人の、愚かな男を庇ったが為に。