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夢幻堂

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「来ますよ、また。ひょっこりと気まぐれに。さぁ、いまはこの子の魂にたくさんの休息を与えてあげることが先決ですよ? カンナ、この子が目覚めたときのためにお茶の用意をしてきてくれますか?」
「はい!」
 にっこりと笑って言ったヨウに、カンナも素直に笑顔を返す。そんな風に感情を出すことを自分に許したのはそう遠い過去ではないのに、とても昔のことのように思えた。もう、感情を封じ込めることができないと思えるほど。
 この場所と、深い愛情をそそいだヨウたちの心に満たされながらカンナは還るべき器を失くした小さな魂のために、あたたかいお茶の用意をはじめた。


「この《虹の羅針盤》をあなたにあげましょう、カンナ」
 美しい紋様が刻まれ、幾重もの輝きを放つ虹を閉じ込めた羅針盤。それは、ついこないだ訪れていた小さく弱った魂が抱いていた宝飾品だった。虹色に光を放つ針が望む場所へと導き、幸福な未来を約束されると言う。なぜあの魂がそれを持っていたのかカンナには分からない。けれど高い空へ行くにはすべてを洗い流していかなければならないのだ。生きていたころの残り香を連れて行くことは許されず、ただ魂のみ天上へ昇る。きっとだから夢幻堂に残されたのだ。ここに置かれたたくさんの宝物たちは誰かの手から夢幻堂に留まり、また誰かの手に渡る。そういうものなのだとヨウは言っていた。《虹の羅針盤》もそのひとつになったのだろう。
 けれど、行きたい場所どころか生きる意味すら喪った自分にどんな意味があると言うのか。だから聞いた。どこまでも優しくて、真っ直ぐで、自分を大切に守ってくれている夢幻堂の店主に。
「………どうして」
「あなたに相応しいと思うからですよ」
「ふさわしい?」
 神殺しの巫女と言われていた自分に、あざやかに彩られた光を輝かせるこの羅針盤の、なにが相応しいと言うのだろうか。
「多くを望むものに《虹の羅針盤》を持つことはできません。あなたは自分の望みを決して言おうとはしませんね。だから、私はあなたにあげたいのです。たったひとつの願いごとでいいのです。心から願うことを、見つけて下さい」
「でも」
「私はカンナと一緒に歩める未来をあげられません。だからせめて、幸せの道標だけでも持っていてほしいのです」
「……ヨウさま? ヨウさまは……どこかへ行くのですか?」
「もう少しだけあなたが大人になったら、分かるでしょう。さぁ、今日はお客様がたくさん来ますよ。準備はいいですか?」
 にっこりと穏やかに、いつものように微笑みをたたえてカンナの手の中に《虹の羅針盤》を握らせた。それを手にした瞬間、カンナの想いに呼応するかのように七色の輝きが差し込む光に共鳴して煌めきを増す。言葉を失うほどの光彩に思わず魅入ったカンナにヨウは満足そうな表情を浮かべて扉を見やった。
 はっと気づいたカンナが返す間もなく、チリンと夢幻堂の鈴が鳴る。 今日何度目かのお客を知らせる鈴が。
 そのまま、《虹の羅針盤》はカンナのものになったのだった。


「返そうとするとヨウ様が悲しそうな顔をするの。それを見たくなくて、私は《虹の羅針盤》を自分のために使おうって、大事に持ってたわ」
「それならどうして手放したんだ?」
 これがあの老紳士がカンナに渡したということは、いままで《虹の羅針盤》は彼が持っていたのだと分かる。それならきっと彼女が《虹の羅針盤》を手放したのだろうことは容易に想像できた。カンナはそのときのことを懐かしむように目を細め、小さく息を吐く。
「………あの人が、|夢幻堂《ここ》を去るって決めたとき、私は幸せになってほしいと願ったの。なにかを願うことも、望むことも知らなかった私に、そのすべてを教えて与えてくれたから」
「いらないって言われただろ?」
「言われたわ。だけど、押し切ったの。あの人が行く場所に、すこしでも幸せが多くあってほしかったから。……それが、あのときの私の心からの願いだったの。だからヨウ様は受け取ってくれたわ」
 静かに美しい光彩を放つ《虹の羅針盤》をそっと見つめて、やさしく胸に抱く。ヨウがまた自分にこれを託した想いが伝わってくるようで、カンナの心はあたたかいもので満たされていく。
 薄茶色の髪が、どこからか入り込んでくる光によって金褐色に照らされる。神の力を宿していた艶めく黒髪も、焔色の瞳もとうに失ったものだけれど、カンナは間違いなく救われた。かつての夢幻堂店主にかかえきれないほどの愛情をもらって、消え入りそうだった魂は光で満ちあふれた。その懐かしい日々が久しぶりに思い浮かぶ。 
「……カンナ、いまは幸せなのか?」
 どこか不安そうなシオンの声に、カンナはくすりと微笑む。二度と笑うことなんてないと思っていたのに、カンナはいまこうやって自然に微笑むことができるようになっていた。そのきっかけをくれたのは間違いなくここの前店主であり、そして感情の出し方を教えてくれた"夢の渡り人"だった。そんな日が永遠に続けばいいのにと思ったけれど、それは永遠ではなかった。けれど、あの日々に得たものはいまも変わらない。そして、だれかといることがこんなに心安らぐのだと言うことを、自分が迎え入れたシオンが教えてくれた。だからカンナは笑っていられる。
「幸せよ、すごく。ここにいたおかげでシオンとも出会えた。……傷は、いつか癒えるの。過去に犯した罪は消えないし、一生を尽くしたって贖えないけど………でも私はだれより幸せだって言えるわ」
「俺は……お前に救われた。だから罪だっていつか赦されるんだ。赦されていいんだよ……カンナは十分苦しんだろ」
 なにを言っていいのか分からないのか、シオンはめちゃくちゃな論理でそう言いながら顔を背ける。照れているのだと見抜けるくらいには長く一緒にいる。くすくすと笑いをこらえながらカンナは《虹の羅針盤》を差し出した。
「手元に戻ってきたのはなにかの運命なのかもね。きっと、まただれかの手に渡るのよ。それはシオンであってほしいと思うわ」
 差し出された羅針盤を見て、けれどすっと目を逸らしてカンナを見上げる。
「いらない。俺には必要ないものだ。俺は幸せだし、それ以上は望まない。それは本当にお前が持つべきなんだよ」
「でも」
「願いがないならできるまでゆっくり考えればいいんだ。そしたらなにか見つかるかもしれないだろ。俺に『生きろ』って……そう、救ってくれたみたいに」
 カンナは驚いた。シオンの言葉に。自分はなにも与えていないと思っていたのに、それすら飛び越えて救いをくれたと、生きる意味をくれたのだと、そう言ったのだ。
「お前はだれかに幸せをやるばっかりで、自分の幸せだけ見てないんだ。そうしちゃいけないって言い聞かせてるようにも見える………そんなのは間違ってるんだよ」
「………ふふ」
 いつになく真剣なシオンの表情に思わず笑みがこぼれる。それはシオンの真剣さに笑ったのではなく、ただ嬉しかったのだ。
「なんで笑うんだ?」
 だから不機嫌そうに言ったシオンにカンナはゆっくりと首を振って答えた。
「ううん、違うの。嬉しいの………いつの間にかシオンは成長してたのね。出会ったころは私と同じで感情を出そうとしなかったのに」
作品名:夢幻堂 作家名:深月