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なつきすい
なつきすい
novelistID. 23066
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閉じられた世界の片隅から(3)

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 それから、最近まで気付かなかったけれど、僕は相当の楽天家のようだ。何が起きても、そのまま最悪の事態に至るという確率を、多分物凄く低く見積もっている。それでも、ちょっと前まではそういった事態を「なんとかなるだろう」と構えていた。今は「なんとかしようとすればなんとかできるだろう」と思っている。僕自身は、かなり考え方が変わったとは思っているのだけれど、結局最悪の事態は回避できるだろう、と思っているところは変わっていない。
 それに対して、フィズは表面上はあんなに明るくマイペースなのに、本質的には相当後ろ向きだ。フィズはわりとなんでもできてしまうので然程大変な事態に巻き込まれることがなく、あまり表に出てくることはなかったのだけれど、これから先、何が起こるかわからないこんな状況で、不安に襲われていないわけはないだろう。
 少々向こう見ずで考えるより先に行動してしまうところがあるけれど、乱暴だけど優しくて、美人でかわいくて、頭も良くて、いい加減だけど頑固で、しょうもないことばかりやらかすわりに正義感が強くて、なんでもできるフィズ。小さい頃からついこの間までずっと、自慢の姉だった。
 今は、もっともっと大切だから。無数の不安に押し潰されそうになったり、優しいからこそ、自分の責任を必要以上に感じてしまったりして、余計事態を厄介な方向に持っていってしまうこともあるけれど、そんな部分もすべてひっくるめて、僕は、フィズを何より大切に思うから。その弱さを見せてくれたことが、嬉しいから。
 だから、フィズが僕を守るというなら、僕はフィズを、全力で支えるだけだ。多分それが、僕にできるたったひとつのこと。
 それは、フィズに対してだけじゃない。僕たちふたりなら、なんとか生きていけるはずだと信じてくれた、じーちゃんとばーちゃんのためにも。
 僕たちがうまく立ち回ることで時間を稼げば、よりスーやレミゥちゃんが確実に逃げられる。ぎりぎりまで寝かせることにしたあの子達の姿は今此処にはないけれど、僕らのふたりの妹たちのためにも、僕はフィズを、絶対に支える。
「絶対大丈夫。だから、安心して」
「……ああ」
 ばーちゃんは短くそう答えた。僕が口数がそう多くないのは、ばーちゃんに似たのかもしれないと、ふと思った。必要なことは喋るし、フィズや、街で何かをやらかした相手に対するお説教は横で聞いてるこちらがうんざりするのを通り越して気の毒になってくるほどなのだけれど、普段はあまり余計なことを喋るほうではない。
 逆に、うちの誰よりも喋るのは、多分じーちゃん。
 必要なことから余計なことまで、黙っているのが嫌いなのか、いつ見ても誰彼かに話しかけていた。そんなじーちゃんに一人旅は辛くはないのだろうか。それとも、普段ずっとひとりでいる反動が、たまに帰ってきたときにずっと喋り続けている理由なのかもしれない。
 ばーちゃん、じーちゃん。二人とも、僕の大好きな、大切な家族。
 頼むから、元気で。僕らが此処に戻ってこられるその日まで。
「じゃあ、そろそろ行くね」
 朝陽が高く、高く昇り始める。僕らの出発する時間は、件のタイムリミットよりも、四時間早い。あと一時間後に、じーちゃんとスーも出発する。この一時間差の意味は、万一僕らが出るところを軍の連中に目撃されていた場合に、「軍に差し出されるのがイヤで逃げ出したフィズたちを追いかけている」という言い訳をするためだ。
「ああ。……フィズラク、サザ。よくお聞き」
 ばーちゃんは、静かな口調で、続けた。
「お前たちは、この街の名前を知っているかい?」
 僕はフィズの顔をちらりと見る。フィズは小さく首を振って、「ううん」と答えた。僕も、それに続く。
 そういえば、知らない。僕たちが住むこの街の名前を。十六年以上暮らしてきているはずのこの場所を、何と呼ぶのか。
「”エウェルナ”、と言うんだよ」
 初めて聞いた、その名を。ずっと住んできたのに、どうして。そして、その答えには割りと直ぐにたどり着いた。
 そうか、呼ぶ必要がなかったからか。
 この街に居る限り、外に出ない限り、この街の名前を呼ぶことはない。
 例えば、生まれてからずっと家の中にいる人間が、自分の家の住所を知っているだろうか。
 自分の家族としか係わり合いを持たない人間が、自分の苗字を知っているだろうか。
 それは、僕らがこの世界の名前を知らないのと同じこと。
 それを外から見ることがあって初めて、その固有名を呼ぶ必要が生じる。
 だから、ばーちゃんがその名前を教えてくれた意味は。
「エウェルナ」
 その名前を、口にしてみた。自分の声が耳に入って、ずきり、と心が痛んだ。
 僕らは、この街を出て行かなきゃいけないんだと、今まではなかった実感が、急に涌いて来てしまったような気がして。
「そんな、名前だったんだね」
 フィズが、小さく呟いて。それから、にっこりと、笑った。
「良い名前だね」
 その笑顔は、寂しそうで、だけど誇らしげだった。自分の大好きなこの街を、生まれ育ったこの場所を、大切に思っているからだろうかと、僕は思った。
 今日、この街を、離れる。そうすれば、外からこの街を見ることになる。ここじゃない別の街で、或いは道の途中で、僕らが思い出す場所の名前。
 その名前は勿論、とても大切なものだけれど、だからこそ、なんとも言いがたい寂しさのようなものを伴った。
 その名前を、僕は絶対に忘れない。だけど、口にすることは、あまりないかもしれない。
 たとえこの街が空っぽになっても、軍に破壊されて、跡形もなくなってしまっても。
 ”エウェルナ”という名前より先に、僕らは此処を「僕らの街」と呼ぶような、そんな気がした。
「ばーちゃん、本当にありがとう。……どうか、元気でね」
「ああ、お前たちこそ」
 僕は頷く。フィズも。
 本当は、たくさんたくさん、言いたい言葉があるはずなのに、出てこなかった。
 ああ、もっとちゃんと、気持ちを話す訓練をしておけばよかった。僕は言葉が足りないことは、フィズと話していてもわかるけれど。思いを完全に伝えること、理解することなんてできないのだから、せめて少しでも。
「必ず、だよ」
 ばーちゃんはそう言って、僕らをじっと見た。お説教のとき以外のばーちゃんも、言葉は多くないけれど、だけど、その言葉の中には、きっとたくさんの思いが詰まっている。そんな気がした。だから、言葉の中にあるそれを、少しでも多く、拾いたいと思うのだ。
 どれだけ拾うことができたのかを、知ることはできない。できる限り何度も何度も、その言葉を心の中で繰り返す。繰り返すたびに、それまで気付かなかったことに気付けると信じて。
「じゃあ、行くね」
 フィズが言って。ばーちゃんが頷いて。
「ありがとう、私、この家の子でよかった」
 最後にフィズはそう言って、最高の笑顔を、ばーちゃんに向けた。少しでも気を抜くと泣いてしまいそうな、そんな眼で、だけど確かにフィズは笑った。
 僕はそれを見て、心底ほっとした。フィズが、此処を出るときに口にする言葉が、「ごめん」じゃなくて良かったと。
 だってきっとばーちゃんが聞きたいのは、謝罪じゃない。感謝でもなかったかもしれないけれど。