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拝み屋 葵 【肆】 ― 師道隘路 ―

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(一) 葵七片姫(アオイノナナヒラノヒメ)


 紅葉にはまだ少し早い――
 周囲を見上げたならば、多くの者がそのような感想を抱くに違いない。
 草木に囲まれた山道を歩く者ができることと言えば、ただひたすらに周囲を見渡すことぐらいしかない。
 苔生した長い石段を登って行くと、小さな冠木門(かぶきもん)が姿を現す。門と言えば聞こえはいいが、屋根も装飾もない質素で簡素なものだ。
 門を抜けた先には、武家屋敷を思わせる玄関が待ち受ける。門から玄関までの距離は短く、屋敷の全体像を眺望することができないようになっている。
 家屋は寝殿造に似た様式で建築されていて、玄関付近を除けば、屋内外を仕切る壁が極端に少なく、ほぼ縁側で囲まれている。
 縁側から降りることができる庭は、むき出しの土であったり、玉砂利が敷き詰められていたり、様々な植物が生い茂っていたりした。
 玄関から内部を窺うと、少なくとも六重の襖を視認することができる。
 四畳分はあろうかという広い三和土(たたき・靴を脱ぐ部分)には、屋敷を訪れる唯一の人物が愛用している黒いブーツが異彩を放っていた。
 この広大な屋敷には、たった一人しか住んでいない。
 その主は、屋敷の奥面にある六畳ほどに区切られた一室で、低反発クッションを脇の下に敷いて寝そべり、醤油煎餅を噛りながら十四型のテレビが映し出す朝のニュース番組を見ていた。
 指先に付着した煎餅の汚れを、身に着けた藍の甚平の太腿部分で拭き取ると、そのまま次の煎餅へと手を伸ばし、大口を開けて噛り付く。
 小気味の良い、ばりばり、という音が、開かれた庭へと流れて行った。
「そう難しい顔をしてくれるな。とにかく中にお入んなさいよ」
 部屋の外、庭へと繋がる縁側では、正座した若い女性が遠慮のない仏頂面を向けている。
「相談があって来ててんけど」
 言いながら、四つん這いになって畳に進入した女は、敷居を越えたところで再び正座に戻った。
 両者は、師弟関係である。これでも。
「分かった、ちゃんと聞くから。そんな怖い顔しなさんな」
 ため息混じりに上体を起こした師に向かって、弟子は、にっと白い歯を見せて笑った。

 氏名 三宮 葵
 年齢 二十四歳
 性別 女
 職業 拝み屋

 彼女は現代に生きる陰陽師。
 祈祷祭祀なんでもござれ。オカルティックな依頼があれば、日本全国津津浦浦どこであろうと訪問するのが彼女の流儀だ。正確には彼女の師匠の流儀であり、彼女はそれに従うだけだ。
 葵も一つ歳を重ね、大学も四回生(四年生)になることはほぼ確実となっている。そうなると、現実問題として“進路”という二文字と直面しなければならなくなる。
 小中高、間に二年の期間を挟んで大学へ進学。これらは師の息が掛かった進路であった。受験に際して不正はなく、すべて実力で通過している。
 小中は義務教育である。しかし極端な話、入学式と卒業式さえ出席すれば(或いは出席せずとも)、時が来れば卒業できる。
 高校に至っては、通信制や単位制の学科・コースが存在している上に、芸能活動に寛容な学校もそう珍しくない。拝み屋としての活動は、立派な“芸能”活動である。
 加えて言えば、葵は高校入学時に、一流と呼ばれる国立大学に合格できる程度の学力を備えていた。これは、夢幻世界『賽の河原』の活用による“一日が二十四時間以上だった”という環境によってもたらされたものだ。
 大学は単位制。息の掛かった教授が一人二人いれば、幾らでも都合は付けられる。葵が通う大学は私立であるため、干渉できる事象は想像できるほぼすべてに及ぶ。
 こうした道を歩んで来た葵は、その節々で、当然これからも拝み屋を続けるものだ、と考えながら進んできた。実際に師の示した道は拝み屋を続けるには最良の選択肢であるように思えたし、事実として最良の選択肢であった。
 然るべき時期が訪れると、何も言わずとも師から話があり、その都度“拝み屋を続ける意思”を確認されていた。
 今回はそれがなかったため、葵から相談という形で指示を仰ぎにやってきた、というわけだ。

「で、相談って、何?」
「ウチの進路についてどすねんけど」
「進路、ねぇ……」
「今までは学生やったさかい、比較的自由にやってましたけど、就職したらそう上手くは行かへんと思いますねん」
 二人の視線が正面から交錯する。
「うん。拝み屋を続けるかどうかで悩んでいるのなら、破門を解いた際に、思いのままにせよ、と言っただろう? 辞めるも続けるも自由、その判断自体に干渉するつもりはないよ」
 言いながら、新たな煎餅を二つ手に取り、その一つを葵に差し出した。
「拝み屋を辞めるつもりはあらしまへん。ただ、仕事と両立できるもんなんかいな、と思うたんどす」
 葵は差し出された煎餅を無造作に受け取った。
「留年したいなら望み通りにしてやるが?」
「お師匠はん、それは笑えまへんで」
 二人は計ったかのように、同時に煎餅を口に咥えた。ばりばり、ぼりぼり、と煎餅を噛み砕く音が響きわたる。
「せやから、先人のお話を聞かせて欲しいんどすわ。参考までに」
「参考までに?」
「どす」
 勢いよく頷いた葵の前髪が、さらり、と垂れる。
「そうだなぁ……」
 葵は、まばらに生えた不精髭を擦りながら思い当たる事案を探す師に、じっと期待の眼差しを送った。
「神社に就職したり、儲け度外視の個人店を開いたりして、周辺地区の保全に専念することもある。役所に入って、連絡員や案内人になることもある。言うまでもないだろうが、警察官や自衛官、興信所などは禁止だ。消防士もな」
 その禁止の理由はただ一つ。能力の濫用を防ぐためだ。
「お師匠はんは、大家さんをやってはるんどしたっけ?」
「そうだな、家賃収入と、デイトレード、株だな」
「株……」
 拝み屋からあまりにも掛け離れたその単語に、葵は言葉を失う。
「数は少ないが、ホームレスをやっている者もいるな。その最大の利点は、己の修行に専念できることだ」
「具体的には、どないな修行どすやろか?」
「五穀断ちとか?」
 五穀断ちとは、稲、麦、豆などの穀物全般を食べない断食の一種だと考えてもらえればいい。
 五穀を断ち、十穀を断ち、山菜や木の実だけを食べ、ゆくゆくは何も食べない身体になる、というものだ。これを山野で行えば仙人となり、土中入定を行えば仏(即身仏)となる。
「それは謹んで遠慮しときますさかい」
「ほら見たことか」
「いきなり何どすねん?」
 不満気に煎餅を咥え、ばり、と割った師の行動に、葵は素直に驚いた。
「真面目に答えたが、役に立たなかっただろう」
 葵は、師が子供のように拗ねているのだと分かり、その表情を緩める。
「役に立てるかどうかは、耳にしたウチ次第どす」
「口ばかり達者になりおってからに」
 と言いながらも、口元は僅かに綻んでいた。
「もう一つお訊ねしてもよろしおすか?」
 返事は声にして発されず、仕草にて許諾の意が示された。
「なして簾があらへんところやと、別人みたいな話し方になりますのん?」
「あぁ、それか。イメージを大事にするタチなんだよ、俺は」