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なつきすい
なつきすい
novelistID. 23066
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閉じられた世界の片隅から(1)

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1. 僕と姉とこの街と


 ねえ。
 誰かのことを覚えている、ってことは、
 誰かと過ごした自分のことを覚えているってことなんだよね。
 
 そう、彼女は言って。
 
 
 
 
 うちの姉は世界一だ。
 戦闘力、という意味において。

「サザ!」
 慌てた表情で姉が駆け寄ってくる。
「大丈夫、ケガは?」
「うん、」
 僕は、ね。という言葉を飲み込んだ。僕の隣では、見るからに穏やかではなさそうな雰囲気の、手に刃物を持った男が昏倒している。無論、昏倒で済んでいるならまだましなほうだ。
 ここいらでは見かけない顔だった。他所からやってきた人には違いないだろう。何しろ、彼はこの街で一番恐ろしいものが何なのかを知らなかった、不幸なことに。その恐ろしいものには、生半可な魔法やそんじょそこらの刃物ごときではかすり傷ひとつつけることすらできないだろう。尋問してみないことにはわからないが、少なくとも腕っ節はとても強そうには見えない僕らからなら、簡単に金品を巻き上げられるとでも踏んだのではないだろうか。気の毒に。
 買い物のため店に入る姉を見送り、店の陰にあるベンチに腰掛けてから20秒も経たないうちに、首に刃物を突きつけられた。それから更に20秒も経たないうちに、哀れ男は地面に倒れこむ羽目となった。男はきっと、何が自分の身に起きたのかさえ把握できなかっただろう。周囲にいた買い物客の誰一人として気づかないうちに、僕は強盗に脅され、助けられるという滅多に遭遇するでもないイベントを片付けたのだ。姉はあまりにも鮮やかな手際で、物音ひとつ立てずに男の意識を奪うことに成功した。すべてが片付いてから、姉の取り乱した大声や、足元に転がる不穏当な男に気づいて、今更になって徐々に野次馬が集まりつつある。しかし姉はそんなことには気づいていない様子で、僕の前にしゃがみこんだ。
「ありがとう、フィズ」
 僕が言うと、姉は、ふーっと息を吐く。
「サザ」
 一瞬、睨まれたような気がしたのは気のせいではなかった。姉の華奢な手の平が僕の首を撫でた。途端に、首にむずがゆいような感覚が走る。周囲から、音が一瞬消えたような錯覚。
「ケガしてる」
 先ほどの感覚は、傷口が塞がっていった時のものだったようだ。それと、姉の長い黒髪が触れたときの。どうやら、刃物を突きつけられたときに少しかすっていたらしい、よく見れば服の襟に、僅かに赤い斑点がついていた。姉の手が離れた跡をなぞってみると、うっすらと線が浮き出ている。
「ないって言ったのに」
「ごめん」
 生まれつき目はどちらかと言うと悪いほうらしいのだが、時々姉は矢鱈と目敏い。特にケガには。医者を生業にしているからかとも思ったが、もっと小さな子供の頃からだったような気もする。転んだりなんだりとケガをするたびに、姉が瞬時に治してくれるようになったのは、多分、姉が十二歳ぐらいかそのあたりだったと思う。
「気をつけなさいよ。ケガで済んだから良かったけどさぁ」
「うん」
「買い物の続きしてくるから待ってて。まわりに気をつけて」
「うん、大丈夫だとは思うけど」
 僕は姉から渡されたロープで、今更必要もないとも思いつつ、念のため哀れな犠牲者を縛り上げた。こういった事件それそのものは街全体でみれば別段珍しいものでもないので、野次馬は状況を把握すると直ぐに興味を失って離れていった。
 元々、それほど治安の良いところではない。それはわかっている。僕も姉も、ずっとこの街で育ってきたのだから。けれども、危ない目に遭ったことはほとんどない。それは慣れによるものでもあり、僕らの養母が事実上この街の顔役であったからでもあるし、ここ数年では姉の実力と名前と恐らくは事実より何割か水増しされている噂が街中を通り越して国中に広まっているからでもある。
 うちの世界最強の姉、フィズラク・シャズルの名前はしばしば数々の事実無根とも言い切れない伝説とともに語られる。例えば、六歳のときに首都の魔法学研究所の教授が書いた物凄く難解な論文を読みこなしていただとか、一晩で百人の犯罪者を捕らえ、同じ夜に同じ人数のけが人を一瞬で治してみせただとか、国軍とケンカして一個師団を三秒で壊滅させた、挙句には死者を蘇生させただとか。本人は件の論文を読んだのは八歳のときだし、百人の犯罪者を捕らえた日とけが人を治したのは別の日、街で暴れてたのは一個師団ではなく一個小隊だった、死者蘇生なんて真似は高位の魔人でもない限り不可能で、あれは単なる心肺停止だったのだとだと笑い飛ばしている。
 十九歳にして半ば歩く伝説と化している姉は、診療所の魔法医師、この街の治安維持者という役割を持ち、またぼちぼち老齢に差し掛かりつつある養母に代わって顔役としての立場を代行することもある。この街に三日も暮らせば、姉の噂を耳にしないわけにはいかないだろう。
 加えて、姉の顔を一度見たら、忘れる者はいないはずだ。背丈は特別高くも低くもなく、体つきも別段目を引くこともない。骨格はかなり華奢ではあるが、遠めで目立つほど貧弱なわけでもない。長く、黒い髪は首の後ろでリボンで纏めているが、それはいかにも、鬱陶しいからまとめました、というような風情が漂っており、洒落っ気があるとは言い難い。コートはわりと暖かい日用、そこそこ寒い日用、物凄く寒い日用の三種類のみ、マントに至っては冬用とそれ以外というニ枚しか持たないという有様。唯一、帽子だけはこだわりを持って選んでいるようで、冬物だけでも少なくとも十個以上はあるはずだ。勿論、姉の見た目で印象に残るのはそこではない。毎日被っている帽子は姉のトレードマークではあるし、豊かな黒髪は遠目から姉を見つけるときの目印になる。それでも、それ以上に特徴的なのが、目だ。生まれつき極度の近視である姉の右目はまるで柘榴石のような、透き通った赤い色を、左目は黄金色の猫睛石のような輝きを湛えている。この宝石のような不思議な瞳の色が、姉の目の悪さと関係するものなのかどうかはわからないが、一度でもこの瞳を見て、忘れられる人はいないだろうと思う。顔のつくり自体は整っているほうだとは思うけれど、特別目を引くような派手な顔立ちでもないので、尚更瞳が強く印象を残す。わずかに尖った耳は、人間以外の何か、精霊、魔人、あるいは魔族の血を引いていることを表しており、例えば首都のようなところであればそれもまた目立つのであろうが、この街において、そういった出自を持つ人は少なくない。そのようにして生まれた子どもの多くは望まれない子ども、あるいは不義の子であり、疎まれ、幼いうちにこの街に捨てられていくからだ。姉もそのような子どもたちのひとりであるらしく、まだ赤ん坊と言っていい頃から養母の手で育てられていた。実の両親との思い出はひとつもなく、顔すら見た覚えがないのだと、姉は言う。僕は実の親の顔を覚えている程度までは親元にいたようなのだが、ゴミ捨て場に置き去りにされてから12年以上が経ち、いつの間にか思い出すこともなくなっているうちに、その顔は忘却の彼方へと消え失せた。自分の身体的特徴から考えて、おそらく両親共に人間ではあるのだろうが、それ以上の情報はないし、最早関心もない。
「サザ、お待たせ」