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なきむし

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何をそんなに悲しいことがあるのかと、不思議になるほど彼女はよく泣きます。
 最初は私だって、彼女が泣けばうろたえましたし、なんとか泣き止まそうとあれやこれやと手を尽くしました。子供をなだめるように背を叩いたり、抱き上げてゆすったり、困り果てて彼女と一緒に泣いたことすら、あります。
 けれども次第に、彼女のそれは癖のようなものであり、取り立てて騒ぎ立てるものでもないことがわかり、そうすると慌てることもないので、泣いている彼女の姿をじぃと観察するようになりました。
 彼女はとにかく、よく泣きます。
 喜んでも泣くし、怒っても泣くし、哀しんでも泣くし、楽しくても泣くのですからその頻度は推して知るべしでしょう。
「君はなんだって、そんなに泣くんだい」
 そう尋ねたことがありますが、彼女の声帯は嗚咽しか紡ぎださないのだから仕方がありません。何やら必死に喋ってはいるようなのですが、いかんせん、それは人の言葉とは到底思えない代物なのです。強いて言うなら、赤ん坊の喃語に似ています。母国語である日本語ですら自在に操ることのできない私に、それを聞き取れというのは酷な話です。
 ですから私は、彼女と会話というものをすることを諦めました。
 そうすると、彼女は大概いつも泣いているので、とりとめもない会話すらできないのです。
 彼女と意志のやり取りをする残された手は、テレパシーしかない。そう思いましたが彼女も私もそんな特殊能力は持ち合わせていませんでした。いい手を思いついたと喜んだ分、そう気づいた時の絶望といったらありません。
 打つ手なしかと思いきや、残っていました。メール。文明の利器。喋れないのなら打てばいいのです。書くという高等技術は、彼女にとって非常に難しいことでした。紙がすぐに湿ってしまうので、判読ができなくなるのです。
 メールだと、彼女とはわりかしスムーズに意志のやりとりができました。時折、返信に妙に間の空くことがありましたが、そういった場合彼女は何らかの理由でむせび泣いている最中なので、むやみやたらとメール攻撃をすることなくそっと静かに放置します。
 昼の三時にメールを送って、夜中の三時に返信が来たときには流石に殺意というものが沸き起こりますが、私は理性ある文明人でありますので、包丁などの類の武器を持って彼女の家に向かうことはありません。
 彼女の周囲にいる人間の中で、恐らく私が一番、彼女とうまく付き合っていることでしょう。それは何の自慢にもならない優越感でした。けれど気分は地球外生命体との交信に成功したNASA局員です。私はすごい! とてもすごい! 偉業を成し遂げた! そんな感覚です。
 しかしながら、私も彼女とだけ接しているわけにもいきませんから、メールが滞ることもあります。仕方のないことです。彼女と私のふたりで構成できるほど、私の世界は狭くはないのです。
 だというのに、彼女はそんなことを少しも考えてはくれず泣きながら怒るので(私はすでに泣き方で彼女の感情がわかるほどの境地に至っておりました。これはたとえば、悟りを開いた仙人と同等であると私は思います)、私も少し、意地悪な気分になって、
「じゃあ、君が俺に給料を払ってくれ。そうしたら俺は、君のためだけに生きるから」
 と、愚にもつかぬことを口走ってしまいます。
 彼女は泣きます。けれど彼女はいつも泣いていますので、私にとってはどうってないことなのです。
 ひとしきり泣いた彼女は疲れて眠ります。
 その寝顔を私は心底愛おしいと思います。
 愛おしい、と思っていますが、ぼうっと道を歩いていた私が下水路に落ちたのを見て彼女が笑った時には、
「いやいやいや、泣いとこう。そこは」
 少しだけ殺意が湧き起こります。
 私は彼女の寝顔を愛おしいと思う理性ある文明人であるので、もちろん彼女を下水路に落とすなどという愚行は起こしません。
 それにしても、初めて彼女が笑ったのが、私が下水路に落ちた瞬間とは悲しすぎる事実でした。
 恐らく彼女と私の感情の間には大きな齟齬があると推察されますが、私は彼女とのやりとりで培ったスルースキルと忍耐力をもってしてその事実をやりすごすことにします。
 私は彼女を愛していますから。
 そういった事実に直面することは、できる限り避けたいのです。




作品名:なきむし 作家名:ラック