小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
なつきすい
なつきすい
novelistID. 23066
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

閉じられた世界の片隅から(1)

INDEX|10ページ/27ページ|

次のページ前のページ
 

 ああ、至近距離でズボンまで下ろしている音が聞こえる。本当に良かった。ここが外じゃなくて。たまに酔っ払うと好んで服を脱ぎ出す人がいるらしいが、それとはまた違う気がする。一応身体にアルコールが入っている自覚は、さすがにあれだけ吐いて苦しい思いをすればあるらしく、それで入浴を断念したので、せめておしぼりで身体を拭いてから寝ようと思っただけなのだろう。それ自体は至極真っ当な思考であり、脱衣それ自体が目的ではなくそれはあくまで手段に過ぎない。僕が酔っ払って帰宅しても多分同じ行動を取るだろう。僕は酒を飲んだことがない、というか未だ飲むべき年齢ではないので飲もうとも思わないが。だから、問題点はそこではない。どうしてこんなに中途半端に冷静な判断能力を持った状態で泥酔しているんだろう。二日酔いの辛さを思い知らせてこれからの飲酒の歯止めとしてもらうか、二日酔い対策になるような朝食を用意してあげて明日を快適に過ごしてもらうか、どちらのほうがより姉のためになるかを、今僕は真剣に考えている。とりあえず、気まずい。
「サザ、次ー」
「はいはい」
 やはり姉のほうを絶対に見ないようにしつつ、僕はおしぼりを交換した。これで持ってきた分はすべてだ。僕は姉に背を向けて、なんとなくじっと身を固くしていた。ため息ひとつつくのもどういうわけか躊躇われる。ああ、そうか。本来自分がいるべきではない状況に置かれているからか。
 姉の視界に間違いなく入っている僕は、必死で此処にいない振りをしていた。姉の言葉に返事をする以外の声を出さず、頼まれ事以外では極力動かない。呼吸すら、できる限り音を出さないように。そんなことをしていると、自分の心臓の音がいつもよりもずっとはっきり鮮明に、そしてやかましく聴こえるような気がした。こんなに耳につくものだっただろうか。
「おしぼりまだある?」
 姉が僕の背に声を掛ける。此処にいないようにいくら振舞ったところで、結局僕は此処にいる。
「今ので最後。作ってくるよ」
「ん、じゃあもういいよ。ありがと、はい」
 おしぼりを受け取る。目線を逸らしたまま。窓の外ではしんしんと雪が降り続いている。もう春も近いはずなのに。姉が布団を被った音がした。
「そのまま寝たら風邪引くよ」
「わかってるよ。サザ、ばーちゃんみたい」
 布団を被ったのは寒かったからなのだろう、ごそごそと動く音がする。もう大丈夫だろう、僕は姉のほうを見た。布団の片隅から、まだつけていないのだろう下着が見えて僕は慌ててまた後ろを向いた。息を殺すのに必死で気づかなかったが、下着まで脱いでいたのか。明日酔いが醒めたときに姉はどう思うんだろう。或いは、忘れているかもしれないけれど。忘れていた場合思い出させるのとそのままにしておくのとどちらが親切なのだろうと少し考えたが、答えは出そうもない。自分だったら知らないままというのも嫌だけれど、知ったら知ったで穴を掘ってでも入りたいぐらいの気分にはなって数日は居た堪れない気持ちで一杯になるのに違いない。姉だったら容赦なく教えてそれで一通りからかって遊ぶのだろうなぁ、と思う。とりあえず、明日の姉の様子を見て判断することにしよう。これ以上は吐きそうな様子もないし、飲み物もある。あとは明日の朝までもう大丈夫だろう。
「じゃあ僕は」
「ねーサザ」
 部屋に戻るからね、と言おうとしたところで、姉に先ほどとは打って変わった、静かな口調で呼びかけられ、言葉が止まった。
「イスクがさぁ、ジェン先生と付き合ってるんだって」
 ドアに向かって歩いていた、足も止まった。姉は続ける。
「イスクは悪くないよ。取られたなんて思ってないし。もう先生はフリーなんだし。でもね、……なんか」
 苦しくなって、という言葉は、言葉にならないまま嗚咽に潰れた。そのまま、ほとんど言葉の体を為していない泣き声と涙が、次々と止め処なく溢れ出る。
 よりによって、なんでイスクさんなんだ。一番、姉にとってジェンシオノ氏が選んで欲しくない相手のはずなのに。そう思うけれど、その憤りの向かう先はジェンシオノ氏以上に多分僕になる。勿論、こんな顔を見たかったわけじゃない、悲しませたかったわけでも、無論ない。それでも。
 僕は部屋に戻るのをやめた。せめて姉が泣き止むまで、此処にいることぐらいしか、できる罪滅ぼしはなかったから。