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なつきすい
なつきすい
novelistID. 23066
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永遠のフィルター

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2. 彼女についての考察


 歩道橋での出来事以降、それまではいるかどうかすら意識しないでいた土谷の姿が、教室に入るなりちゃんと目に入るようになった。
 土谷の席は、窓側の後ろから二番目。セントラルヒーティングの暖房機のすぐそばの席だけれど、この時期にそのありがたみを感じることはないだろう。むしろ窓から射す日光で、これからの季節はやや暑くなりそうに見える。
 土谷は大体朝の学活の五分前に登校してくる。座席に着いて一通り用意を済ませると、窓の外を向いていることが多い。見ている、というよりも向いている、だ。あの歩道橋の袂で見たときのような、どこを見ているのかを追えない、あの目を窓へと向けている。賑やかな朝の教室の中で、誰と話すでもなく。
 そう、誰と話すでもなく。
 僕の記憶の中にある小学生時代の土谷は、本人はそう口数の多いほうではなかったが、それでもそれなりに誰かと会話をしていた。聞き役というポジションであっても相槌を打ったり質問をしたりはするし、土谷の声は大きくはないけれどよく通るから耳に入る。
 だけど、今の土谷はほとんど誰とも話さない。ある日なんか教室で声を出したのが、出席と朝と帰りの学活の挨拶、それにくしゃみをしたときだけだった。別にいじめられているわけでも積極的に無視をされているわけでもないのは見ていればすぐにわかった。
 あまりにも、土谷の存在感が希薄なのだ。まるで、ここにいないみたいに。
 確かにそこにいるのに、それに誰も気づかない。ついこの間までの僕と同じように。そういえば出席番号順に当てる先生以外に、授業中に土谷を指名する人はあまりいない気がする。
 間違いなく土谷はこのクラスに在籍している。名簿にもちゃんと載っている。だから、出席番号順に上から読み上げていけば、出席番号二十三番のところに、土谷美月の名前はあるし、それを見落とすことは普通ない。
 だけど、教室をぱっと見回した時に、土谷の存在が意識に止まることはないのだ。
 授業中にプリントを後ろに回す時や、休み時間に土谷を観察してみた。基本的には真面目に授業を受けていて、教科書やノートの上でシャーペンを走らせている。ただそれが、メモを取っているのかラクガキをしているのかはわからない。その時の土谷は僕の知っている土谷だ。小学生の頃と比べて、特に変わったところは見られない。
 けれど、時たまぼんやりと、どこも見ていないような目をしているときがある。その時、土谷の存在感が消える。
 休み時間のときは特にそれが顕著だ。ぼんやりしているときの土谷は、ここにいるのにここにいないようだった。そしてそれが多く続くうちに、いつの間にかこのクラスで土谷は気づかれなくなっていったのかもしれない、といった奇妙な思考が頭を過った。
 忘れられたわけではない。まさか教室に土谷がいることに違和感を持つ人はいないし、学級写真を見せて名前を聞けば、余程人の顔を覚えるのが苦手なタイプでもない限り、ちゃんと答えるとは思う。給食だってちゃんと配膳されているし、掃除当番にも入っている。なのに、不思議なほどに意識に入ってこない。
「人は、自分が見ていると思っているものしか見えていないんだよ」、と僕にことあるごとに言っていたのは、児童精神科医をしている母だ。人間は自分の知覚を通してそれを脳で処理することによって世界を認識する。目の前に存在する物理的なものは同じであっても、それぞれ見えている世界は違うのだ。
「よく聞く例はあれだね。虹の色はその属する文化圏によって、二色にも七色にも見えるってやつ。その色があると思って見ないと、見えないのさ。幽霊なんかもそう。私には見えないけど、見えている、って言い張っている人がホントに見えてるのか見えてないのかを、私たちは知りえない。私にとってはそれは確かに存在しないものだけど、その人の脳では、認識できているのかもしれない。そうなってくると、やっぱり人によって見えている世界は別物ってことになるね」
 そして一息おいて、母は僕を見た。
「これって生き物を見るときも同じなんだよね。例えば、馬鹿な連中が犬の血統書の云々にこだわるみたいにさ。確かに盲導犬とか競走馬とかみたいな世界だと、その動物には絶対に高い能力が求められるわけで、でもその才能は見た目ではわからないけど、能力を発揮するより前に訓練にかける子が絞り込まれたり、目ん玉飛び出るような額で売り買いされるよね。能力が遺伝で左右される以上、血統っていうのはその能力の予測値の根拠なわけだから、そこに血統書の重みがあるのは理由のあること。犬種を気にするのも、大きさとか性質とかがその家に合ってるかどうかってのもあるから、まぁ仕方ない。たとえば体力がなくて長時間の散歩のできない人に大型犬は無理だけど、庭で走り回れれば十分なような小型犬なら飼えたりするでしょ。でもさ、世の中にはそういう意味じゃなくて、ただ人気のある犬種かどうか、血統書があるかどうかってのを気にする連中もいるわけよ。……そんな連中に、その子たちを幸せにできるとは到底思えないのさね」
 こうなってくると、続く話はここのところはいつも同じだ。
「例えばさぁ、たったひとつの診断名がつくだけで、子どもの扱いなんか全然変わっちゃうわけ。目の前にいる子どもの物理的なありようは変わらないのにさ」
 母は酔っ払うと、大体こんなことをぼやく。母のクリニックは三ヶ月先まで予約でいっぱいだ。
「昔だったら、騒がしい子。ちょっと前なら荒れた子どもとかなんとか。今だったらADHD、とかね。確かに、診断名がつくと薬も出せるし、今まで親のしつけのせいにされてた子の落ち着きのなさが、先天的なもので誰のせいでもなかったってこともわかるし、接し方とかのコツもわかる。高機能自閉症の子だったりしたら、場合によっては療育手帳とかとって、障害者雇用制度も使えたりするし、つくんならついたほうが便利っちゃ便利。……でもさ、例えばあんたに発達障害の診断がついたとしてさ、それであんたと私が親子として過ごした十二年は変わらないわけよ。目の前にいるあんたそのものは変わらないわけよ。診断名があろうとなかろうと、その子にまわりの人がちゃんと向き合って行かなきゃいけないってことは変わらない。でも、診断名がついたらなにもかもがうまく行くと思っている人もいるわけ。特に学校の先生とか、その子の同級生の親とかね。そういう人たちに、お宅のお子さん発達障害っぽいから病院に行って来いって言われて来る親は少なくない。……その自称親切な人がたは、その子に診断名をつけて、どうするつもりなんだろうねって思うわけよ。何の得をするっての?」
 そんなことを言いながら、母はビールをちびちびと口にしていた。父が東京に行っていていないときに、ひとりでお酒を飲むのはそんなにはない。だいたい、仕事で何か苛々することののあった日だ。
作品名:永遠のフィルター 作家名:なつきすい