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なつきすい
なつきすい
novelistID. 23066
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閉じられた世界の片隅から(1)

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 ぼんやりとした目の焦点が、少しずつ合っていく。暫くぼんやりとしてから、僕に気づいたのか、「おはよう」と呟いた。声は嗄れてはいないものの、寝起きのためか、それとも熱のためか、弱弱しかった。
「どーかしたの? 今、朝?」
「いや、なんでもない。……苦しそうだったから、何か悪い夢でも見てるのかと思って。起こしちゃってごめん」
 嘘。ただ、このままずっと目を覚まさないんじゃないかって、恐ろしくなっただけ。その想像を打ち払いたくて、姉の声を聴いてほっとしたかっただけ。
 小さな頃。僕の世界がこの家だけだった頃。この家が、僕の世界になったばかりの頃。僕は姉の姿が見えないと直ぐにパニックを起こして泣いていた。今となっては覚えていないそれ以前のことが効いているのだろうと、ばーちゃんは考えていたらしい。
 恐らく、姉に保護される以前の僕は、親が気まぐれに姿を見せたりかと思えば唐突に数日いなくなってしまったりするような、非常に不安定な環境で育ったようだ。姉が保護したときの僕は酷く痩せ、傷だらけで、挙句の果てに熱まで出していて放っておけばあと数日で確実に死ぬだろうというような有様だったらしい。発語も少なく、いつもおびえていて、懐くまで大変だったのだと姉は言う。栄養状態が悪かったらしく発育の遅れの可能性があったことから、体格から年齢の推定ができず、言葉をまともに発することができるようになるころには既に保護されるより前のことを忘れてしまっていて、だから僕は誕生日は勿論、年齢も正確には推定に過ぎない。一応十五歳ということにはなっているけれど、一年くらいの誤差があっても不思議はないらしい。
 まるでそんな小さな頃に戻ってしまったかのような不安感。泣きこそしないけれど。目の届かない場所にいても姉はちゃんと存在していて、必ず帰ってきてくれる、という確信が持てなかった小さな頃。目を閉じていても姉は生きていて、必ず目覚めるという確信が持てない今。幼い頃に染み付いて、ずっと忘れていたと思っていた恐怖感を揺さぶられるようだった。
「別に特に悪い夢は見てなかったけど? まー、忘れちゃったのかもしれないね。どうせ夢だし」
 姉はそう言っただけ。起こされても特に気を悪くしたようでもなく、僕はほっとする。
「具合はどう?」
 言うと、姉は少し考え込んで、やんわりと笑った。
「ん、いつも通りよ。心配しないで。それよりあんた、此処にいてばっかりでばーちゃん働かせすぎじゃない?手伝ってきなさいよ。ばーちゃんも歳なんだし、本当ならもう優雅なご隠居生活してたはずだったんだから。おしぼりだけ持ってきてくれる? 汗拭いたら私は、また一眠りするよ」
 嘘吐き。まだ触れた右手に姉の体温が残っているようで、さっきまであんなに呼吸だって苦しそうにしていて。
 毎日心音を聴くのが、怖くなってきている。いつかそのまま、止まってしまうんじゃないかと思ってしまうから。
 それでも、それを指摘することが、僕には出来ない。多分、慣れていないから。
「わかった。それ持ってきたら、診療所に戻るから」
「ん」
「……今度は、ちゃんと服着てよ」
「当たり前でしょうが!」
 そういう、くだらないことならいくらでも言えるのに、どうして言えないんだろう。「大丈夫じゃないだろ」って。多分怖いから。そう言ったときに姉がどうするのかが、予測できないから。姉の言うことに本質的に反論したことなんて、いままでなかった。反論しなくても、そんなに困ったことにはならなかったから。言いつけに背いたことも、うっかり忘れてしまったことと、どうしても時間的に無理だったこと以外にはなかった。その積み重ねの十二年間。もうすぐ十三年になろうとしている。
 だけど、階段を下りて、診療所から聞こえるばーちゃんと妹の声を聴いたとき。
 僕は、なんのために一階に降りてきたのかを、忘れた。唐突に。すうっと、意識から消えていくように。右手に残っていたはずの体温も。
 そのまま、さっきまで行っていた作業に戻る。その作業が一段落するころには、日も暮れていて。
 沈む夕日の赤い色に、姉の右目を思い出すまで、僕は姉のことを、思い出さなかった。思い出せなかった。
 どうやって絞ったのかもわからないぐらい急いで、おしぼりと水枕を用意し、階段を駆け上る。部屋の扉を開ける。
「ごめん、フィズ!!」
 姉が起きているかどうかも確認しないで、つい大声が出てしまって。そして。
 僕は、おしぼりを落とした。あまりにも、信じられなくて。今、僕は何を考えた?
 一瞬、僕は眠る姉を見て、思ったのだ。誰だっけ、この人、と。
 姉の寝息は、先ほどと同じく、苦しそうで、額には汗が浮かんでいて。度忘れじゃ済まない。何時間もほったらかしで苦しめて。それなのに、僕は一瞬、姉の顔が、わからなかった。どうして。どうして。どうして――
 顔と首の汗を拭いて、額に水枕を乗せる。姉は目を覚まさない。
 なんで、どうして。忘れるはずもないのに。小さな頃からずっと一緒で、僕の記憶のほとんどは、姉と一緒にいるもののはずなのに。そうして気づく。その思い出が、思い出そうとしても、なかなか浮かんでこないことに。どうして。まだ、ボケるような歳ではないだろう。
「どうして……」
 思わず声が漏れた。あり得ない。なんで、どうして。
「フィズが……思い出せない」
 全身から力が抜けた。膝が床にぶつかって、がたんと音を立てた。小さな頃の記憶が、その中の姉の顔が、思い出そうとしても、浮かんでこない。どんなに願っても、どんなに頑張っても。虫食いのように、姉の姿が僕の記憶から消えていく。
 僕は這うように部屋を出た。この間スーが買ってきた物忘れに効く薬。そんなのでいいから縋りたかった。姉の顔を見るのが怖かった。次に見たら、今度こそ、誰なのかがわからなくなっていそうで。
「フィズ……」
 息が苦しい。体調のせいではない。心が、からっぽで、苦しい。涙が、一粒だけ落ちる。それをなんとか袖で拭った。立ち上がるのが苦しい。どうして、どうして。
 身体を引きずるようにして、手すりにしがみついて、階段を下りる。まるで僕が病気になったみたいだ。玄関に鍵をかけることさえ忘れたまま、診療所へとやっとの思いでたどり着く。
「どうしたんだいサザ!?」
 尋常ではない僕の様子に、慌ててばーちゃんが駆け寄ってくる。
「やだ、変なものでも食べたの!?」
 相変わらずの憎まれ口を叩きつつも、妹も心配そうに僕を覗き込んだ。
「ばーちゃん、こないだスーにもらった薬……一つ分けて」
「この間の薬って」
「物忘れの? やだ、あんたこの歳でボケちゃったわけ!?」
「そう、それ。おかしいんだ。忘れるはずないのに、さっき僕、……フィズのことを思い出せなかったんだ。だから」
 そこまで口にしたとき、ふたりが怪訝そうな顔で僕を見た。まさか、まさか。
「フィズって、誰だい?」
 目の前が真っ暗になった。スーも、聞かなくてもわかる。ばーちゃんと同じ顔をしているから。