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ライドガール

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三 挑戦の意味




「収穫祭は半年、いや五か月前か……なんだかもっと昔みたいな気がするね」
 目の前で揺れるバルメルトウのたてがみを見つめながら、リウは隣の馬車からのシャルスの声を聞いていた。
「きみがすっかり変わったからかな。収穫祭で仔馬のしっぽみたいな髪で踊っていたきみとは、別人みたいだ」
「シャルスは変わらないね。仔馬のしっぽって言い方もそのまんま」
「はは。たしかに僕は、褒め言葉もうまくないままだ」
 少しばかり沈黙があった。
「……やっぱり〈天馬競〉に出ているんだそうだね。僕がいなくても」
「それしかないもの」
 同地方同業のノア牧に息子がいるという話くらいは、リウも聞き知ってはいた。そして去年の秋のタールーズの収穫祭で、リウは初めて彼に会った。
 収穫祭では男女が組むダンスがある。その年リウはシャルスと同じ組になった。言葉を交わし、ともに踊り、また言葉を交わし。ダンスの後には草競馬に出るという彼の応援にリウは行き、声援を送った。シャルスは見事に勝ち、リウに手を振った。
 横顔に彼の視線を感じる。
「そうかな。今日きみにまた会えて、とても驚いたよ」
「驚いたのはこっちも。まさか会うなんて思わなかったもの。イシャーマ牧の馬をつけてたなんて話、全然しなかったじゃない」
「有名だったからね。ランダルム牧にイシャーマの五男が出入りしていたって話は」
 リウは視線は動かさずにまばたいた。
「……有名、なんだ」
「タールーズどころか北部一、二の大牧と、失礼だけれど農場とたいして変わらない小さな牧だよ。うわさにならないわけがない。知らないのはきみとカズートさんくらいだよ。実際にきみと話してみて、所詮うわさかと思っていたけれど、そんなことはなかったみたいだね」
 リウは眉間に険をただよわせて、シャルスに顔を向ける。
「どういう意味?」
 今度はシャルスのほうが行く手を向いて、リウに整った横顔を見せている。
「去年のきみは、イシャーマ牧に行ったことはないと言っていたよ」
「そう、今日が初めて。わたしが〈天馬競〉に出てるって知ったから、カズートが天馬を見せてくれただけ。天馬を牧の外には出せないもの、わたしが行くしかないじゃない」
「そうだね、天馬を見せるなんて滅多にないことだ。随分と大きな好意だよ。特別としか思えない、ね」
「……そう。わたしたちって、そういううわさになってたんだ」
「なにしろ大牧の御曹司が足繁く通っていたのは、特別なものなんてなにもない小さな牧だったからね。ただ御曹司と同じ年ごろの娘がいるというだけの」
「本当に子供のころからのことなのに? それにカズートはずっと南部に行ってて、一年もうちには来てなかった。なのにそんな話になるの?」
「振ったとか振られたとか、もちろんいろんなうわさがずっとあったよ。いまでもね」
 リウは背中を冷たい手でなでられたような気分になった。
「……簡単な話なのに。カズートは遠乗りが好きで、うちは一休みするのにちょうどいい場所にあって、お互い牧の子供だったから友達になって。たったそれだけのことなのに」
「だけど実際、彼はきみに天馬を見せている。僕はもう何度もイシャーマ牧に行っているけれど、決して与えられることのなかった恩寵だ」
「恩寵って、そんな言い方しないで。カズートがそんなつもりだったら、わたしは今日だって来てない。それにカズートは、わたしに〈天馬競〉をやめさせたかったからって」
「わからないかな。これを恩寵と感じなくてすんでいるだけ、きみは恵まれているんだよ」
 カズートからしたらなんでもない友情のつもりでも。そしてリウがありがたくそれを受けただけのつもりでも。周囲からしたらそれは特別なことになってしまう。
 リウはぎゅっと口を結んだ。うっかり天馬を見たいなどと口走ってしまったことを改めて後悔した。
 シャルスの横顔に淡い微笑が浮かんだ。
「うわさときみと、どちらを信じたらいいのか、僕はずっと迷いつづけていた。そしてきみから〈天馬競〉に出てくれるよう頼まれたとき、僕は結局うわさを信じてしまった」
 その手首が返り、ぴしりと軽く馬車馬を追い立てる。無駄のない腕の動きも、気を抜いた馬のわずかな気配を見逃さない鋭敏さも、馬をよく知った者にしか不可能な技だった。リウが〈天馬競〉を目指す仲間になってほしいと願った、去年のままの手並みだった。
「今日まで僕は、自分を情けない男だと責めてきたんだ。僕に伸ばされたきみの手を、別の手は他の男がつかまえているかもしれないといううわさだけで振り捨てたんだから」
 シャルスの静かな声が続く。
「だけどイシャーマ牧に行くようになったのなら、心配する必要なんてなかったようだね」
「シャルス――」
「いや、勘違いしないでほしいんだ。きみを責めているわけじゃない。牧の男がふたりいて、きみは頼りになるほうのひとりを選んだ。ただそれだけの、当たり前の話さ」
 からからと回る馬車の車輪と馬たちの蹄の音はよどみなくつづいている。だが、ふたりの人間は物音ひとつ立てなかった。
 道の上に落ちた影は次第に伸び、やがてランダルム牧の丘の木が見えてきた。
 それまで続いた長い沈黙をリウは破った。
「ありがとう。ここならちゃんとうちの牧まで送ったってことになるから」
 リウはまっすぐシャルスを見つめた。
「あなたがそんなことを考えてたなんて、わたし、全然知らなかった。いろいろ話したつもりだったのに、わたしたちってなんにも話してなかったんだね」
「僕は臆病者だからね。きみに、ありのままの自分の姿なんて、とても話せなかった」
 シャルスは微笑んだ。
「イシャーマ牧からしたらうちの牧なんて、自分自身の小指より簡単に好きにできるものだ。その機嫌を取るのに精いっぱいで、正直きみに頼まれるまで、自分の力で〈天馬競〉に出るなんて考えたこともなかったよ。そんなちっぽけな存在が実際の僕なんだ」
「あそこと比べたらどこだってちっぽけだよ。ノア牧だって小さな牧じゃないのに」
「それでも内実は、すでにイシャーマ傘下のようなものさ。イシャーマ牧がつきあいはやめたと言ってくるだけで、もううちはどうしようもなくなる。あそこの馬をつけられなくなれば、それだけで馬の値打ちが下がるからね――考えるだけで頭が痛くなるよ。これでも父の共同経営者になったときには、もっと堂々とやっていくつもりでいたんだけれどね」
 シャルスは振り返り、馬車につないだ黄褐色の馬を見た。
「一生懸命育てた馬を間抜けと罵られて、イシャーマの馬には釣り合わない駄馬しかいないと嘲笑われても、愛想笑いでうなずくだけでなにひとつ言い返せない。それが僕と僕の牧だ」
 笑顔と呼ぶには冷ややかすぎるシャルスの表情は、リウの知らない顔だった。
 リウはじっとそんな彼を見つめ、そして唇を噛んだ。
 甘ったるい奇跡、夢だと言った、カズートの言葉が頭の中に響いている。
 そうかもしれない。なにもかもから目を背けて、心地よい夢を見たいだけなのかもしれない。だけど、それでも、わたしはやっぱりあきらめたくない。覚悟が足りないというなら、それだって持ってみせる――リウはバルメルトウからすべりおりた。
「シャルス」
 御者台の彼を見上げる。
作品名:ライドガール 作家名:ひがら