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月下部レイ
月下部レイ
novelistID. 19550
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『レプリカNO.8 エイト』

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「おーい、圭。おまえなんでここにいるんだよ」
聞き慣れた声が、不審そうな声音で問い掛けて来た。
「はー、なんだよ」
 声の主は小学校からの幼馴染で、高木彰。中学も高校も一緒だから、もうそろそろ十一年の付き合いになる。自分も身長は百七十八センチあるので、決して小さい方でないのだが、二メートル近くある高身長の上、筋肉質でがっちりとした彰の隣に立つと、少々細身の圭は貧弱に見える。それが少し圭のコンプレックスになっている。
彰はいつものように陸上部のランニングから帰って来たのだろう。タオルで汗を拭いながら、金網越しの三十メートル先を、小走りで部室の方へ向かっていた。
「さっき駅で、おまえがホームに入って行くのを見かけたからさあ、今日は珍しく電車でお帰りかと思ってた」
「はあ、おまえ白昼夢でも、見たんじゃねえのか」
 そう答えたところで、遠くから彰を呼ぶ声が聞えた。
「先輩のお呼びだ。じゃあな、圭。あれから学校まで走って帰ったんなら、おまえを陸上部に誘うんだがな」
 圭に向かって笑顔で手を振りながら、彰は訳のわからない言葉を残して、陸上部の部室の方へ走って行った。
「彰のヤツ、何、訳のわからねえこと言ってんだ。俺はずっと、ここにいたんだから。いったい、どんな奴と見間違いやがったんだ」
 自分と見間違うほど、かっこいい奴がいるわけが無いだろうと、圭は口角の端を上げながら苦笑いした。母方の祖母がフランス人なので、圭もどこか日本人離れした端正な顔立ちをしている。小さな子供の頃には、友達と違うその容姿を結構気にしていた。
 他人と自分を間違えるなど、後できっちり彰に喝を入れてやろうと思う。
第一自分が駅など、人ごみの多い所へいる訳がない。一人で出歩くなと、両親と爺やから口やかましく言われていると、彰にも愚痴をこぼしていたのに。
最近巷では、資産家の子弟を狙った事件が多発していた。圭自身は特別気にしているわけではないが、両親や爺やに無駄な心配を掛けたくは無かったので、通学にも運転手付きの車を利用していた。
圭の父親は世界でも有数な遺伝子研究の会社を経営していた。元々、日下部の家は大地主で資産家だったが、研究熱心な科学者の父親が研究員五・六人で立ち上げた会社が、子会社を含めると今や一万人を超える従業員を抱える大企業に成長していた。業種も再生医療をメインとした生命科学だけでなく、男の子だったら誰でも興味を持ちそうなロボット工学分野も手掛けるようになった。
科学・工学の最先端を行く日下部理工科学研究所は常に世界から注目を浴びていた。その日下部グループの社長、日下部宏之の一人息子が圭だった。

「圭、遅かったじゃない」
 黒目がちの大きな瞳が、明らかに圭を非難している。
「仕方ねえだろ、今まで生徒会だったんだから。会長の俺が抜けるわけにはいかねえんだから」
 フェンシング部に顔を出した途端、マネージャーの沙耶から叱責された。沙耶も圭の幼馴染だ。近寄り難いほどの美少女なのに、明るく気さくな性格で皆から好かれている。その上、成績も優秀で先日の英語の弁論大会では、堂々の最優勝賞を手にしていた。才色兼備なこの幼馴染の、気が強いところを除けば、友人として満点をつけてやってもいいと圭は思っている。
中学に入って圭がフェンシング部に入部すると、まるで後を追うように男子フェンシング部に入って来た。どうして男子なのか。女子フェンシング部もあるのだから、そっちに入るのが常套のような気がするが。おまけに沙耶の家は、父親が自宅で剣道教室を開いている。沙耶も物心ついたころから竹刀を握っており、その腕前も、父親の道場で師範代を務めるほど達者なのだ。
剣道部に入部したなら、期待の新星になれたはずなのに。いや、剣道部からはしつこいくらい勧誘されていたのに、首を縦には振らなかった。沙耶曰く、家でも剣道、学校でも剣道はごめんだという単純な理由らしい。それにたまには、マネージャーとかいう地味な仕事してみたいとか、都合のいい理由を上げていた。
「今日は、紅白に分かれて練習試合をするんだから、部長からはっぱを掛けてもらわないと」
「やる気のねえ奴らは、どうせレギュラーに上がれやしねえんだから、いくら俺が言ったとしても無駄だ」
「そんなことは無いわよ、圭はフェンシング部員の憧れの部長なんだから、あんたの一言で部員の士気も違うんだからね」
 ということらしい。
「あっ、そうそう、その前に新入部員希望書が届いてるわよ」
「はっ、この時期にかよ」
 夏休み前、高等部では学期の間に転校してくる者は珍しい。沙耶から受け取った入部届けに圭は目を落とした。
 桐生侑也。几帳面な小さな字で書かれていた。名前に心当たりは無い。フェンシング界で多少でも名のしれた奴なら、圭も知っているはずだ。全くの新人なのだろうか。
「今日から出て来るのか」
「たぶんそうだと思うけど……。そうね。きっと背が高くて、長めの黒髪で理知的でとってもメガネが似合ってる人」
「なんだよ、それ。おまえの理想か」
 沙耶が微笑んで、指さした方へ振り向いた。
 部室の入口のところに、沙耶が言った通りの少年が立っていた。
「あっ、あんたが部長さん。俺今日からここでお世話になる桐生侑也。よろしく頼むで」
 ニコリと微笑んだ切れ長の涼しい瞳。
「よく、俺が部長だってわかったな」
「ああクラスの女の子が、フェンシングの部長さんはめっちゃ、かっこええって噂しとったからすぐわかったわ」
 関西弁が板に付いている。根っからの関西人らしい。圭とは全く違うタイプだが、たぶんこの少年も、すぐに女の子の人気の的になるだろう。圭が見ても、軽いノリの言動に似合わない影のある端正な顔をしている。
「で、そっちの綺麗なお嬢さんが、マネジャーさんやろ。フェンシング部の美男美女カップルってすぐ耳に入って来たで」
「桐生君、言っときますけど、あたしと圭は幼馴染であって、決してカップルじゃありませんからね」
「へえ、そうなん。じゃあ、俺にも可能性があるわけやね」
 ちらりと漆黒の瞳が圭を見た。
「えっ?」
「俺と付き合はへん。お嬢さん。俺のめっちゃ好みやで」
「桐生くん。私意外と真面目な人間性が好きなの。桐生くんみたいな、ユーモアに富んだ人にはおもしろくない女だから、遠慮しとくわ」
 沙耶らしいウィットに富んだ返答だ。
「おまえここにフェンシングをしに来たのか、ナンパをしに来たのかよ」
「両方、青春時代は短いんや、謳歌せなね」
「おい、マスクかぶれ」
 傍にあったマスクを手に取ると、桐生に向ってマスクを放ってやった。
「な、なんや」
 声音は慌てた感じだったが、少しも動じた気配は無い。片手でマスクをがっちり受け取った。続いて練習用のフルーレを渡す。
「えっ、ここでか。危ないやろ」
「圭」
 沙耶も慌てて声を掛けて来たが、構わず圭はマスクを被った。もちろん手にはフルーレを持っている。圭が本気だとわかったのか、桐生も仕方ないと思ったのだろう。素直にマスクを被ると、フルーレを構えた。
「もう二人とも、ここは練習場じゃないんですからね」