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なつきすい
なつきすい
novelistID. 23066
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閉じられた世界の片隅から(1)

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「フィズラク、あんたは何もわかってない! そんなことして、誰も喜ぶわけないじゃない! 馬鹿じゃないの!?」
「………………………」
「あんたがそれで良くても、わたしは、そんなの認めない! いつもそう、どうして、あんたは……」
 イスクさんは、声を詰まらせた。僕は、動けなかった。止めなくては、と思ったのに。姉は、何も言い返さなかった。三人の時間が止まる。誰も動かないし、誰も言葉を発しない。発せない。イスクさんは泣いていた。その微かな泣き声だけが、時間が動いているたったひとつの証ではないかと感じられるほどに、あまりにも、静かで。
 均衡を破ったのは、イスクさんだった。ふいと姉から顔を背けると、部屋から駆け出した。
「イスクさんっ」
「追わなくていいよ!」
 姉のほうを見やる。僕とも目を合わせない。伏せられた瞳に、何時もの宝石のような輝きは見えなかった。
「追っかけなくていい。イスクは悪くない。悪いのは全部私。でも……謝るつもりもないから」
「フィズ……?」
 事態が飲み込めない。聴こえるのは、階段を駆け降りるイスクさんの足音。
「……買い物、渡さなきゃ。それに鍵も閉めないと」
「ん、わかった」
 姉は止めなかった。急いで階段を飛ばし飛ばしに下りていくと、なんとか玄関を出たところでその背に追いついた。
「イスクさん!」
 振り返った、その顔は涙で真っ赤になっていて。僕はそれを見ていいのかわからなくて、一瞬足が止まる。それでも。
「どうしたんですか、イスクさんも、フィズも……」
「…………………………」
「僕には、話せないようなことなんですか?」
 小さく頷く。
「今は、話せないし、フィズラクはずっと話してほしくないと思ってると思うわ。きっと、わたしにも、忘れて欲しいと思ってるんだと思う」
「それって、もしかして」
 イスクさんは首を横に振る。
「ジェン先生のことではないわ。それは本当に関係ないことだし、もしそんなことが原因だったら、わたしは洗いざらいサザ君に話してでも、フィズラクと仲直りしようとするよ」
「……………………」
 親友がまだ未練を残す元彼と付き合った。そのことが「そんなこと」程度に扱われるほどの、なにか重大なこと。
「フィズラクが、あんなにバカで無思慮とは思わなかった。あの子は……小さいときからほとんど変わってない」
 そしてため息を吐く。
「…違うか。無駄に配慮しすぎるのか。本当に、無駄に。周りがそれで、どう感じるかも考えないで」
 イスクさんは、一呼吸置いて、僕をじっと見つめた。どこか姉と似たところのある、両の柘榴石の目元。縛られたかのように動けない。
「サザ君。あなたがフィズラクのことを、どれぐらい大切にしているか、だいたいはわかるよ。十二年見てきたんだから。フィズラクがサザ君のことをどれほど大事に思っているかも、こっちのほうはもっと、痛いぐらい知ってる。……あのバカの目を覚まさせられるのは、多分サザ君だけ。わたしでは、無理なの」
「それって、どういう」
 寂しげに笑う。涙はまだ、止まりきってはいなかった。僕にその表情の意味を読み解くことは、できない。
「ごめんなさいね、はっきりは言えない。……サザ君、もしも、もしもフィズラクの具合が急に悪くなるようなことがあったり、それかサザ君たちに何か変わったことがあったら、直ぐにわたしのところに来て。いい?そうならないように、わたしもこれから努力するし、そうならなければそれでいいの。でも、もしも、わたしの力ではどうにもならないことが起きてしまったとき……状況を変えられるのは、多分、サザ君だけなの」
 状況が飲み込めない。何が姉の身に起きているというのか。ただの風邪ではなく、イスクさんにはできなくて僕ならできること。わからない、わからない。
「わからないよね。ごめんなさい。わからなくてもいいの。必要になったら話すわ。必要にならなければ言わなくていいことかもしれない。言ったほうがいいことなのかもしれないけれど、わたしには判断できない」
「…………」
「わたしには、できないことがあるの。それがサザ君にできるかも、実はわからない。サザ君の心の中なんて、わたしにはわかるわけないのだから。だけど本当に、お願いだから忘れないで。フィズラクの具合が悪くなるか、あなたたちに何か起きたら、わたしのところに直ぐに来て。そうなったら、全部話すから。……今の話、フィズラクには言わないで。絶対に、忘れないで」
「イスクさん」
「またね、サザ君」
 大粒の涙が一粒零れて、イスクさんは駆け出した。まだ春の来ない地面は雪と氷に覆われているのに、少しでも早く、この場からいなくなろうとしているかのように。
 追いかけられなかった。僕はただ、その背を見送って。外の寒さに姉の高熱を思い出して室内に戻るまで、僕はその場を動けなかった。
 階段を昇る。荷物もないのに、足取りが重い。ぎぃぃと音を立てる扉も、いつもより堅く感じる。
「……おかえり。イスクのお使いは渡せたの?」
 僕は首を振る。とてもとても、それを思い出す余裕すらないような時間。
「無駄足させちゃったね。いくらかかった?」
 僕は領収証を取り出す。記録鉱石ひとつ分の値段が書かれたその紙を。
 一時間歩いて僕が買ってきたもの。イスクさんに頼まれたお使いの品ひとつ。
「これだけ、だよね」
 姉は確認するように、呟いた。先刻も、イスクさんが似たようなことを言っていたような。
「他に何か頼まれていたっけ?」
「ん、大丈夫、これだけよ」
 姉はそう言ってから、ふーっとため息を吐いた。
「……なにがあったの?」
 目を伏せる。あの瞳が見えない。
「大したことじゃないよ。私と、イスクの、物事の捉え方に、ちょっと齟齬があっただけ。……イスクは悪くない。心配しないで、大丈夫だから」
「大丈夫なら」
 どうして、目を逸らすんだ。そう思うけれど。言葉が続かない。言えない。
 姉も続きを求めはしない。何も言わない。言えない。
「サザ、さっきの貸して。買ってきたやつ」
 姉の手に、買ってきた記録鉱石を手渡す。
 イスクさんに頼まれた、流行歌手の新曲の。
 姉はそれを再生機器にセットし、ボタンを押した。イスクさんのイメージとは少し解離する、激しい曲調。
 曲の最後まで聴き終わって、姉はぽつりと呟いた。
「あー、やっぱり。イスクとは趣味が合わないわけだわ」
 少し寂しげに聞こえたのは、僕の主観のせいかもしれない。それでも。
 姉がイスクさんと仲違いしたいわけではないことだけは、なんとなくわかった。それしか、わからなかった。