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十二月、あの流れた星

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わたしが初めて守りたいと思ったひとは、わたしを抱き締めて泣いたひとだった。ぽかんとするわたしをぎゅっと抱き締めて、頼む、幸せになって、おまえは幸せになってくれ、そう懇願して泣いていた。泣き虫だったのだ、あのひとは。わたしはそれを知っていたから、ぽんぽんその背を注意深く叩いて、大丈夫といった。幸せの意味もまだ知らなかったけれど、大丈夫、しあわせになるよと言った。
もしかしたらこのひとは、わたしのこと、好きなんかじゃないのかもしれないなんてぼんやり思いながら。
わたしがあの人を守りたかったのは、あの人がわたしを守ってくれたからだ。家の近くの木に上って、降りられなくなったわたしに両手をのばしてくれた。あの笑顔が忘れられないからだ。でも、あの人は弱いひとだってことは、まわりのみんなが知っていた。
夜寝る前に、わたしたち兄弟に物語を聞かせてくれた。その中で人が死ぬと、もうハッピーエンドにはならないからいい、拗ねてそういったわたしを本当にそうだねとやさしく頭を撫でてくれた。でも、あの人が部屋から出たあと、兄貴はわたしを叩いて言った。あれは間違いなんだからな。生きてる人間が幸せになれれば、死んだ人間は不幸なままで別にいいんだ。だってそうじゃないと、誰も幸せになんてなれないだろう。うとうとしながら聞いたからうろ覚えだけれど、確かにその通りだった。だから切り捨てられないあのひとは、弱くて、やさしい人だったのだ。

――笑い声がする。くすぐったいぞと笑う声。擦り寄る動物と懐かれる飼い主とを想像させる、明るく嬉しそうな笑い声だ。でも、見えない。あの人のいう妖精なんて、わたしには決して見えない。
あのひとは、何もない空間を撫でて、笑う。

あのひとにこの世でないものが見えるのは昔からだった。私たちが一緒に暮していた時から、それはそうだった。何もいないところにこっそり話し掛けているのを見たことがある。でも、この世でないものばかり見るようになったのは、それからずっと経ってからだった。今は、この世でないものに頬を寄せて、笑う。本当に嬉しそうに笑う。この世のものにもこの世でないものを押しつける。そして、ふと人と指先が触れそうになると、びっくりするほど勢い良く手を引っ込める。電流にでも触れたように。
昔はああやって恐る恐る、わたしを撫でてくれた手だったのに。

わたしが「妖精さん」の存在を知ったのは、あの人のマンションを尋ねた水曜日だった。ああ、よく来たな。そうぎこちなく笑うあの人に安心した。まだこのひとは、わたしのことを見てくれる。たまに見てくれないときもあるけど、でもこうして見てくれる。だからこその安心だった。荷物を置いて、お茶を入れて、仕事部屋に置きに行った。そこで見つけた。――「妖精さん」。
後ろからあの人がやってきて、どうした、入らないのか?もしかして、俺の友達が見えるのか?そう聞かれた。
「…なにも、見えないよ」
それしか答えられなかった。

あのひとがわたしを抱き締めて泣いたのは、自分とわたしが同じだと思ったからだ。あの人とは違ったけれど、わたしにもときどき、人には見えないものが見えた。目に見えるのに、同じ厚みでこの世にあるように見えるのに、片方はそうじゃない。そんな不安定な世界に生きる恐怖を、誰より理解してくれた人だった。
見たものの話をすると、大体夢の話だと思われた。嘘つきよわばりもされなかったけど、本当のこととも思われなかった。けれどそれでよかったのだ。夢の話で、よかった。
うそをついてはいけないよ。
それがあの人の教えてくれた、たった一つの世界への対処法だった。

「妖精さん」は、空からあの人の部屋にやってきたのだという。あのひとははじめそれを自分の友達だと気付けずに殴ってしまったらしい。友達に酷いことをしたと泣いたあの人を、「妖精さん」は許してくれたそうだ。それで、一緒の部屋に住むようになった。
おまえも昔はサンタクロースとか見えたのにな、淋しそうにいうあのひとに、それは違うよとはいえなかった。言えないことばかりだった。
あの人がコンビニに出かけていって、わたしは部屋に残された。ここから逃げ出したかったけど、そうしてよいものか判断がつきかねた。黙って目を逸らしていると「妖精さん」の方から話し掛けてきた。一度目から三度目までは無視できたが、四度目はできなかった。なあにと言うと「妖精さん」は低い声で、鎖を外せと要求してきた。いやだよ。考えるより先に、ぽつんと言葉がやってきた。…いやだよ。怒られるから。
「妖精さん」が余計に声を荒げるより先に、わたしは絶望の物凄さを感じた。これが、わたしの、本音なのだ。…これが。
「妖精さん」が怒鳴り散らす。あの人のこともわたしのことも、口を極めて罵っている。だけど何も感じない。どうせこの部屋は仕事用に防音だし、それにわたしもあの人も、自分のためにずいぶん人非人だ。
「あなたは、空からここに来たって」
時計を見てから、ぼそぼそとそういった。
「何しに来たの?」
この部屋は、マンションの24階にある。

晩ご飯はお惣菜屋のポテトサラダと具がやたらと大きいシチュー、それから皮の固いパンだった。ちゃんとわたしの分もある。三人分。何でこんなに人参ばっかりなのと聞いたら、嬉しそうに、妖精さんが好きなんだと答えていた。味はいつも通りよく分からないけれど、ほぼ出来合いの品なわけだし、それほどまずくはなかったのだろう。シチューは結局、生ごみばかりの部屋の掃除をしていたから手伝えなかった。若干しゃきしゃきしたじゃが芋を噛みながら、何で焦げてるんだろうと考えていた。
ずっと鍋の前にいたなら、火が通っていないのはともかく、焦げていることぐらいは気付けるだろう。あのひとは鍋の前で何に気をとられていたのだろうか。聞けもしないことを、人参を噛みながら考えていた。

作品名:十二月、あの流れた星 作家名:七瀬