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拝み屋 葵 【肆】 ― 師道隘路 ―

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(二) 大きな妖の木の下で


 太陽が昇りきる直前のいまだ薄暗い早朝。
 白無地の小袖に緋の袴。およそ現代では見ることのできない装束に身を包んだ巫女が、優雅に霊妙に舞い踊る。巫女の動きは、徐々に増していく木漏れ日の光度に合わせて激しくなり、神々しさをも加えた光景は、この世のものとは思えぬ美しさを完成させる。
 巫女の舞は、太陽がその姿を完全に現すのと同時に終わりを告げた。
 それまで息を潜めていた虫や鳥たちが一斉に鳴き始め、まるで拍手喝采のようであった。
 巫女は弾む息もそのままに、傍の大木を腕に抱くようにして目を閉じた。
 巫女が身を預けた大木は、高さが十メートルを超えている大木も大木であった。直径が両手を広げた長さを超える太い幹には、これまた大きな注連縄(しめなわ)が巻かれている。
 注連縄は常世(とこよ)と現世(うつしよ)の境界を示す。大木は霊木であったのだ。

 霊木の枝葉が周囲に吹く風を無視してざわめきたち、巫女はそれを合図として幹から身を剥がした。
 巫女はそのまま後ろ向きに数歩下がり、遥か頭上を見上げた。数歩離れたぐらいでは霊木の全容が視界に収まることはないが、巫女が見据えているのはそびえる幹でもざわめく枝葉でもない。
 やがて枝葉のざわめきが静まると、巫女は、にっと白い歯を見せて笑った。
「おまえ、何やってんだ?」
「へ?」
 巫女は、自身に問いかける少年に対し間の抜けた声を発した。

 氏名 三宮 葵
 年齢 二十四歳
 性別 女
 職業 拝み屋

 彼女は現代に生きる陰陽師。
 祈祷祭祀なんでもござれ。オカルティックな依頼があれば、日本全国津津浦浦どこであろうと訪問するのが彼女の流儀だ。正確には彼女の師匠の流儀であり、彼女はそれに従うだけだ。

 とある神社に、ご神木として祀られる樹齢千年を超える霊木がある。
 その霊木には近隣一帯の雑霊たちが集まってくる。雑霊たちは、霊木の幹に現世への未練を置き、三途の川を渡ってゆく。霊木は、そうやって多くの魂を送り出してきた。
 だが現世への未練は、どす黒い負の感情でもある。強い未練を持った荒ぶる魂は、霊木より外に出て行かんとする。人々の信仰が弱まった平安期以降、霊木の力のみでは荒ぶる魂を止め置くことが不可能となったため、数年に一度『鎮魂の儀』と呼ばれる儀式が霊木の管理者の手で行われるようになった。
 儀式の内容は、代々霊木を守って来た管理者一族に伝わる鎮魂の舞を、日の出と共に踊り、太陽が完全に姿を現すまで踊り続ける、というものだ。
 儀式そのものはそれほど困難なものではなく、失敗したとしてもまた次の日にやり直すことが可能で、数年に一度という区切りには何の意味もなく、月一でも週一でも毎日でも構いはしない。

 葵は、管理者一族の代役として鎮魂の儀を執り行っていた。
 鎮魂の儀は、踊り手である巫女が単独で行う。魂の“揺らぎ”を感じ、同じ“揺らぎ”を以ってそれを鎮めるため、余人の立会いは余計な“揺らぎ”を存在させてしまうことになり、儀式の邪魔になる。儀式の間は人払いが行われているのだが、それは『鎮魂』の御業を秘匿する目的もあってのことだ。
 要するに、今ここに余人が立ち入ることはできないはずなのだ。
「あんたこそ、こないなとこで何してますのん」
 葵は、気取られぬように相手を観察した。
 怖い物を知らず、すべてにおいて好奇心を優先する目。不遜、傲慢、未熟、幻想。やんちゃで世間知らずな、どこにでもいる小学生の男の子だ。だがそれは外見の話。そんなものに惑わされる葵ではない。
「散歩」
 少年は葵を見下すように言い放つ。
「ここには入られへんはずやってんけどな」
 葵は警戒態勢を敷く。しかし、あくまでも気取られぬように。
「へぇ。あの壁、おまえが作ったんだ?」
 少年が浮かべた薄ら笑いを見た葵は、この少年が“こちら側”にいることを確信する。
「あんなの役に立たないよ」
 葵は呼吸こそ乱れていないが、鎮魂の舞で体力を失っている。動けないことはないが、万全でもない。そんな状態で、師の張った人除けの結界を平然と抜けて来る相手とやりあうのは、どう考えても得策ではない。
 子供の姿で油断を誘うというのは、あまりにも見え透いた使い古された手だ。さらには、わざとらしく隙を見せて挑発を続けている。
 戯れか余裕か、或いはその両方か。いずれにせよ、只者ではない。
 今、葵が考えていることは三つ。
 一つ、少年の正体。
 一つ、儀式の成否。
 一つ、師への悪態。
 割合を言えば、順に一割一割八割といったところか。
 少年の正体について思い当たることは何もない。
 管理者一族には一通りの挨拶を済ませてあるが、小学生の男の子はいなかった。となれば、この少年は全くの部外者である可能性が高い。
 鎮魂の儀は十中八九失敗している。鎮魂の儀とは、霊木内の魂の“揺らぎ”を感じ、それに合わせた波動を鎮魂の舞によって送り込むことだ。波長に乱れが生じる余人の存在は、そのまま儀式の失敗に直結する。
 師の人格等に関しては思うところが大いにある。だが、その実力に関しては微塵も疑う余地はない。特に、人除けの結界を始めとする結界術の扱いには、絶対の信頼があった。それゆえ、声を掛けられるまで少年の存在に気がつけなかったのだ。勿論、葵の油断でもある。
「お師匠はん、手抜きしはったな」

 *  *  *

 ―― 時は一週間前に遡る。

 三十畳はあろうかという大きな部屋。葵はその中央で正座し、奥にある簾の向こうから響く荘厳な声に耳を傾けていた。
「お前には『鎮魂(たましずめ)』をやってもらう」
 『鎮魂』とは、本来は魂の揺らぎを抑え肉体に留めることであり、その対義は魂に活力を与える『魂振(たまふり)』となる。だが昨今では、死者の魂に安息を届ける、という意味で使われることが多い。鎮魂歌と書いてレクイエムと読ませる記述も多いが、レクイエムはカトリックにおける死者の安息を願い行われる聖体祭儀(ミサ)、またはその際に用いられる聖歌を指す言葉であって、元来の正しい用法ではない。しかし、宗教とは無関係な使われ方が一般化しているのもまた事実である。
「どこぞの神主はんがお風邪でも召されましてん?」
 葵は祈祷祭祀の類は一通り習得しているが、現在ではただの形式行事と化している儀式が多く、地方によって手順や作法に差異があり、結局はその都度その土地の作法を覚え直すことになる。
「そうではない。ある神社に祀られているご神木を鎮めにゆくのだ」
「ご神木を、どすか?」
「うむ。今でこそ立派なご神木だが、かつては近くを通る人間や牛を捕らえ、生かしたまま身動きできぬ状態にして生き血を啜る、という大変迷惑な妖木であったのだ」
「そらまた難儀な木どすな」
「原因は人間の欲望にあるのだ。あの木は三途の川の淵に生えておってな、川を渡る魂がその幹に未練を捨てて往く。だが、人の欲は深い。自浄が追いつかず、欲望に当てられて妖木と化してしまうのだ。そうならぬよう鎮魂の儀を執り行っておったのだが――」
 前代の巫女が不慮の事故に遭い、次代の巫女へ鎮魂の御業を伝える前にこの世を去ってしまったのだ。