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早春賦

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 歌声を聴いたことも。

 その腕を引き寄せて、抱きしめてみようかと思ったことも。




 今は、もう昔の話だ。




■■■




 雨で折角の桜も全部落ちちまったのが残念だったな、と言うのが高校生活最後の思い出だ。

「ユージンくん」

 花見でもしようかと、辻や栗田に声をかけてみようかと思っていた矢先だったんだがな、とぼんやり考えた覚えがあるので、春で、しかも雨だったんだろう。というか、天気のことはともかくとして、季節は春でしか有り得ない。なにしろ俺がまともに高校生をやってたのは、高校一年生の四月だけだ。
 もう記憶にも朧な教室の、窓際が俺の席だった。呼ばれた名前は慣れた渾名だったが、呼んだ声があんまりにも呼びなれないそれだったもので、俺が思わずびくっとしながら振り返ると、そこには進藤がいたので、俺は尚更驚いた。
 なにせ四月だ。入学式もついこないだ終わったばかりの、まだよそよそしい雰囲気がべったり張り付いている新一年生の教室だ。俺をユージンと呼ぶ人間なんかその教室の中じゃ同じ中学から来た悪仲間の辻と栗田しかいねえはずで、そのうちそう呼ぶ奴も増えてくるかもしれないが、それでもまだそんな風に俺を呼んだクラスメイトなんか(それも女子では)居なかった。
 それなのに、何故進藤がユージン。まぁそんな理由、一つしか思い当たりはしなかったが。
「これ、席替えのくじ引き。今日、LHRで席替えするから……どうかした?」
「ん。あぁ。いや……ユージンなんて呼ばれたから、な」
「え?あ、ごめん!アリヒトくんだよね!ついつい……ほら、辻くんとか栗田くんとか、アリヒトくんのことユージンユージンって、呼んでるでしょ?耳についちゃって」
「構わねぇよ、ユージンで……で、くじ引きだったか」
 謝った進藤に俺が言うと、進藤は茶色がかった目で少し俺を見つめて、「じゃあユージンくんね」と言って笑った。それからはい、と手に持っていた小さな箱を差し出してくるので、なんだろうと俺がそれを覗き込むと、その箱の中には折りたたんだ小さな紙が幾つか入っている。
 そういや今朝のホームルームで席替えがどうとか言ってたっけなと思い出す。聞きながら手を伸ばしてその紙を一枚取ると、進藤はやはりにっこりと人の良い微笑みを顔に浮かべながら頷いた。
「あ、そうだ、ついでに辻くんの分も引いておいてくれない?」
「辻の分もか?」
「うん、そう。もう今朝からずーっと追い掛け回してるのに、ちっとも捕まらないのよ。あの金髪もピアスもほんと、どうにかしてもらわないといけないのに」
 進藤が溜息をつきながらそんなことを言ったので、俺は思わず苦笑いをもらした。
 捕まらないのは当然だった。その頃、辻は校則違反も甚だしいど派手な金髪を整髪剤でギンギンにおっ立て、耳にコレでもかと言わんばかりにピアスをぶら下げた、いわゆる典型的な不良で、とにかく風紀委員である進藤を毛嫌いしていた。避けていた、と言っても過言ではないだろう。
 なんたって進藤は凄かった。授業初日、役員決めのその時に風紀委員に立候補した瞬間から、辻にその派手な金髪とピアスをどうにかしてと一歩も引かずに厳しく指導をする様は、「しつけぇんだよあのバカ女」とあの辻をして言わしめるほどだったのだから、その凄さといったらない。少なくとも俺は、今まであいつに対してあそこまで強く立ち向かえた人間なんざ、他に知らない。
「解った。渡しておく。髪とピアスはまぁ、頑張ってくれとしか言い様がねえが」
「もう、他人事みたいに……ユージンくんからも言ってあげてよ。あなたのしていることは、きっぱりはっきり校則違反ですって」
 俺が箱の中からもう一枚、紙を摘み上げて言うと、進藤は「友達でしょ」と困ったみたいに笑いながら踵を返して、他のクラスメイトにも同じものを配りにてくてくと歩いて行った。
 友達でしょ、と来たか。まぁ確かに中学の頃から同じ野球部で頑張ってるダチではある。が、俺が言った所であれが素直に金髪とピアスをやめるような奴か。
 更正させる気なんざなかったが、それでも頭の片隅で言っても直らねえだろうな、と今更なことを考えながら窓の外を見ると、やっぱり雨が降っていた。
 そうだ。その席替えでたまたま進藤と席が近くなって、ぽつぽつ話をするようになったのはそれからだった。思い出した。
 春だってのに肌寒い日で、やはり桜は散っていた。




■■■




 席替えで席が近くなったとはいえ、俺と進藤は別に特別な関係ではなかった。それが切欠でお互いに一目ぼれをしただとか、運命を感じただとか、そんなことは一切ない。まるっきりない。大体席が近くなったというだけで、話す時間もそんなにはなかった。俺は大抵部室に居るか、教室でも辻と栗田とつるんでいる場合が多かったし、進藤は進藤で俺よりも仲の良い友達が沢山いたからだ。
 なので、俺たちが話をするのは予鈴が鳴ってから授業が始まる前までだとか、昼休みに進藤の追跡をさっさと撒いて何処かに消えた辻の行方を尋ねに来たついでだとか、そんな僅かな時間に限られていた。
 大した話だってしなかった。話して辞書を借してくれだとか、シャーペンの芯を持ってないかと聞かれるだとか、そんなもんだ。本当に大したことじゃあない。
 ただ、辻のことは聞かれたので少し話した。中学からの同級生だとか、その頃からずっと野球部だとか、割と真剣に甲子園を目指してるんだとか、そんな他愛ないことを。
 あとはたまたま立ち読みした漫画の内容。絶対ヅラだと噂の先生の話。進藤が生物部で育ててるとか言うウサギが赤ん坊を産んだこと。適当に笑い合ってじゃれて、俺が学校を辞めるまでずっとそんなもんだったのだから、まったく妙な関係だったと思う。友達と言い切れるほどには話をせず、ただのクラスメイトして接するには少しばかり時間を共有しすぎて、その割には色ッポイ話も一切なかったが、それでも進藤に対して思うところが何もなかったわけでもなく、それが「何か」になる前に俺は学校を辞めちまったので、それも過去の話だった。
 それでもあの頃、そんな感じで進藤と居るのは嫌いではなかった。相変わらず進藤に追いかけられては「五月蝿ぇ女だ」と、恨みばかり深くさせている辻の手前、あいつらと居るときはそんなこと、一言も言ったことはなかったが、それでも悪くはないと思っていた。
 けれど、それも親父が倒れる前までのことだ。
 俺が皆より早く大人になるべき時が来るまでの事だった。




■■■




 駅前で小さな工務店を営んでいた親父が倒れて、大したことはない、なんてことはない、あの糞親父ならと。そう高を括っていられたのも最初のうちだけだった。
 日が経つに連れて状況は悪化した。実際、家庭事情と言うものが洒落抜きで危うくなってきているのが、言葉ではなく肌で理解できるというのは堪ったものではない。俺一人バカで居られる余裕が、なんて頼りないものの上に成り立っていたのか。嫌でも理解せざるを得ないというよりは、今までそんなことも理解できてなかった自分に腹が立った。要は、ガキだったのだろう。
作品名:早春賦 作家名:ミカナギ