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君が世界

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3.あなたが行くから旅に出るの




 一日一日と過ぎるほどに、人間の体調は回復していく。
 衰えた筋力を戻すためなのか、怪我をしていない方の腕で素振りのようなものを行っているときもあった。まだ少し足は引きずるが、森の中を自由に歩くこともできた。
 しかし体が治ってくると、人間はときどき険しい目で空を見上げた。あの森のはるか上を行くうるさいものを、人間は気にしているようだった。
(森の外……)
 彼女は考える。人間はきっと森の外へ出て行くのだろう。あんなに、何もない森の外へ。食べるものもない場所へ。あんなひどい怪我をしたのに。こんなに小さな人間が。
 人間が空を見上げるとき、彼女はどうしようもなくもどかしい気持ちになった。
(ここにいて、人間。わたしがずっと守ってあげるから)
 けれど、彼女の願いは叶わなかった。

「世話になったな」
 ざらついた低い声が告げる。彼女の耳から首にかけて、優しく指をすべらせながら、青い目はすでに決意を宿していた。
 落ちてきたときと同じように革鎧をまとい、籠手と具足をつけていた。血の染みの残るマントも羽織っている。
(行かないで!)
 彼女は人間のマントの端をくわえた。
(あなたひどい怪我をしていたじゃない! 森の外は何もないのよ!)
 ぐいぐいと引っ張ると人間はよろめいた。よろめいて、彼女の首に腕を回した。抱きしめるようにそっと頬を寄せたのは、初めてのことだった。
「ありがとう、お前のおかげで生き延びた。でも俺は行かないとならない」
(いや!)
 必死で人間を止めるために彼女は首を振った。
(いやよ、ずっとここにいて)
 彼女は鼻面を人間に押し当ててぐいぐいと押した。マントの裾を前肢で踏みつけてしまい、人間が後ろにすっころぶ。それすらちゃんと見えていなくて、ただ何処にも行ってほしくなくて彼女は唸った。
(あなたこんなに小さいのに! また怪我をする。今度は死んでしまうかもしれない。私はあなたを守りたいのよ!)
 体の数倍はある獣にのしかかられて、唸り声を聞いて人間は悲しそうに目をゆがめた。けれどすぐに、青い目は苛烈な光を宿して彼女を見据えた。
「お前の救った命だ。お前がどうしても出て行くなというなら、殺してくれ。俺はここで安穏と生きるわけにはいかない」
(どうして)
 まっすぐな青い目は本当にそれを望んでいるように思えた。彼女は悲しかった。
(私はあなたを守りたいのに)
 彼女の涙が、ぽつぽつと人間の頬をぬらした。人間はまるで酸の雨に打たれたようにはっと目を見開いて、彼女の頬を撫でた。
「……すまない」
 彼女は首を振って、後じさった。こんな小さな人間なのだ。きっと彼女がのしかかったのは重かっただろう。マントの襟をくわえて、人間を立ち上がらせる。
 彼女にはどうしたらいいのかわからなかった。
 人間を殺したくない。でも死んでほしくない。守りたいのに、出て行こうとする。森の外は危ないのに。
 はらはらと涙が落ちるままにしておくと、人間は涙をぬぐうように何度も何度も撫でた。
「また必ず会いに来る。俺の名はイゼルだ。お前に俺の真の名を預ける」
 それがどういう意味なのかさっぱりわからなかったが、イゼル、と名を聞いた瞬間にふわりと人間から魔力が立ち上り、それが彼女の胸に吸い込まれていった。
 彼女ははっとした。
(だめ、こんなものだめ!)
 彼女にはそれが呪いのようなものに思われた。彼女と人間、つまりイゼルを結びつけるようなものだ。離れていれば離れている分だけイゼルの力が失われてしまうような、そういうものだ。イゼルの力のかけらが、今、彼女の中にあった。
(離れたらあなたがつらくなるじゃない!)
 どうしよう、どうしようと悩んでいるうちに、イゼルは彼女の目元にそっと唇を落として、腕を放した。
 森の外へ行ってしまう!
 衝動が彼女を突き動かした。
(イゼルが外へ出るなら、私も行く!)
 遠ざかろうとする背へ向けて駆け出す。森を抜けると同時に、何かが弾けたような気がした。自分を縛り付けていた何か。
 ふわりと体が一瞬浮かび上がるような心地がして、そのままこちらを振り向いたイゼルの足をすくい上げた。
 転びそうになったイゼルの襟首を捕まえて背へ放り投げる。慌てた様子でたてがみにしがみつくのを、心地よく受け止めた。
「おい!」
 焦ったふうに声をかけてくるので、彼女は首を返してイゼルを見つめた。
(一緒に行く、森の外が危険でも、私があなたを守るから――いいよね?)
 そういえば――と彼女は思い出した。
(私の名前はサヤカ。あなたに伝わるかな)
 目を閉じて、さっきイゼルから感じた魔力の流れを思う。逆をたどるように、同じようにイゼルへ渡すことはできないだろうか。伝われ、と念じると自分の体から魔力が立ち上るのがわかった。イゼルの方へ。そう願う。
「!」
 彼女の背で動揺したようにイゼルの体が跳ねた。
「今のはお前か? お前の真の名はサヤカというのか」
(伝わった!)
 危うくない程度にうなずいてみせると、イゼルはサヤカの首を軽く叩いた。ぽふ、と寄りかかるように――いや、ゆるく抱きしめられる。
「共に来てくれるのか」
(そうだよ)
 これにもうなずいてみせる。振り向くとイゼルはなぜか泣きそうな顔で彼女を見ていた。
「お前、森の主だろうに……」
 サヤカはきょとんと首をかしげた。そんなものになった覚えはなかった。
(私はただ森にやってきて、それでしばらく住んでいただけよ。私もお客さん)
 今、人間だったらイゼルの頭を撫でてあげたのに。サヤカはそう思って、少しだけ惜しい気持ちになった。


作品名:君が世界 作家名:なこ