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しあわせをつくる手

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ティーカップを二つ持って目の前に座った彼は酷く呆れた顔をしていた。幼馴染みである彼には、私に何かあったこともお見通しなのだろう。玄関で私の顔を見ただけで、何も言わずに上がるよう言ってくれた。
「それで」
 何の用だと溜息混じりの声を上げて紅茶を啜る彼に、私は、この身に起きた悲劇を洗いざらい話してしまおうかということを未だに悩んでいた。目の前には、彼手製のイチゴタルトと紅茶。実は、今日はまだ何も口にしていない。いや、口にすることも出来ない位緊張していた。その緊張が解けた後だからか、悲しいのに空腹感はあった。けれども、ここで手を付けてしまったら、色気より食い気を選ぶ自分を減滅する気がして、生唾を飲み込み口を開いた。
「あの、さ、私」
 そこまで言ったのに、その後の言葉が上手く出てこない。今日の出来事を思い出したら泣いてしまいそうで、頭が言葉を紡ぐことを拒否している。そんな私の様子を見て、彼はまた溜息を吐いた。
「食べろよ」
 ずい、とタルトが載った皿を私の前へ押して、半ば睨みつけるような目でこちらを見ている。その威圧感に圧され、おずおずとフォークでタルトを一切れ口に運んだ。その瞬間、ふわりとイチゴの甘酸っぱい匂いが広がった。
「美味いだろ」
 自信有り気に問う彼に、一度だけ頷いて見せる。美味しい、と答えたかったのだけれど、私の瞳から何故か涙が溢れて、それを拭うことに必死になっていた。こんな姿を見られたら、もう隠すことはない。私は今日の出来事を打ち明けることを決心した。
初めて告白をしたこと、その人には彼女がいて失恋してしまったこと、その彼女が自分の友達だったこと、悲観していたら自転車のタイヤがパンクしたこと、財布を落としたこと。もうこれ以上何も出ない、という位話続けた。それでも彼は何も言わず、時折頷いたり、うん、と返してきたりするだけだった。ひとしきり話し終えて、気が付けば涙は止まっていた。
 全部聞いてくれた彼は、何も言わずに黙ってしまった。私も何も言わずに、残ったタルトを平らげていった。皿の上が綺麗になったことを確認すると、彼はそれを持って流しへ向かった。その背に私は一言だけ告げた。
「ありがとう」
 オレンジ色に近い赤茶の髪がほんの少し揺れ、皿を洗う水音が響く。彼は振り向くことはせず、何も言わなかった。こちらに戻ってくると、同じように私の前に座り、困ったように眉を下げて笑って見せた。
「ばかだよ、お前は」
 返ってきた言葉に私は目を丸くして、彼を見た。けれども同じ言葉をもう一度返されただけだった。その真意が解らず、酷い、と嘆けば誤魔化しているのか、只微笑むだけだった。
「本当にばかだ」
 それは、彼女がいる人を好きになった私をばかにしているのか、それとも失恋したくらいで自分は不幸だと思っている私に対してのものなのか、それはどちらも違うように思えた。
「お前、自分の好きな食べ物も忘れたのか」
 私の好きな。
 ああ、でも、そんなまさか。
「上手くいっても、いかなくても、お前はここに来るだろ」
 そういえば、三日前にここで告白する宣言をしたんだっけ。だから、それを覚えていてくれて。
「お前が泣くならさ、これ食べて元気になれば良いって思ったから」
 結果としては逆だったけど、と笑い、彼は切り分けたタルトを箱に詰めていた。すらりとした指が伸びるその手が、あのタルトを作る様子を思い浮かべてみた。いつもそう、料理の類が全くと言って良い程出来ない私の代わりに彼が何か作ってくれて、それは私を幸せにしてくれる。今日も私を元気付けてくれた。
彼のお陰でこんなにすっぱりと失恋したことを忘れてしまえるということは、あれは本当の恋ではなかったのかも知れないなんて、調子の良いことを考えてしまう。
「何、ニヤニヤして」
 不思議そうにこちらを見た彼の顔に、笑顔を返す。
「今はまだ内緒」
もしかしたら幸せというのは意外と近くにあるのかも知れないと思い、こんなことを言ったら彼はどんな顔をするのだろうか、なんて少々悪趣味なことを考えつつ、冷え切った紅茶を一気に飲み干し、彼が箱に詰めたタルトを持って帰るだろうと差し出すのを密かに楽しみして、待ってみることにした。
作品名:しあわせをつくる手 作家名:ゆうと