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口付ける指先

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部屋に帰って来るとソファの上で恋人が眠っていた。
ひじ掛けに頭を乗せ、背中を丸めてすよすよと寝息を立てている姿はひどく可愛らしい。
思わず口から笑い声が漏れ出そうになるのを抑えて、そろそろとソファに近寄る。
できるだけ音を立てないようにソファの横のフローリングに座ると、目の前に寝顔が晒される。
どうやらよく寝ているようだ。
今日は天気もいいし日差しも暖かいので仕方がないかもしれない。
起きる気配がないのを確認して、頭を撫でてみる。
猫っ毛でふわふわとした感触が掌に心地よい。
寝ていても撫でられていることがわかるのか、寝ている筈の顔がさっきよりも少し弛んで見えて、また笑い声を押し殺した。
こんな機会でもないと間近でじろじろと顔を見ることもないので、ついでとばかりに顔を観察する。
起きている時にやるとまず間違いなく訝しげな眼で頭を心配されるだろう。
閉じられた瞼を縁どる睫は、こう改めて見てみるとそれなりに長い。
鼻筋がすっと通っているが、本人の性格を知っているからか、凛々しいというよりも穏やかな顔つきに映る。
インドア派なので肌は白い。
というよりは若干病的な青白さだ。
今度少し外に出かけてみようか。
デートと称すれば、多少恥ずかしがるだろうが素直に出かける気になるだろう。
すすっと視線を下に移すと、ぽってり熟れた赤い唇がある。
薄い上唇と少し厚めの下唇の間から白い前歯が覗いていて、赤と白の鮮やかなコントラストがどこか淫靡だ。
身の内に生じた衝動に従って、眠っているその口元に手を伸ばす。
指に柔らかな肉が触れる。
眠っているからだろうか、少し高めの体温が指先から浸み込むようだ。
下唇を親指と人差し指でぷにぷにと摘まんでいじる。
違和感があったのか、眉間に皺を寄せて口をぱくぱくと開け閉めする様が、酸素の足りない金魚のようだ。
親指の爪先で唇と顔の肌の境目を丁寧になぞりあげ、頬に添えた四本の指はそのままに、親指の先を僅かに開いた唇から口内へと押し入れた。
かつりと、爪の先に白いエナメル質の輝きがぶつかるが、順に並んだそれらを指でなぞり確かめるように、さらに奥へと進める。
指が生温い粘膜に包まれる。
柔らかく暖かい肉壁は指を動かす度に纏わりついてくる。
完全に閉じ切った奥の歯と歯の間に指を進めようとするが中々上手くいかず、一度口内から指を引き抜いた。
空気に触れて冷えた唾液が指に冷たい。
もう一度、今度は正面から、合わさった歯の隙間に爪をねじ込み、指を揺すりながら少しずつ入れてゆく。
上下の前歯を抉じ開けながら指の頭が少し入り込むと、後は楽に第一関節まで侵入を果たした。
ちょうど関節が歯の間に挟まっている形のままで、指の腹が柔らかい肉に触れたのを感じる。
舌だ。
内頬の肉とは違い、表面がざらりとしている。
しかしそれも決して固いわけではなく、むしろ指に吸い付き絡みつくような感触だ。
そういえば腸の突起は栄養をより効率よく吸収するためにあると中学の理科の授業でやった記憶があるが、舌の突起は何のためにあるのだろう。
やはり意味があるのだろうか。
違う生物に触れているような感触に指を遊ばせていると、不意に思いついて、柔らかいその肉に親指の爪を立ててみた。
最近切ったばかりで爪が短いせいか、舌の表面に上手く刺さることはなかった。
逆に爪と指の間の柔らかい肉をぬるりとした粘膜に刺激され、わずかに背筋があわ立つ。
あまり寝ている相手に悪戯をするものではないと思い知らされた気分だ。
親指を引き抜くと、全体が唾液で濡れ、関節にはうっすらと歯形が付いていた。
そのまま指先で開いたままの唇をなぞる。
指で口紅を引いているようだ。
実際は唾液なのだが。
柔らかい唇がしっとりとした色を伴ってやけに甘そうに見える。
衝動に身を委ね、赤い唇に自分のそれを重ねてやんわりと食む。
甘くはない、だがなぜだかクセになる。
「んっ……」
流石に悪戯が過ぎたのか、閉じられていたはずの瞼が痙攣して、こげ茶の瞳が覗いた。
眠気から生じる涙で潤んだ瞳は飴玉に似て甘そうで、もしかしたらこの人は砂糖菓子でできているのかもしれないと少しだけ思った。
「うん……? んー、……おはよ…………?」
「おはよう」
今は昼だから『おはよう』という挨拶は些か不適切なのだが、寝起きの人間にそれを指摘するのも野暮だろう。
それに寝ぼけている様が可愛いから良しとする。
それにしても。
「キスで起きるとは、眠り姫の素質でもあるのかねぇ?」
自分で言うのもなんだが、散々悪戯している最中によく起きなかったものだ。
それなのにキスで目覚めるとは、童話のお姫様かと問い質したい。
「なにそれ、やめてくれよ」
ぼんやりとこちらを見ていた顔が途端に嫌そうに歪む。
どうやら姫扱いがお気に召さなかったらしい。
個人的にはいいと思うのだが。可愛いし。
「性別逆だろ」
「でも寝てたのはあんたで、キスで起こしたのはあたしじゃない」
今どきの女子が待っているだけのお姫様なわけがない。
眠り姫も、現代のニーズに対応して眠り王子とか作ればいいのに。
それに、自分よりも可愛い彼氏というのも、これはこれでいいものだ。
指に残る歯形を舌でなぞると、やはり甘くはないもののクセになるような味がした、様な気がする。
なんだか物足りない気持ちになって、文句を言い出そうとする目の前の唇をもう一度塞いだ。
作品名:口付ける指先 作家名:真野司